1-16.咆哮

 目を開けると、見慣れた白い天井が見えた。ぼーっとしたまま顔を横へ向けると、白い翼が目に飛び込んでくる。

 手を伸ばして、それに触れてみた。れてサラサラという音がする。でてみるとうろこのように固く薄い感触を指に感じた。と同時に、指でそこを撫でられている感覚がする。

 気付いた瞬間、千晴ちはるはがばりと体を起こした。

 背中の辺りにぐっと力をめると、それに合わせてぎこちなく羽が動く。数秒の間、羽の動く様子をただ観察していたが、慌ててベッドから飛び降り、棚に備え付けられている鏡の前へと立った。

 そこには見知らぬ子供が立っていた。年の頃は十五かそこらだろうか。真っ白な髪に、真っ白な肌。青空のような浅葱あさぎ色の瞳が目を引いた。鏡に鼻が引っ付くかというほどに近付いて、自分の顔を凝視する。


「もう大分元気になったな」


 そう言って、煌賀こうがが部屋に入って来た。それでも千晴は鏡から目を離さない。


「これが、私?」

「見慣れないか?」


 陶器のように白い肌。眉毛も、睫毛まつげさえも白い。黙っていればそこはかとなくはかなげな印象を受ける。


「なんていうか、白……」

「じきに慣れる」


 目を丸くして固まるこちらの様子を見て、煌賀はなんだか楽しそうだった。そうして彼は手近なベッドに腰掛ける。


「私、いつ戻って来たの?」

「三日前だ」


 それを聞き、勢いよく振り返った。


「三日!?」

天管てんかんから戻って三日間。よーく寝てたな」


 そんなに経っていたなんて、あんぐりと口を開けて固まる。


「無理もない。七日間、休息もなしに祈り続けてたんだ。それだけ体が疲れてたんだろう」


 言われて、はっとする。


「そういえば、ガイ達は!?」

「ガイ達?」

「天管にいなかった!? このくらいの背丈の、褐色かっしょくの肌した男の子とか!」


 彼はあごに手を当て、天井を見上げた。


「あー、そういえばそんな奴いた気がするな。そいつがどうかしたのか?」

「すごくお世話になったんだよ。一言お礼が言いたかったんだけど……」

「あんな子供が?」

「うん。すごくしんの強い子なんだよ。他の二人もすごく良い人達だった! 多分、ガイ達がいなかったら、私は賢竜けんりゅうになれなかったと思う」


 帰る前に一言お礼が言いたかったのに、と肩を落とす。


「そいつは知らなかったな」

「今からでも会いに行っちゃ駄目かな?」


 煌賀は苦しそうにうめいた。


「それは難しい。お前の正体がばれてしまったから、戻れば騒ぎになる」

「そっか……」

「それに、これからやって貰わなきゃならない事もあるしな」

「やって貰わなきゃならない事?」

「まぁ、それはこの後ヨハンから、な」


 祈祷部屋きとうべやから出た後眠ってしまった事を、千晴は酷く後悔した。項垂うなだれたこちらの様子を煌賀が見つめている。


「そんなに悲しむほど仲良くなったのか。ならマントでなく、もっと良い物をやるべきだったな」

「マント?」

「天管に行く時、お前にやったマントがあったろ? もう必要ないかと思ってその子供にやったんだ」

「そうだったんだ」


 そういえば、ガイは彼の事をすごくしたっていたはずだ。その彼からの貰い物ならば、さぞかし喜んだ事だろう。


「いや、多分すごく喜んでると思う」

「そうか? ならいいが」


 さて、と言って煌賀がベッドから立ち上がる。


「着替えをして飯でも食うか。ヨハンが呼んでる。これからの話をするみたいだぞ。天管での話も、そこで聞かせてくれ」


 期間にしてみれば一月もなかったが、もっと長い間あそこにいた気がした。早く二人にも天管での話を聞いて貰いたくて、千晴は大きくうなずいた。






「そうか、それは良い仲間に恵まれたのう」


