1-8.その言葉の意味

 千晴ちはる煌賀こうがと共に図書室へと向かう廊下を歩いていた。道中ヨキに好かれるにはどうすればいいか、二人で策をこうじ合う。


「ヨキの好きな物とか何かあるかな? それを差し入れに持っていくとか?」

「ヨキの好きな物か。うーん、ヨハン以外に特に思い付かないな……」

「そんなに忠誠心厚いんだ」

「ヨキの家のクルーガー家は、他の家臣達と比べて特に長い事ヨハンに仕えているからな。一族の居住地と職場が共にこの城だから、ほぼ生活の全てがヨハンの恩恵を受けている事になる。それが一族の当代の者のみだけでなく、先祖や子孫にまで及ぶんだから忠誠心が厚くても不思議じゃない」

「ヨハンの事話す時、特にどや顔してるもんね」

「どや顔?」

「どうや! みたいな顔って事」


 そう言ってどや顔の手本をしてみせると、なるほど、と彼は笑った。


「なら、ヨキの仕事ぶりについて褒めてやるのも効果的かもな。自分にとって自信のある事や誇りに思っている事について褒めて貰えるのは、やはり気分が良い」

「そうだね、やってみる!」


 作戦会議の後、二人は図書室の扉を開いて中へと入った。奥に進むと、いつものようにむすっとした顔のヨキが一礼してくる。千晴が席に着き、煌賀もいつものように机の端に腰掛けると、授業が始まった。






「――であるからして、賢竜けんりゅう達はそれぞれの力の均衡きんこうを測り、お互いの強大な魔力を抑制し合う為にヨハンス大陸に集まっています。それぞれがそれぞれの性質に合う場所に居住地を築き暮らしている為、基本的にはあまり賢竜同士での接点はありません。不祥事ふしょうじを起こした賢竜を止める為に他の賢竜を招集したり、新たに賢竜が転生した際にこの大陸まで連れて来るといったような事態が起きない限り、賢竜がそれぞれの居住地より出てくる事は滅多にありません」


 煌賀には言わなかったが、ヨキを褒めるという作戦以外にも千晴には計画している事があった。先日言われた事を踏まえ、学ぶ事にもっと興味を持つよう意識を変えてみようと思ったのだ。受け身ばかりにならず、疑問に思った事は積極的に質問するよう心掛けてみる。


「他の賢竜達は、皆どの辺に住んでるの?」


 ヨキの耳がぴこぴこと動いた。いつもより学習意欲が感じられるこちらの様子に、少々動揺しているようだ。それでも一つ咳払いをすると、彼は質問に答えてくれた。


「現在は、時伯じはくがここアルガンド城に、水伯すいはくがヨハンス中央部、他賢竜の方々は周辺に浮かぶ別の大陸に居住地を構えています」

「そうなんだ。煌賀の家はどこ?」


 振り返ると、煌賀は自分の左肩の方を指差し、あっち、と言った。それじゃ分かんないから、と笑い返す。二人の様子にヨキが咳払いをして制すると、彼は地図の北東の位置に記された楕円形だえんけいの大陸を指し示した。


「こちらの大陸が、焔伯えんはくの居住地があるフェラーク大陸です」

「へー、他の大陸に比べると小っちゃいんだね」

「何をおっしゃいます。焔伯の在位を考えれば、むしろ大きい方です」

「在位?」

「当代の賢竜が、賢竜として転生されてからの年数の事を言います。焔伯は現在存命中の賢竜の中で、一番若い竜です。ヨハンス大陸に居住地を置かない賢竜は、自身の魔法によって大地を生成し、長い年月をかけて土地を広げていくのです。当然、在位の長い竜であればそれだけ巨大な大陸を有する事になりますが、焔伯は当代の賢竜の中でも特に魔法にけたお方。在位に比べ、比較的大きな居住地を有しています」

