1-12.小さな炎
部屋で
「離れないでね」
そう言われ、ガイの小さな背中について行った。
正面ホールには
人だかりの中心には厚手の毛皮を
「
そう言って、男は自分の目の前に立っていた者をなぎ倒す。周りにいた者達も将棋倒しのように巻き込まれ、あちこちで悲鳴が上がった。周りを
「おい、何やってる! 独り占めするな!!」
「他の奴らの分もあるんだぞ!」
「うるせぇ!!!」
男の
すると、ガイが人垣の前にすっと進み出た。千晴は慌てて止めようとしたが、彼は聞かなかった。
子供が近付いてくるのを見るや、男は
「なんだ、クソガキ」
「四人分の配給が欲しいんだけど」
「ガキにやるもんなんざねぇよ! 引っ込んでろ!!」
そう
「四人分の配給が欲しいんだけど」
再度そう言った少年に、男は何も言い返さなかった。その場から距離を取り、四人分の配給を取り出す子供の様子をただ見つめている。周りからはざわめきが起こっていたが当の本人は腕一杯に荷物を抱えると、
「千晴、半分持って」
「え、あ、うん」
荷物を半分受け取り、彼の後に付いて早々にホールを出る。ふと背後が騒がしくなり何事かと振り向くと、先程の巨漢の男が周りを取り囲む者達に袋叩きにされていた。
「騒ぎが大きくなる前に戻ろう」
部屋に戻ると、青くなった千晴の顔を見てマハが声をかけてきた。
「半魚人みたいに青い顔だね。下が騒がしいけど、また誰かが馬鹿な事でもしたのかい?」
「うん、配給を独り占めしようとした奴がいたんだ」
「しょうもない奴だね」
どうという事もないというように話す二人を見て、千晴は
「どうだ。ガイに行かせたのは正解だったろ? ケンタウロスは腕っぷしが強いからなぁ」
そう言われて思い出す。騒ぎにも驚いたが、彼の強さにも驚いたのだ。
「あんなに力が強いなんて、びっくりした」
「別に。ケンタウロスはそういう種族なんだよ」
こんなに小さいのに周りの者達に頼りにされているのか、と千晴は心底彼を尊敬した。
「ガイはすごいなぁ……」
「ガイが来てくれて、本当に助かってるよ」
感嘆の声を
「……別に」
「力が強いのもだけど、周りの大人達が怖がって動けないところを
「……そういうのやめろ!」
赤い顔をした彼はすっくと立ち上がり、さっさと部屋から出ていってしまう。そんな彼の様子を、ヤシューが茶化して笑った。
「照れちまって、可愛いところもあるよな」
「良い子だよね。優しいと思う」
「そうだな。あいつの境遇から考えたら、本当に良い子に育ってると思うぜ」
「境遇?」
視線を向けると、ヤシューも不思議そうにこちらを見返した。
「聞いてないのか? あいつは実の親から殺されるところだったのを逃げてきたんだぞ」
「……え?」
固まったこちらを見て、マハが男の脇腹を小突く。
「勝手に人の事をぺらぺら喋るんじゃないよ。あんたも気になるなら、本人に直接聞きな」
「……悪かったよ。もう知ってるもんだと思ってたから」
知らなかった。あんな小さな子供がそんな想いをしてここまで来ているなんて、と
『居場所がないダブル達はここに集まる。皆死ぬ気で祈ってる』
そう言っていた彼の言葉を思い出した。
その言葉の意味を、千晴は全然分かっていなかったのだ。
********
そんなこちらの様子を見ていたガイが、声をかけてくる。
「千晴もこっちにおいでよ」
言われ、ランプの炎を囲む同室の三人の輪に加わった。両腕がひっつく程に一塊になっていると、寒い日に身を寄せ合って
炎の前に足先を出すと、じんわりとした熱が皮膚の奥に
「……皆、普段はこんな感じ?」
「
「
昨夜から吹雪が止まない。壁の外からは
「……何か面白い話しろよ」
皆、退屈そうだった。無理もない。ここには
ふいに、ガイがぼそりと
「
出てきた言葉に興味を引かれた。焔伯というのは、煌賀の敬称の事だ。
「焔伯って、煌賀?」
そう口にした瞬間、後頭部に強い衝撃を受けた。
「いっ!!?」
「今のは千晴が悪い」
「さすがにそれは世間知らずでは済まされないよ」
隣を見ると、鋭い睨みを効かせてくる少年と目が合った。
「な、殴らなくても……」
「千晴が礼儀知らずな事するからだ」
「ご、ごめん……」
そう言っても、彼はこちらを睨み付けたままだった。
「俺達
「い、以後、気を付けます……」
手を付いて、少年の方に頭を下げる。しっかり反省した様子を見せると、彼はようやく睨むのを止めてくれた。
「当代の焔伯は魔法が得意らしいねぇ。たった百年ばかりで広大な領地をお造りになったそうじゃないか」
「いつか
「はは、そりゃ大層な夢だな」
笑うヤシューとは対照的に、ガイは真剣な顔をしていた。
せっかちで怒りっぽい彼の事を思えば、ここまで
「焔伯はダブル嫌いじゃなきゃいいな」
そう言った男の言葉に、彼は
「嫌いじゃないよ」
「きっと、嫌いじゃない。こ……焔伯は、人を見た目で判断する人じゃないと思うな。ガイならきっと、好きになって貰えると思う」
それを聞いて、ヤシューははっとしたようだった。
「そうだな。ガイなら腕っぷしも強いし、良い用心棒にして貰えるだろ!」
彼は再度俯いてしまったが、それでも小さく首が縦に揺れる。表情は見えなかったが、なんとなく彼が喜んでいるように思えた。
こんな寒く暗い部屋の中、希望を持って日々を生きるのは彼らにとって明日を生きる
『そうして私も、自分だけの炎を見つけないといけない。明日を生きる糧にする為に』
ランプの炎が揺れる。その光は小さく、しかし確かな明るさで部屋を照らしていた。