 ヨハンの部屋で、三人は一緒に遅い昼食を取っていた。机に並んでいるのはスープやおかゆなど、疲弊している千晴に合わせ消化の良さそうな物が並んでいる。


「ダブルってだけであんな扱いを受けるなんて、やっぱり私はおかしいと思う。皆、優しい良い人達だったよ」

「そうじゃな」

「せめてもうちょっと自由に生きられるように、どうにかしてあげられないの?」


 その言葉に老人は眉尻を下げた。


「そうしてやりたいのは山々じゃが、下手にわしらがダブル達に手を差し伸べてしまうと、今度はダブル贔屓びいき過ぎると言う者が出てくる。そういった者達の不満が高まれば、当のダブル達にその火の粉が掛かってしまう可能性もあるのじゃ。個々人の考えを変える事は、本当に難しい事なのじゃよ」


 それを聞いて、千晴は腹が立った。明らかに今のダブル達の惨状はヨハンス大陸の他の種族よりも劣悪なはずだ。それをそんなふうに思う者がいるのかと憤慨ふんがいしてしまう。


『そんな事を思うのはきっと、彼らの今の生活を知りもしないからだ』


 千晴が眉間みけんに深いしわを作るのを見て、煌賀が口を開いた。


「お前が賢竜として立派に仕事をこなせたら、ダブル達の印象も良くなるんじゃないか? 元人間も、なかなかやるじゃないかってな」


 その言葉に顔を上げる。

 そうか、賢竜である自分ならそういう事も出来るのか。別の形で、彼らにしてあげられる事も何かあるのかもしれない。

 世話になったダブル達に恩返しをする機会がある。そう思うと、気分はいくらか楽になった。


「そうだね! まずは私がこの大陸の人達に認めて貰って、少しでもダブル達の生活が良くなるようにしたい!」


 そう言うと、ヨハンと煌賀はお互いに顔を見合わせ、笑った。


「本当に、良い経験が出来たようじゃな」

「あぁ、見違えた」

「……私、気付いたんだ」


 二人は首をかしげてこちらを見る。


「今までずっと、やりたくない事から逃げてばかりだった。何度向き合おうとしても、気を抜くとすぐに目をらしちゃう。

 それってさ、明日もあるって思ってるからなんだよね。先延ばしにして、いつかやればいいやって。でも本当は違う。明日が来るなんて、そんな保障どこにもないのに。今やりたい事も、やらなきゃいけない事も、今やらなきゃ一生そんな機会ないかもしれないのに。私は本当に死ぬ思いをしないとそんな事にも気付けない、どうしようもない人間なんだって、ようやく気付けた。ようやくここから、ちゃんと精一杯生きられる気がする」


 二人の目を、真っ直ぐに見つめ返す。


「あの時、死んでなくて良かった。二人とも酷い事言ってごめんなさい。ここに連れて来てくれて、ありがとう」


 そう言って、三人は笑い合った。




 食事が終わり、ヨハンが茶をれてくれる。前に飲んだ時と同じ、ほうじ茶のような優しい香りがした。


「その器の為の、新しい名を付けねばならんな」


 茶を飲んで一息つくと、ヨハンはそう言った。


「新しい名前? 千晴じゃダメなの?」

「どうしてもと言うならそれでも構わんが、それは人間の器としてのお前さんの名じゃ。その名はその器の為に付けられた、その為だけの名じゃ。新しく付け直すのがならわしじゃな」

「ふーん」

「基本的に存命中の賢竜で一番の古株が命名する事になっておる。煌賀の名も、わしが付けたのじゃよ」

「そうなんだ。どんな意味なの?」


 煌賀へと目を向けると、彼は急いで茶を飲もうとしたのか、舌を火傷しそうになっていた。


「煌は光り輝くという意味じゃ。鮮やかな朱色の髪が印象的だったからの、炎をイメージした。賀は喜び祝う事を意味しておる。煌賀の戴冠式たいかんしきの際に、フォーン達が火をいて太鼓を打って祝っておったので、そこから取った」

