1-7.心の機微
「
問い掛けられ、部屋の奥に
「……家に帰りたがってる」
ヨハンはぐぅと
「すぐに納得するのは難しいじゃろうなぁ。ヨキがきつい事も言ったようだしのう」
「だが、いつまでも嫌だ嫌だと
「諦める、か」
巨竜は何かを訴えるような目で彼を見つめた。
「なんだよ」
「お前さんがそうしたようにか?」
「……そうだ」
ぶっきらぼうにそう返すと、また低く喉を鳴らされる。何が不満なんだ、と彼は眉を寄せた。
「
「煌賀、お前さんは自分の人生を
『全う? 俺の人生が?』
「全うなんかしてない。俺は何も出来なかった。ただ死んだだけだ。これで終わりだと言われたから諦めただけだ」
「千晴の人生は、まだ終わっておらんよ」
「……いずれ終わるんだろう?」
はっきりと口にはしないが、賢竜に生まれ変わるってつまりそういう事だろう?と煌賀は問い詰める。しかしそれに対して、相手は
「まだ分からぬ」
驚きによって消えた眉間の皺は、しかしすぐにまた元の場所に現れる。疑念によるそれは、先程よりも一層深い
「分からないってなんだ? 俺はてっきり、あいつをここに連れて来て殺すのかと思っていた。なのにあの姿のまま城の中を連れ回して、教育まで受けさせてる。城の者達から反感があるのなんて分かりきっていただろう?」
「あの子の賢竜の力はもう目覚めている
「……なんで俺なんだ」
非難がましい声が漏れた。他にもっと適任な奴はいるだろう、と彼は思う。
『むしろそんなに気に掛けるなら、ヨハンが自ら面倒を見てやればいいものを……』
そんな彼の心境を
「お前さんの為でもある。お前さんは人間に執着しておるからの」
「……」
確かに、新しく賢竜になるのが人間だと聞いて興味を持っていた。しかし正直なところ、煌賀は千晴の
「……また、俺の前で人間が死ぬのを見せるのか?」
「そうならないよう、お前さんに見ていて欲しいのじゃ」
眉を顰めたまま、煌賀はまた遠い空へと視線を向ける。
小さく
********
目の前には
いつまでも手を付ようとしないこちらを見て、心配そうに
「こちらの食べ物はお口に合いませんか?」
「あ、いえ、違うんです! ……いただきます」
そう言って料理を口へと運ぶが、何を食べても味などしなかった。ただ黙々と
「どうかなさいましたか?
こちらの浮かない顔を見て、桜花が気遣わしげに声をかけてくる。しかしそれに対してもただ首を振り、いいえと小さく呟いた。そうして押し黙ってしまうと、彼女が急に明るい声を出す。
「ここだけの話ですが、焔伯も司書官も少しばかり
顔を上げ、桜花を見やる。彼女はどうやら昼間の一件を
「恵伯はまだこちらに来て日が浅いのですから、厳しく
「そう……ですか?」
「恵伯に今必要なのはきっと、心を許せる者です。必要であれば、この桜花に何でも話して下さいまし。きっと心も軽くなりましょう」
そう言って彼女は
「そう、かも。私、こんな知らない所に連れて来られて、意味の分からない事ばかり言われて……。皆は私が
「何故、そう思われるのです?」
「だって、私には何の力もないんです。魔法を使ったり、竜に変身したり。そういう事、私は何も出来ないから……」
「……
「分かりません。ただ、まだその時じゃないって……。私の中に賢竜の力が眠ってるんだって……」
「……転生しておられないのですか?」
千晴は顔を上げて相手を見た。
「テンセイ……って?」
しかし彼女は、いえ、と笑っただけだった。
ふと、城の中で不用意に賢竜を
「ごめんなさい、なんだか愚痴ってしまって! ここに来てから色々ありすぎて、弱気になってて……」
「分かっておりますとも。辛いお気持ちは一人で抱えず、誰かに話した方が楽になります。いつでもお聞きしますから、また何かありましたら何でも
「……ありがとう」
そうしてまた、彼女はふわりと笑う。優しい言葉をかけて貰えるのが
********
それから数日間、毎日図書室に通い、教育係であるヨキからこの大陸の地理やそこに住む種族、
そして相変わらずヨキの態度はきついままで、千晴がこの大陸について無知な事、教わった事を全て覚えきれていない事について、大げさに馬鹿にする態度を示された。
「この様子では、立派な賢竜と成るのに一体何百年かかる事やら」
そう言って鼻で笑うのが常だった。彼のそんな様子を見ても、煌賀は止めてはくれなかった。彼の態度がきつい事を訴えてみても、お前が無知なのは本当だ、馬鹿にされるのが嫌なら何度も同じ事を説明されずに済むようにすればいい、と言われて終わってしまう。
そうして疲れた顔をして部屋に戻ってくると、
そうした日々が続いたある日。授業が終わり、俯いたまま廊下を歩いていると、前を歩く煌賀がこちらを振り返る。
