1-3.竜の城

 目の前に、炎が広がっている。周り一体をおおう程の業火だというのに、ほんのりと温かな空気が顔をでていくだけで熱さは感じなかった。背中には、自分を抱きかかえる者の体温を感じる。

 目の前の光景に驚いて動けないでいると、急に視界が開けた。足がゆっくりと地面を踏みしめる感覚を得るや、千晴ちはるは後ろの人物を思い切り突き飛ばした。勢い余って尻もちをつく。


「……っ!!」


 急いで立ち上がり辺りを見回すと、そこには全くもって見覚えのない光景が広がっていた。

 陽が沈み、不揃ふぞろいに生い茂った草木が黒い影のように辺りを覆っている。周りを照らすのは夜空に光る星ばかり。木々の向こうには深い闇が広がっていて、その先に何があるのかは分からなかった。

 千晴はパニックになりながら、目の前の人物にただす。


「ここはどこ!?」

「ヨハンスだ」

「……え?」


 聞き慣れない単語に、気の抜けた声が出る。


「急いでたからか少し狙いがずれたな。こんな森の中に来るつもりはなかったんだが」


 こちらの様子には目もくれず、誘拐犯は頭をぽりぽりときながらそうつぶやいた。

 納得のいく答えが欲しくて、再度彼に問いただす。


「ここはどこなの!?」


 だがそれに対しても、またもや同じ答えが返ってきただけだった。


「だからヨハンスだって」


 彼からはそれ以上の答えを得られず、途方に暮れる。再度辺りを見回してみても、深い闇が広がっているばかりで一筋の光も見出みいだせない。


「ともかく、ヨハンに会いに行くぞ。話はそれからだ」


 そう言って彼がまた手を伸ばしてきたが、千晴は反射的にその手を避けた。


「おい!」


 後ろで声が上がるのが聞こえたが、気にせずきびすを返して走り出す。振り返るのが怖くて、ただがむしゃらに走り続けた。

 暗い森だ。街灯もない。星の光が届かない木陰を横切ると、視界はあっという間に闇にまれた。無我夢中で走っていると、足に何度もぴりりとした痛みが走る。制服のスカートからのぞく足に鋭利えいりな草がかすめ、小さな傷がいくつも付いた。

 そうして少しの間走り続けていたが、とうとう行き止まりにぶち当たってしまう。


「嘘でしょ……」


 高い崖だった。ふちから下を覗き込むと、ごつごつとした岩肌がいくつも連なり、その下には雲がひたすらに広がっている。それは山頂の雲海を思わせた。


「ここ、どこ……」


 ふと、背後で草木を掻き分ける音が聞こえ、あわてて後ろを振り返る。てっきりさっきの人物が追いかけてきたものと思ったが、木陰から姿を現したのは大きな野犬だった。黒い毛並みを逆立たせ、目を爛々らんらんとさせている。野犬は右へ左へまるで値踏みするかのように動きながら、ゆっくりとこちらとの距離を詰めてきた。