「そういえば、煌賀は亜人あじん達から崇拝されてるんだったっけ」

「亜人達にとって、炎とは大きな意味を持つのじゃ。炎とはすなわち、光じゃからの」

「光……」


 亜人達にとって煌賀は光の象徴なのだ。それを思うと、あれだけガイがしたっていた意味も分かる気がした。


「それで、新しい名前はどんなのにするんだ?」


 茶を飲むのを諦めたらしい彼がそう尋ねると、老人はにっこりと笑う。


「もう決まっておる。なかなか良い名前を思いついたぞ」

「どんなの?」


 わくわくしながら尋ねると、ヨハンは机に字をなぞってみせた。


「千に里、千里せんりじゃ」

「千里」


 千晴、いや千里は、その名を口に出してなぞってみた。


「千の字は数多いという事から実り多い意味、それを里と合わせて千里とする事で、遥か彼方までという意味となる。様々な経験、人と出会い、実り多い人生となるように、とな」

「千里……」


 自分の奥深くに落とし込むように、何度もその名前を口にする。


「良い名前じゃないか」

「……うん。ありがとう、ヨハン!」

「気に入って貰えたようで何よりじゃ」


 目尻にしわを蓄え、老人は笑った。


「さて、これからの事についても話しておかねばのう。千里にはこれから戴冠式をやって貰う」

「どんな事をするの?」

「天の前で誓いを立てる儀式じゃ。天の意志にそむかず、身命しんめいして天にお仕えする、とな」

「……そんな大層な事、私に出来るかな」


 身命を賭してなんて、それほどの覚悟をもって賢竜にならなければならないなんて正直考えていなかった。そう言ったら怒られるだろうか。

 大仰おおぎょうな儀式の説明に微妙な顔をしていると、ヨハンは見透かしたように、またにっこりと笑う。


「なに、単なる儀式じゃよ。言うて皆へのお披露目ひろめといった方が良い。儀式は単なるふりじゃ。ようは、新しく賢竜が起ったという事が皆に知れれば、それで良いのじゃ」


 そう言われ、ほっと胸をで下ろす。


「戴冠式の進行についてはヨキに聞くが良い。煌賀、お前も手伝ってあげなさい」

「分かった」


 二人は茶を飲み干すと、ヨハンの部屋を後にした。






 白い廊下を煌賀と一緒に歩く。こうしていると、城での日々が思い出されてなんだかなつかしかった。こちらもそんなに月日は経っていない筈なのに。


「戴冠式では式の最後に転化てんげする。まだした事なかったろ? 教えてやるよ」

「そっか、竜の姿にもなれる筈なんだよね」

転変てんぺん出来てるって事は魔力はある。転化するのはそう難しくない筈だ」

「うん」

「こっからは忙しくなるぞ。賢竜になったからには、前以上に学んで貰わないとならない事がある」


 煌賀は上機嫌に話を続けている。しかし千里はその間、別の事を考えていた。城に帰って来たら、真っ先にやりたい事があったのだ。


「戴冠式は明後日、り行われる。段取りについてはヨキから教えて貰え。まぁ、そんなに大した事はしないから、」

「煌賀」


 彼が振り返る。


「戴冠式の前に、行きたい所があるの。連れてってくれる?」

「どこだ?」

桜花おうかのお墓」


 彼が足を止める。


「こちらにも、そういうしきたりはあるのかな?」

「……あぁ」


 微妙な顔をされたが、千里はもう決めていた。


『決めたら、逃げない』


「桜花に賢竜になったって報告したい。誰よりも先に、報告したいの」


 少しの間を置いて、煌賀はうなずいた。





 ********





 アルガンド城の一角いっかくには山肌にそびえ立つようにして霊園がある。四方を緑で囲まれた庭には大小様々な墓石が並んでいて、煌賀こうがはその内、小さな墓石が並ぶ一画に案内してくれた。