「浮かない顔だな。またヨキに言われた事を気にしているのか?」
図星だったが、彼に弱音を吐いたところでどうしようもない事だとはもう分かっていた。
「……いいよ。私が我慢すればいい事だから」
「別にそんなに気にする事もないだろう」
投げられた言葉に、足が止まる。次いで腹から
相手に嫌みを言われて平気な者がいるのだろうか。お前は馬鹿だ、どうしようもない奴だと毎日言われ、それを我慢しろと言われれば、誰だって腹が立つものではないのか。
「いいよ。煌賀に言ってもどうせ分からないから」
すぐに後ろから彼が追いついて来て、こちらの顔を覗き込む。
「お前、落ち込んでるのか怒ってるのか、どっちなんだ?」
「どっちもだよ!!」
千晴は勢いよく彼の方へ振り向いた。煌賀はたまに、こんなふうに人の気持ちに鈍感な時がある。もしやわざと怒らせようとしているのではと疑うほどだ。そういった彼の態度は、千晴にとって酷く無神経なものに感じられるのだった。
「ヨキに酷い事言われて傷付いてるし、傷付いてるのにそんな事で傷付くなって言う煌賀に怒ってるよ! そんなのいちいち説明しなくても分からない!? 私はここの事何も知らないの! だからこんな事も知らないの、とか覚えきれなかった物に対してこんな事も覚えられないのかって言われたら腹立つよ! 二人にとっては当たり前の事なのかもしれないけど、私にとってはそうじゃないの!!」
「なら、そう言えばいいじゃないか」
「言ったら言ったで、またどうせ言い返されるだけでしょ!? 言い返すのにだって私にはすごく勇気がいるの! そんな簡単に言わないで!!」
そう叫ぶと、床に怒りをぶつけるように踏みつけ歩き出す。長い廊下に大げさな音が響いた。
怒りを全身で表すこちらにどう接するべきか迷っているのか、部屋へと戻る道すがら、煌賀はただ黙ってこちらの後ろに付いてきた。
そうして寝室の扉の前まで戻ってくると、おっかなびっくりこちらの顔色を
「千晴はどうしたい? 俺にどうして欲しい?」
彼を
そんな様子に怒りをぶつける気も失せて、千晴は一つ溜息を吐く。
「別に煌賀が嫌味を言ってる訳じゃないけど、何を言われても気にするな、とは言われたくない。私の気持ちが軽く扱われてる気がする。お前が傷付いたって取るに足らない事だからって言われてる気がする……」
「分かった。気にするな、とはもう言わない」
「あと、たまにテキトーに返事する時あるよね? さっきみたいに、思ってるならそう言えばいいのに、とか。そんな単純に決められない事とかたくさんあるでしょ? 人の心の
「それは、」
煌賀が口を開きかけたその時、部屋の扉が開いた。中から桜花が顔を覗かせる。
「声がしたもので気になりまして。
「……あぁ」
彼女はこちらと目が合うと、いつものように微笑んだ。
「ご夕食の準備が出来ておりますよ」
「ありがとう、桜花。すぐに食べるよ」
にこやかにそう返すと、彼女は一礼して扉を閉めた。閉じられた扉を、煌賀が見つめている。
「……桜花には気を許しているんだな」
「そりゃ、桜花は優しいからね」
腰に手を当て、強い調子でそう返す。
「いつも私の話を最後まで聞いて、気にかけてくれるから」
「そうか……」
そう言うと、彼は
「俺ももっと桜花のように、お前の話を聞いてやればいいのか」
そんな事を真面目な顔で呟く相手に、盛大に眉を
そんなに考えないと思い付かないような事だろうか。この人に友人がいるのか心配になってくる。
怒りも忘れ、
「煌賀って天然なの? たまに抜けてるところがあるっていうか……」
「悪かったな! 人間の考えてる事はいまいち分かんねぇんだよ。そういう心の機微って奴が!」
千晴は首を
「いくら今は賢竜だって、生まれ変わる前は人とコミュニケーション取ってたんじゃないの?」
「会話はしてない」
さらに首を
「
「言語を駆使したコミュニケーションはしていない」
次の言葉に、千晴は目を丸くした。
「前世は人じゃないからな」
「……え?」
意外な答えだった。てっきりどの賢竜も、前世は人なのだろうと思い込んでいたのだ。
「前世の生き物はこれであるべき、なんて決まりはない。この世に存在する生物であれば、どんな者でも賢竜に成り得る可能性があるぞ。俺の前世は、"鳥"だ」
そう言われ、夢の中で見た真っ赤な鳥の姿を思い出した。前世の姿というのは賢竜になった時の姿形にも影響を与えるのだろうか、と疑問が浮かぶ。
「夢の中で見たのって、もしかして煌賀だったのかな……」
「ん? そういえば俺と
「夢合わせって?」
「お前をここに連れて来る前にやっただろう? 誰かと誰かの夢を共有するんだ。お前を見つける為に使った、俺の魔法だ」
どうやらあの夢は彼の魔法だったようだ。そうして夢の中で見た真っ赤な鳥が、やはり彼の転化した姿だった。ヨハンと比べると小さく、
