1-15.本当の願い

 重たいまぶたを開くと、白い光に照らされたほこりが宙に舞っているのが見えた。無数に舞うちりがどこへ流れていくのか目で追っていると、ただ流れに流されあっちこっちに移動し、終いには視界から外れて消えてしまう。

 まるで私だ、と千晴ちはるは思った。


 高校生だった自分は、ただ周りの言う通りにしていればそれでいいのだと思っていた。適当な点数を取れば先生や親にめられ、相手を褒めておだててやれば友人は簡単に出来た。親の決めた大学に進み、就職活動をして仕事をし、ありきたりな道に進めばそれでよしと、そう言われるのが分かっていた。

 無難ぶなんな人生だ。こんなものだ、で終わっていくのだろう。それでいいと思っていた。


 だが煌賀こうがに会って、色々な人に出会って、彼らと話をし、彼らの目から見える様々なものを見て、今はもっとそれが続けばいいと願っている。まだまだ自分は未熟者で、だからこそもっと色々な事に挑戦したい。やりたい事が、まだたくさんあった。


『高校での文化祭、もっと真面目にやっておけば良かった。こんなもんかで妥協なんかせずに。

 大学もちゃんと自分で決めたい。本当は家の近くの大学に通うのは嫌だった。一人暮らしがしてみたかった。家族が嫌いな訳じゃなくて、家にいたら甘えてしまうから。自分の事は自分で出来る人間になりたかった。


 お父さんやお母さんに、もっと感謝を伝えていれば良かった。私の為にしてくれる事全部、娘だから当り前なんて、そんな事思った事ない。

 ちゃんといつも感謝してて、ただ照れ臭くてどうしても言葉に出来なかった。もっとありがとうと言っておけば良かった。


 煌賀やヨハンに酷い事言ってしまった。私の事、心配してくれたのに。守ってくれたのに。

 謝りたい。本当はそんな事思ってないよ、って言いたい。


 ガイ達、私が死んだらどんな顔するんだろう。泣くかな。折角せっかくガイに勇気を貰ったのに。私は何も返せないままなのかな。

 本当は、私が希望になってあげたい。祈りが届いたよ! 次はガイだよ! って言ったら、喜んでくれただろうな。


 本当は死にたくなんてない。

 生きるのはこんなにも辛くて苦しいけど、本当は死にたくなんてない。

 誰に死を願われても、ここに私の居場所なんてなくても、私は生きていたい。

 生きて色んなものを見て、色んな人と話をして、誰かと笑っていたい。


 賢竜けんりゅうになんてなれなくてもいい。

 家に帰れなくてもいい。


 ただ、これからの時間が貰えるなら、それだけで良かった』


 そうして目を閉じると、意識は遠のいていった。











 真っ白な世界で、誰かの声がする。

 名前を呼ぶ声がする。


「千晴」


 頭の上に降ってくるように、煌賀の声がした。


「千晴、起きろ」


 横たわった体に力を入れようとするが、ぴくりとも動かない。


『駄目だよ。もう動けないんだ。目も開けられない。頑張ったけど、もう駄目なんだ。ごめん。ごめんね……』


 言葉を発する元気もなくて、頭の中でそう言った。


「起きろ」


 ふいに、頭を優しくでられる。温かくて、見知った手の感触がした。


「迎えに行くから」






 もう一度目を開けると、宙に舞っている埃がまた見えた。体は重く、もう指の一本さえ動かせない。表情ももう動かせなかったが、千晴は笑った。


『こんな状態でも、まだ起こすか』


 視線だけを上に向ければ、天井の鏡の中で揺れる白い煙が見える。まるで空を流れる雲のようだった。


『もし自由に空が飛べたら、今すぐ皆に会いに行くのに。

 お父さんに、お母さんに、ありがとうと言いに行くのに。

 煌賀にごめんと言いに行くのに。

 ガイの背中を叩きに行くのに。


 好きな時に、好きな所へ、どこまでも飛んで行くのに。

 私が人生でしたい事は、それだけだ。



 飛んでいきたい




 そう思った瞬間、何かがするりと体をなぞっていく。薄い布が肌を撫でていくような感覚だった。何だろうと視線を動かすと、それと連動するように体の上で何かが身動きする。

 体におおい被さるようにしているそれは、大きな羽だった。

 驚いて声を出そうとするが、溜息にしかならない。その風が羽に当たると、さらさらと音を立てた。真っ白な羽毛のように見えるが、実際はうろこのように薄くてかたい。ところどころに光が反射して、白い羽には虹色の光が映り込んでいた。

 千晴は目を閉じる。のどからは安堵あんどの息がれた。


 ようやく一つ、成し遂げた。





 ********





 ヤシューが正面ホールに到着した時には、すでに大きな騒ぎになっていた。見ると、ガイが周りの大人達に羽交はがめにされ押さえ付けられている。彼を押さえている男の一人が、ヤシューに気付いて声をかけた。