「煌賀は魔法使うの上手いんだ」


 まぁな、と彼がどや顔をする。勉強熱心だったのはどうやら本当のようだ。


「賢竜の平均的な在位ってどの程度なの?」

「おおよそ四、五百年程ですね」

「五百……!?」


 あまりの桁外けたはずれな数字に面食らってしまう。賢竜は長生きだと聞いてはいたが、思っていた以上に規格外な生き物だ。


「ちなみに、今いる賢竜達の在位はどのくらいなの?」

「時伯がおよそ二千年、水伯が五百年、氷伯ひょうはくが百二十年、焔伯が百年程の在位となっています」

「二千年……」


 そんなにも長い間生き続けるというのはどんな気分なのだろう。考えてはみるが、想像も付かなかった。

 ふと疑問に思い、指折って言われた賢竜の数を数えてみる。


「あれ、もう一人足りなくない?」

陰伯いんはくは他の賢竜とは違った性質を持っていますので、在位を測る事は出来ません」

「どういう事?」


 こちらが首を傾げると、相手は急に歯切れの悪い口調になった。


「私も陰伯について詳しく知っている訳ではないので、明確な事をお話出来ないのです……。ただ当代の時伯よりも在位は長いようです。いつから転生されているのかは文献に残っておりませんし、何分秘密の多い方ですので、実際の在位がどの程度なのかは把握出来ておりません。……一説によると、陰伯はのではないかとも言われております」

「死なない……?」


 そんな事ありえるのだろうか。いくら長命な賢竜と言えど、それは酷く奇妙で受け入れがたい話な気がした。


「俺も一、二度しか会った事がないが、何か他の者とは違う異質な感じがした気はするな。底が知れないというか、つかみどころがないというか……」


 どうやらこの二人も、あまり陰伯については詳しくないらしい。これ以上の情報は得られそうもないので、千晴は質問を変える事にした。


「煌賀は百歳なんだ。すごく若く見えるから年齢の感覚が分からなくなるな」

「魔力を多く有していればいる程、身体を若くたもつ事が出来ます。賢竜の他にも魔力を有している種族がいますが、エルフなんかだと比較的長命な種族ですね」


 そこまで聞き、ついに千晴は計画していた作戦を決行するべく身を乗り出した。


「ヨハンは二千年も生きてるのかー。やっぱり他の賢竜達と比べて、優秀な賢竜なんだね!」

「えぇ、まぁ、そうですね。在位が長い賢竜は不祥事が少なく、それだけ優秀な賢竜と言えるでしょう」


 ヨキの耳がピコピコとせわしなく動く。極めて冷静に切り返したつもりだろうが、喜びが隠し切れていないようだ。


「なかでも時伯は存命中の賢竜で家臣を一番多く従えている方ですから。ヨハンス大陸の者達にとって、信の厚い賢竜と言えるでしょう」

「そんな優秀な賢竜に使える家臣達も、やっぱり優秀じゃないとつとまらないんだろうなー」

「ま、まぁ、ある程度の教養と能力は必要になってくるでしょうね。近臣きんしんともなると、賢竜からの寵愛ちょうあいと信頼を頂かなくては務まらないでしょうし」


 彼の耳がさらに激しく動き、後ろでは尻尾がふさふさと揺れていた。亜人あじんでも喜んでいる時には尻尾を振るらしい。

 彼はにやけた顔であごを上げる。


恵伯けいはくも時伯のような立派な賢竜となれるよう精進なさいませ」


 思わずむっとしたが、顔には出さずにっこり笑って頷いた。

 そうして機嫌の良くなった彼のありがたい教鞭きょうべんを、いつもより一時間多く聞く事となったのだった。







「……やっと終わった」

「良かったじゃないか。ちょっとは好意を持たれたんじゃないか?」


 ぐったりと項垂うなだれて廊下を歩くこちらに、煌賀が言った。


「良くないよ! いつまで話し続けるかと思ったよ……」


 頭を抱えて呻くこちらを、彼は軽く笑った。


「まぁ、ここの連中と仲良くやれるのはいい事だ。その調子で頑張れよ」

「まぁね。……煌賀、ありがとう」


 そう零すと、彼は首を傾げてこちらを見やる。


「煌賀が味方になってくれるって分かってたから出来たと思う。いてくれて良かった」


 そう言って相手を見返す。彼は一瞬驚いた顔をしたかと思うと、明後日の方角を向いて頭をぽりぽりとき始める。いや俺は別に……とか何やらごにょごにょと言い出す様子がまるで思春期の子供のようで、千晴は思わず噴き出してしまった。