「転化した姿は、前世の生き物に寄せた姿になるものなの?」
「いや、そんな事はない。が、器となった生き物の意識が大きく影響するものでもある。姿や大きさ、毛並みの色だったりは、前世の記憶に影響を受けたりする事が多い」
「へぇ」
あの真っ赤な美しい色にも何か意味があるのだろうか。そんな事を考えていると、煌賀が頭を
「だから悪いが、俺には人の心の機微って奴が理解出来ない時がある。一応努力はするが、あまり期待はしないでくれ……。明日からはもう少し、お前の話を聞いてやれるよう気を付ける」
目の前にいる彼が人の言葉を真似するインコなのだと想像すると、何だかこの不器用な生き物が少しだけ
彼はそれだけ言うと、じゃあな、と
「……明日からじゃなくて、今からは?」
「ん?」
「家じゃ家族皆でご飯食べてたから、桜花は隣で見てるだけだし、一人で食べるのはなんだか
「……分かった。久しぶりに城の飯が食えるな!」
にやりと笑ってみせる彼に、千晴も笑い返した。
その日の夕食は楽しいものだった。彼も昔はこの城で勉強していた事や千晴が暮らしていた下の国での生活の事など、色々な事を語り合った。紙ナプキンを使って手を触れずに鳥を折って見せてくれたりと、彼は簡単な魔法も見せてくれた。
この城に来て食べた食事の中で、今日の夕食が一番美味しかった。
********
それからというもの、
「それで、そのブンカサイというのは何の為にある行事なんだ?」
「うーん、何の為……。学校での思い出作りとか? 意味とかあんまり考えた事なかったけど、楽しいからいつも参加してた」
「千晴の話を聞いていると、お前自身も何の為にやっているか分からないままやってる事が多い気がするな。スウガクやらリカやらエイゴやら。ほとんどの生徒は大人になってからそれらの知識を使わないにも関わらず、周りに勉強させられている」
「そういうのは受験に必要だよ」
「ダイガクという物に進学する為だろう? だが、ダイガクの先には仕事がある。結局そこは通過点に過ぎない訳だ」
「それはそうだけど……。良い大学に入ると、良い仕事が選択できる可能性が高くなるんだよ」
「そういう仕組みになっているのは何となく分かる。ただ俺が言いたいのは、
千晴はうっと言葉を詰まらせた。
「だって勉強は嫌な物だよ……。テストとか点数付けられて、志望の大学決められたり……」
「それは勉強に
「私が知りたいと思うかどうか……」
煌賀は昔を思い出すように天井を見上げた。
「俺は学ぶ事が楽しかったけどな。俺もここで大陸や魔法や種族について色々教えて貰ったが、どれも興味深いものだった。ヨキが教えてくれているのは、今千晴の目の前にある物の事ばかりだ。目の前で起きている事について興味は湧かないか? 何故こうなるのか。何故そうする必要があるのか」
「あんまり、そういうふうに考えた事なかった……。下の学校じゃあ日々の生活で必要な知識ばかりを教えてくれる訳じゃなかったし」
「なら、何故それを聞かない?」
「え?」
赤い瞳で射止められ、
「スウガクやリカを学ぶのは何故だ?」
「何故って……」
「俺は、今学んでいる事と何ら変わりないと思う。それらは本当はお前達の目の前にある物で、大人達はちゃんとそれを教えてくれていたんじゃないのか? 生徒達がそれに気付いていないだけで」
そうなんだろうか?と首を捻る。
「あるいは本質として学んで欲しいものが別にあったのかもな。学校には色々なルールがあったんだろう? 授業は何時からで何時に終わる。発言をする時には手を上げる。人の話を聞いて、自分の意見を言って、人の心の機微を判断してコミュケーションを取る。お前が俺に教えてくれた事だな」
「そっか。そういうのも"学ぶ事"、なのか……」
千晴は勉強の意味をそんなふうに考えた事はなかった。学校は勉強をする為に行く場所で、友人と話したりするのは学校生活のおまけなのだと思っていた。
「コミュニケーション学、とかあったら面白いだろうし、良い点数取れた自信あったのになぁ」
「いいじゃないか、それ。今度、ヨキに試してみろよ」
「どういう事?」
「ヨキと上手くコミュニケーションが取れていない。これも、今お前の目の前にある問題だろう? なら、それを
「どうすればいいの?」
「知らん」
千晴は大きく左に
「そこまで言って、知らんって……」
「俺はその答えを知らない。むしろ心の機微についてなら、お前の方が詳しいだろう?」
「うーん、でも
そう言うと、彼は何とも楽しそうに笑った。
「なら、色々試してみるしかないな」
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