「おい、ヤシュー! こいつ止めてくれ! 祈祷部屋に入るって言って聞かないんだ!」

「何しようとしてるんだ、ガイ! やめろ!」

「放せ! このままじゃ千晴ちはるが死んじまう!!!」

「ガイ、よすんだ!」


 千晴が祈祷部屋に入ってからもう七日。大半の者が彼女の生存を諦めていた。

 ガイは力任せに身をよじり、何とか床から起き上がろうとしている。大の大人四人がかりで彼を押し留めた。


「祈祷部屋に押し入るなんて無茶だ! あれはまじないが掛けられていて人には開けられない! それに下手に開けようとして、お前に天罰でも下ったらどうする!?」

「千晴を見殺しに出来るか!!!」


 マハも騒ぎを聞きつけ、慌てて階下に降りてくる。取り押さえられている少年の様子を見て察したのか、彼女も大人達に加勢した。


「ガイ、あんた何して……!」


 そう言おうとした時だった。

 天管てんかん入口付近に大きな火柱が上がる。付近にいたダブル達が慌てて飛び退すさると、一気に人々の注目がそこに集まった。

 もう一度、大きく火柱が立つ。すると突如とつじょ、複数の人物が炎の中から姿を現した。その場にいる誰もが呆気あっけに取られ、急な来訪者達を注視する。

 とりわけ一団の先頭に立つ人物が目を引いた。その人物の髪は、まるで先程見た火柱のように真っ赤だった。赤髪の人物の横には、亜人の男がひかえている。男は一歩前に進み出ると、大きな声で言った。


「こちらにおわすは焔伯えんはくである。用あって天管に参られた。無礼は許されぬ、道を開けよ」


 その言葉を聞いて、ホールはまたたく間にざわめき立つ。人々は次々と脇に退き、祈祷部屋への道を開けた。部屋のすみひざを付き、叩頭こうとうする者もいる。通路をふさいでいたヤシューも、ガイを引き連れ慌てて階段横へと退しりぞいた。


「ヨキ、あまり騒ぎを大きくするな」

「申し訳ございません」


 一団がホールの中央へと進み出ると、煌賀は一人、一団から離れて祈祷部屋の前へと足を進めていく。ヤシューとガイは、その燃えるような髪を持つ賢竜けんりゅうを階段横から見上げていた。

 ガイは口を開けたまま固まっている。無理もない。あれだけ崇拝すうはいしていた賢竜が目の前に現れたのだから。その姿は噂で聞いていた通り、強く美しい姿だった。

 皆が緊張して見守る中、煌賀こうがは祈祷部屋の前に立ち、ゆっくり扉へと手を伸ばした。そして触れようとしたその時、ズッと重い音をさせ、扉が独りでに開く。彼はそれを見るとふっと口角を上げ、隙間に指を差し入れ開け放った。

 ホール中に驚嘆きょうたんの声が広がる中、彼は一団の方へと振り返る。


「お前達はそこで待て」


 そうして、小さな扉をくぐって中へと入っていった。






 短い通路を通り過ぎると、ホールには小さなひなが寝転んでいた。真っ白な羽を持つ、小さな賢竜の雛。羽の色に合わせたように真っ白な髪。初めて会った時よりも、少しだけ幼い姿だった。

 ひざまずいて頭を撫でてやると、薄く目を開く。澄み渡った青い空を思わせる、浅葱あさぎ色の瞳と目が合った。


「迎えに来たぞ」


 弱りきっているようで、煌賀のその言葉に返答はなかった。


「動けるか?」


 返事の代わりに、小さく頭が揺れる。無理なようだ。


「俺が運んでやる」


 体の下に手を入れ、抱え上げた。


「よく頑張ったな」


 細い通路を戻る時、そう声をかけた。するとまるで甘えるように、胸にひたいを押し付けてくる。そしてそのまま、雛は眠ってしまった。

 久しぶりの重みと体温に、煌賀の口から笑顔が零れた。






 煌賀が正面ホールに戻って来ると、その腕には子供が抱えられていた。その子供の背中には大きな翼が付いており、おぉ、とまた場がざわめき立つ。


「千晴、なの……?」


 祈祷部屋に入る前後で変わってしまった姿に、ガイは思わずそうつぶやいた。ホールにいる人々は困惑こんわくの表情を浮かべ、事態が呑み込めず動けないでいる。その間に煌賀はするすると階段を下り、一団の方へと戻っていった。

 ガイは擦れ違いざま、煌賀の腕の中に抱えられた子供の顔をうかがった。気を失っているのか、目を閉じている。その顔は彼の見知らぬ顔だった。

 と、煌賀の腕からするりと落ちていく布に気付く。ヤシューが引き留めるのも間に合わず、ガイは急いでそれを拾い上げた。


「え、焔伯……!」


 声が上擦うわずる。


「落とし物……!」


 それだけを絞り出すようにして言うと、手を前に突き出す。千晴が着ていた朱色のマントだ。緊張で、腕も膝も震えている。

 煌賀は振り返り、突き出された物を少しの間見ていたが、やがて優しく彼に笑い返した。


「お前にやる」


 そうしてくるりと身をひるがえし、一団の中に戻ると、彼はホール中央へと向き直る。


「騒がせてすまなかった」


 言うやいなや、火柱が立ち上り一団を包み込む。そして次の瞬間には、彼らの姿は忽然こつぜんと消えてしまった。


 正面ホールは水を打ったように静かになる。そしてしばらくすると、まるで魔法が解けたように皆が動き出し、騒ぎ立て始めた。小さな葉擦れのようだったものは、あっという間にホールを包み込み、収拾しゅうしゅうがつかないほどの騒ぎになっていく。

 その中で一人、ガイは大事そうに朱色のマントを抱えていた。

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