 拳大の石がいくつも並んでいる。その中に、こけむしていない新しい墓石があった。彼はそれを指し示す。


桜花おうかの墓だ」

「……思ってたより小さい」

「桜花はニンフだ。ニンフは死ぬと花の姿になって枯れる。埋葬まいそうしても、亡骸なきがらはすぐに土にかえって消えてしまう」

「そうなんだ」


 千里せんりは小さな墓石の前に座り込み、花を供えた。彼女にかける言葉を探したが、最初の一言が見つからない。

 しばらくて、駄目だね、そうつぶやくと、隣に立った煌賀が首をかしげてこちらをうかがった。


「ここに来たら何か言う事が思いつくかと思ったけど、やっぱり言葉が見つからない。あの時聞きたかった事を聞きたいのかな。言えなかった事を言いたいのかな」


 賢竜になったところで、きっと根っこは変わっていない。

 どうしようもない人間の子供なのだ。今はまだ。


「私はまだまだ未熟者で、桜花の言う通りなんだと思う。賢竜けんりゅうになってもまだ愚痴ってばかりで、きっと怒られてしまうんだろうな」


 でもね、と言葉を続ける。


「それが私なんだよ。姿形は変わっても、私は私である事をそう簡単には変えられない。自分でも、自分の事がどうしようもなく嫌いだと思う事がある。情けなくて、いっそ消えてしまえたらと思う事がある。

 でも、そう思っていいのは私だけなの。私の命は、私だけのものなの。だから桜花が望んでも、私は自分の命を諦めたりはしない。誰かの為に生きてあげる事もしない。だから、桜花の希望には応えられない」


 目を閉じて、手を合わせる。


「それでも私は、賢竜になるよ」


 まぶたの裏にいる彼女に、深く深く頭を下げた。





 ********





 風もないよく晴れた日、戴冠式たいかんしきが執り行われた。

 式で着る服は真っ白な衣装だ。丈の長いシンプルな造りで、所々に金の刺繍ししゅうと飾りが揺れ、彩られている。高貴で潔癖けっぺき縁起えんぎの良い色なのだろうが、真っ白な髪と合わさると、まるで死人が着る服のようにも感じられた。


 アルガンド城の中枢ちゅうすう、普段は立ち入りが許されない部屋の前に通される。門番が扉を開けると、先には長い階段が続いていた。

 階段横にはだん幾重いくえにも連なり、多種多様な種族のおさ達が居並んでいる。全員が顔が隠れる長さの白い布を頭から被っており、ここからでは表情がうかがえなかった。

 上を見上げれば、最上段には数名の人影がある。中央にはヨハンの姿が見てとれた。

 千里はゆっくりと、階段を登っていく。

 長い服のすそれ、するするという衣擦れの音がやけに大きく聞こえた。檀上まで上り詰めると、ヨハンにうながされ、フロアの中央へと進み出る。

 目の前には巨大な鏡が置かれていた。そこにこちらの姿は映らず、代わりに様々な色の煙が中で渦巻いている。祈祷部屋の中で見た鏡によく似ていた。

 鏡の前でひざを折り、そのまま叩頭こうとうする。


『天の意志に背かず、身命を賭してお仕えします』


 頭の中でそう誓いを立てると、何かの声が響いた。それは言葉ではなく、風でなびく葉擦はずれの音によく似ていた。ざわざわと脳を掻き立て、やがて遠ざかっていく。

 その音を、何故だか酷く愛おしく感じていた。


 戴冠式が終わると、城の屋上から外へ出る。眼下を覗くと、湖のほとりに張り付くようにして城を仰ぎ見る群衆の姿があった。ここからだと米粒ほどの大きさにしか見えない。


「練習の成果を見せてやれ」


 隣に立つ煌賀こうがうながされ、千里はもう一歩、前へと進み出る。周りの者達が後ろに下がるのを確認して、目を閉じた。

 こめかみの辺りに意識を集中すると、そこが少しずつ熱をびてくる。そこから薄皮をくようなイメージを思い描くと、するりと自分の体がけてしまった。そしてするすると別の形をかたどっていく。

 首が長く、尾も長く、体が縦に伸び、屋上のへりから大きく体が外へと張り出した。飛び出してしまわないよう、体の下から生えてきた前足で欄干らんかんつかみ、目を開ける。長く伸びた首を天高く上げ、千里はえた。

 生きている事を証明するように。






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 カズラフジ:葛藤かっとうという字は、カズラと藤のつるがもつれ合っている様子から、人と人が対立したり、どちらを選ぶか迷う様子を表しています。

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千里の道 ぽち @po-chi

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