「何照れてんの? 百歳のじいさんのくせに!」

「な……!? 照れてねーよ! それに百歳は賢竜じゃあまだ若い! 爺さんって言うな!!」


 そうしてぎゃんぎゃんとわめき立てる彼を、千晴は部屋に戻るまでからかったのだった。





 ********





 アルガンド城での生活も一月が過ぎたある日の夕刻、煌賀こうがはいつものように千晴ちはるを外に連れ出した。もう来るのも何度目かになる、ヨハンス大陸の東端で断崖絶壁の崖の上、小さな原っぱのある場所だ。地平線の彼方に漂う雲の中へ、真っ赤な夕日が沈もうとしていた。

 煌賀は崖のふちに座り込み、空をながめている。彼の真っ赤な髪が風に揺れるさまは、まるで炎が揺れているようだった。


「ここでの生活も大分だいぶ慣れてきたみたいだな」

「何だかんだ言ってもう一月近くいるからね。誰かさんが私を誘拐してから」


 そう軽く嫌味を返すと、彼は笑ってうつむいた。そうして今度は、真剣な口調でこう聞いてくる。


「まだ、帰りたいか?」

「……正直ね」


 どちらかと問われれば、やはり千晴は帰りたかった。今でも家族と友人が恋しい。


「でも、帰してくれないんでしょ……?」


 すがるように言うと、まぁな、と短い答えが返ってきた。分かってはいたが、落胆する心は誤魔化ごまかせない。


「……正直、未だに自分が賢竜けんりゅうだとは思えない。何の変化も見られないし」

「家が恋しいか?」


 ぐっと奥歯を噛む。


「恋しい」


 声に出してしまうと気持ちがあふれてしまいそうだった。目頭が熱くなり、打ち消すように目を閉じる。


「……すまないと思ってる」


 静かにつぶやかれた言葉に視線を向けると、彼は地平線を見つめていた。


「無理矢理ここに連れてきた事」

「……ヨハンに頼まれて役目を果たしただけなんでしょ? 初めは確かに責める気持ちがあったけど、今は色々と事情を聞いたから、煌賀の事を責めるつもりはないよ」


 千晴は彼の横へ、慎重に腰を下ろす。


「煌賀もそうされたからしただけなんだし、今は納得しなきゃいけないんだろうなって思ってる。このままぐだぐだ考えてるだけじゃどうにもならないだろうから、何か別の道がないか考えてる。家が恋しいけど、多分、もう帰れないんだと思うから……」


 人生にはどうしても逃げる事の出来ない嫌な事が起こるものなのだ。どれだけ苦しくても、歯を食いしばって耐えなきゃならない時、納得がいかなくても前を見なきゃいけない時があるものなのだ。この一ヶ月で、少なくともそこまでは理解する事が出来た。


「……昔、」


 ふいに零された声に、横を向く。地平線の彼方を見ている煌賀の瞳に、真っ赤な夕日が映り込んでいた。


「俺がここに連れてこられた時、俺は周りの奴らを責めたんだ」

「……どうして?」


 彼は昔の話をしようとしていた。ずっと言わずに、こちらと壁を作っていた話を。


「諦めが、付かなかったんだ。俺は賢竜になんてなりたくなかったから」


 ただ静かに、彼の話に耳を傾ける。先を続けるよう無言で訴えた。


「俺は下で、人間に飼われてた。まだ前世の命があって、鳥の姿をしていた時だ。利郭りかくという名前の若い男だった」


 少しだけ目を見開く。人間と一緒に住んでいたというのは千晴も初めて聞く話だ。


「利郭は足が悪くて、あまり外に出られなかった。そんなあいつを不憫ふびんに思ったあいつの家族が、俺を贈ったんだ。少しでも利郭の癒しになるようにって」


 煌賀の瞳が、きらりと光る。


「俺にとってあいつは、"家族"だった」


 遠くを見つめる彼の表情は無表情のままだったが、千晴には彼が何かを我慢しているように見えた。

 彼はさらに続ける。


はたから見れば、鳥籠とりかごの中で一生を終えた俺の人生はあわれなものだったかもしれない。でも、違う。俺は少なくとも、利郭と一緒にいるのが好きだった。たとえ好きな時に空を飛ぶ事が出来なかったとしても、あいつがでてくれる止まり木のある籠の中が好きだった」