********
また、夢を見た。
すると急に背後から腕が伸びてきて、首に指が絡みつく。その指に力が込められ慌てて振り返ると、そこには
しかしすぐにその腕は強い力に
熱い。
掴まれた腕がじりじりと熱を持ち、煙を上げる。
「————!!!」
そうしてまた、目を覚ます。
最近は眠ると悪夢ばかりで、まともに睡眠が取れていなかった。額から伝った冷たい汗を
「眠れない?」
ふいにかけられた声を頼りに視線を向けると、
「最近、うなされてるね」
「……嫌な夢を見るんだよ」
そう言って、また横になる。体勢を崩したせいで直に背中が冷たい床に付き、身震いした。急いでマントを体の下に
「それ、良いマントだよね」
「ん? うん、貰い物なんだ」
「生地も上質だし、冷たい床に置いておいても全然冷えない。
「うん。
「ふーん」
ふいに、夢の中の怒った煌賀の顔を思い出し、ぎゅっと胸が締め付けられる。
『そういえば、私がこっちにいる間に夢合わせをすると言っていたけど、もしかしてさっきのがそうなのかな? それとも、あれは私が勝手に見た夢なのかな……』
嫌な考えを
「呪いを掛けられるって事は魔法使いだね。そんな知り合いもいるのに、なんで天管になんて来たの?」
「それは……」
「ここは行き場のないダブルが最後の
それは優しさで言ってくれているのだと分かっていた。少なくとも、彼にはそんな場所ないのだろう。
『でも、私にだってない
また、胸が締め付けられるように痛んだ。ヨハンや煌賀は、自分がここで死ぬのを待っているのかもしれない。どうしてもその考えは消えてくれなかった。
「他に行く所なんてないよ……。家に帰る方法はないし、前にいた場所には魔力を得るまで帰れない。……あそこに私の居場所は、ないよ」
「どうしてそう思うの?」
言おうかどうしようか迷った。しかし、誰かに聞いて欲しいとも思っていた。心にずっと抱え込んで悩んできたが、自分一人では到底、その答えを見つけられそうになかった。
「……私のせいで、人が死んだの」
言ってみるが、返事はない。数秒待っても反応がないので、千晴はさらに続けた。
「周りは私のせいじゃないって言うけど、そんなふうには思えなくて……。だって、その人は私が人間の姿をしていたから、それが許せなかったから、殺そうとしたの。……本当は優しい人だったと思う。笑顔が温かくて、気が
「この姿だと、殺されなきゃならないの?」
ふいにそう言われ、千晴は自分の言った言葉が軽率だった事に気付いた。慌てて上体を起こす。
「違う……! ごめん、そういう意味じゃ……!」
「少なくとも、里の皆はそう思ってた。母さん以外は」
何も言えなかった。彼が周りの者達にどんな仕打ちを受けて来たのか、それを軽率に
「……ガイは、どうしてここに来たの?」
しかし予想に反し、彼はあっさりとした口調で返してくる。
「他に行く場所がなかったから。ケンタウロスの里に、俺の居場所なんかない」
あっさりとはしていたが、その言葉の裏に様々な感情がある事も確かに感じられた。
「天管には亜人のダブルが多いって知ってた?」
千晴は首を振る。
「大陸の中でも、特にダブルへの迫害が酷いのが半人半獣の種族なんだ。まぁ、見た目が人間と区別しやすい分、異質な者がいると目立つんだ」
彼の言う通り、食べ物の配給時にホールで見た人達は動物のような特徴を持った者が多かった。
「俺が生まれた時も大騒ぎになった。里じゃあダブルが生まれてくるのは数百年ぶりだったんだって。足が二本しかない俺を見て、母さんはきっと、すごくショックだったと思う。大きくなっても他の子供よりずっと背は低いし、足も遅かった。俺の里は
母さんはすごく俺の事庇ってくれたけど、父さんが許さなかった。父さんは俺を
また、何も言えなかった。自分の
「俺は必死で逃げたよ。里の奴らは母さんを踏み付けて追いかけて来た。何とか命からがら逃げ延びて、ここまで来たんだ。母さんはきっと、死んでしまったけど……。
俺は、俺のせいで母さんが死んだ、なんて思いたくない。母さんは誇りあるケンタウロスだ。里の中の誰よりも
胸が焼けるようだった。暗闇の中、
その強い目が、こちらを向いた。
「その人も、自分の信念に従って生きようとしただけだよ。千晴がその人の生き方にとやかく言う事なんてない。死ぬかもしれない事も、本当は覚悟してたんじゃないのかな。
千晴はその人の事、好きだったんだね。なら、その人の命の上に生きている事を忘れないでいればいい。その人に誇れるように、生きればいいんだよ」
「そんなふうに、思いたいな……」
ふいに涙が
「出来るよ。自分がどう生きたいのか、考えればいい。決めたら逃げない事だよ」
「……ガイは強いな」
「俺は強いケンタウロスになりたいから。でも、考えるのは明日からがいい。夜に考え事するのはあまり良くないから」
彼が身動ぎする音がする。
「眠れないなら、手を
千晴は差し出された手を握った。手の甲には冷たい床の感触がするが、握った少し大きな手は、じんわりと温かい。
「ありがとう……。私は本当に情けないな。年下の男の子に
「千晴の方が小さい子みたいだね」
「……返す言葉もありません」
彼が小さく笑うのが分かった。
千晴は目を閉じる。泣いたからだろうか、体の内側もじんわりと温かい。ゆっくりと、心地良い
その後、悪夢は見なかった。
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