 彼は僅かに口角を上げた。


「よく、褒めてくれたんだ。俺の事、本当に綺麗だって、優しく笑って、そうして尾羽を撫でてくれた。俺はそうされるのが、たまらなく好きだった」


 いつもの態度からは想像が出来ない程、彼の声音は優しかった。とても大切に大切に、言葉をつむいでいる。

 しかしふいに、彼の表情が険しくなった。


「でもある日、家が火事にあったんだ。家族は出掛けていて、すぐに助けも来なかった」


 彼の顔が、苦い物を噛んだようにゆがむ。


「利郭は……逃げられなかった。炎に焼かれて喚き叫ぶあいつを、俺はただ見ている事しか出来なかった。必死に叫んだんだ。誰か利郭を助けてくれって。何度も、何度も……。でも、何の意味も成さなかった。あいつは焼けげて死んでしまった……」


 とても彼の顔を見ていられなくて、千晴は空の果ての夕焼けに目をやった。赤い玉が雲の隙間でゆらゆらと揺れている。

 心の中で、彼の言っていた言葉を思い出していた。賢竜の姿は器となった前世の生き物の意識が影響を与えるものだ、と。では煌賀の真っ赤な髪と瞳は、彼の脳に残った鮮烈な炎の色なんだろうか。彼はそれを見るたび、どんな気持ちだったのだろう。それを思うと、胸が締め付けられるようだった。


「本当なら、俺もその時一緒に死ぬはずだったんだ。利郭と一緒に、消えてしまいたかった。今でもたまに、あのまま消えてしまえていたらと思う……。でも、天はそれを許さなかった。天は俺に賢竜という器を与えて、生きろと言う。今までの人生を全て捨てて、"煌賀"として生きろ、と」


 千晴はただ黙っていた。彼にかける言葉が見つからない。


「千晴」


 彼が名前を呼んだ。その声があまりに優しくて、何だか悲しい気持ちになってしまう。


「賢竜になるという事がどういう事か、お前に分かるか?」


 彼がどうしてこんな話をしたのか、何を言おうとしているのか、千晴には分かるような気がした。

 どうしてこんなに優しい声をかけるのか、いつくしむように、なだめるように。


「これからお前に何が起きるか、分かるか?」


 何も言い返せなかった。

 ただ、子供の頃の記憶が呼び起こされる。川で足をすべらせて、おぼれそうになったあの時の事を。酷く苦しくて、何度も母を呼んだのに、水を飲むばかりであっという間に闇に落ちていく。

 思い出すと、手が震えた。最近ようやく、平気になってきたというのに。

 震えが止まらなかった。


「……私は、……死ぬの?」


 最後の方は声がかすれて、空気がれるだけだった。

 煌賀はゆっくりと、優しい声で言う。


「俺は、そう思っている」


 初めてヨハンに会った時、桜花おうかと話した時、千晴には引っ掛かっていた言葉があった。

 "転生"。

 それがどういう意味を持つのか、千晴は怖くて聞けなかった。頭の中ではその言葉の意味を理解していたが、誰も確固かっことした言葉を口にしなかったから、気付かないふりをしていた。

 だが、彼はそれを見抜いていたのだ。どこかで諦めなければならないのだと、言っていた。


「賢竜になるには、生まれ変わる必要がある」


 何度もその言葉を飲み込もうとしたが、のどの辺りでつっかかる。同じ言葉がずっと頭の中で回っていた。


「死にたくない……」


 震える声でそう言うと、煌賀の手が宥めるように背中を撫でる。その手があまりに温かくて、千晴は涙を抑える事が出来なかった。

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