 千晴はこの窮地きゅうちを乗り切るための策はないかと必死に考えを巡らしたが、意識は恐怖におかされるばかりで、どうしようという意味をなさない焦燥ばかりが頭を埋める。

 瞬間、野犬が何の前触れもなしに襲い掛かってきた。歯をいて飛びかかってくる姿に身を固くしたその瞬間、視界が赤く染まった。

 きゃうんと高く鳴く声が聞こえ、獣がその場から慌てて逃げ出していく。何が起こったのかと辺りを見回すと、周囲を囲むように半円状に草が焼けげたあとが付いていた。

 訳が分からず困惑こんわくしていると、背後から声が飛んでくる。


「全く、冷や冷やさせてくれるな。みすみすお前を死なせると、俺がどやされるんだからな」


 振り向けば、赤い翼を羽ばたかせて宙に漂っている姿があった。千晴はただ呆然と、その姿を見上げる。


「……あなた、何なんですか? さっきのは一体どうやって……」

「俺は煌賀こうが賢竜けんりゅうだ」

「ケンリュウ……?」


 煌賀と名乗った人物は、こちらに手を差し出した。


「事情が分からず混乱しているだろうが、ここは俺についてきて貰えないか。悪いようにはしないと約束しよう」

「どう、信じろと……」


 こんな所に連れて来られなければ、こんな危険な目にだって会わずに済んだのに。疑いの目で彼を見る。


「ここに連れてきた訳もちゃんと説明する。だが、ここはお前にとっては危険だ。ゆっくりと話も出来ない。俺について来るなら、お前が今日安心して眠れる寝床ねどこを提供すると約束する」

「そんな事より、私を家に帰して!」

「駄目だ」


 きっぱりと言い返され、言葉に詰まる。誘拐犯に頼むには無理がある願いだったかもしれない。


「ここにいたら森の獣達のえさになるのも時間の問題だぞ。今は大人しく、俺に従うのが利口りこうな考えじゃないか?」


 また周りへと視線を向け、耳を澄ます。千晴の耳には葉擦はずれの音しか聞こえなかったが、獣達が息をひそめている重苦しい空気を周囲から感じるような気がした。


「どうする?」


 挑戦的に尋ねられ、息を詰める。苦々し気に相手の顔を見上げた。


「……どこに、行くんですか?」


 森から感じるプレッシャーに耐えきれずそう聞くと、煌賀はぞんざいにななめ上の方角を指し示した。


「あっちだ」


 その雑な説明に気が重くなったが、ここに立ち尽くしている訳にもいかず、千晴は渋々しぶしぶうなずいた。それを見ると相手もよしと頷き、こちらに両手を広げてみせる。躊躇ちゅうちょしたが、ゆるゆると彼の腕の中に身をゆだねた。

 ふわりと背中を包む腕の感触がして、彼が一度大きく羽ばたくと、驚く程簡単に地面から足が離れた。急な浮遊感に小さく悲鳴を上げ、思わず彼の腕にすがり付く。二人はするすると光をさえぎる木々を抜けていった。

 そうして視界が開けた時、千晴の口からは驚嘆きょうたんの声がれた。


 遠くにかすみとなって見える連峰。地の果てまで続く青々とした木々の群れ。その木々を切り取ったように、目の前には大きな湖が見える。湖の水面には大きな影が落ちていて、その影を伝って上を見上げると、それを落とす正体がそこにはあった。

 世界から切り離されたように、島が浮かんでいる。千晴は開いた口がふさがらなかった。

 空に浮かんだ島には城が建っていた。その島全てを覆い尽くす程の巨城だ。真っ白な壁は月の光を浴び、ぼんやりと浮かび上がっているように見えた。


「アルガンド城だ」


 煌賀はぐんぐんと高度を上げていき、その城めがけて飛んでいく。城からは多くの尖塔せんとうが伸びていて、ここからでもかなりの部屋数があるのが見て取れた。

 城の正面側は正門扉に向かって長く通路が伸びており、途中で橋が切り落とされたような形をしている。一方で、反対側はまるで城がぽっかりと口を開けているかのように外に向かって開いたホールがあるようだった。


「今のお前じゃ、正面から行くのは目立ち過ぎる。裏から行くぞ」


 そう言うと、彼はぽっかりと口を開けたホールの方へと飛んでいった。





 ********





 ホールに着くと、煌賀こうがはゆっくりと千晴ちはるを床に降ろした。そこは、ただだだっ広いだけの部屋だった。

 床から天井まで十数メートル、横幅は五十メートルはあるだろうかというほどの広さで、床はみがきあげられた大理石。壁は清潔な白で統一されており、天井には細かな彫刻がほどこされている。

 ただ、ホールのある一角だけは、岩肌がそのまま露出していた。灰色のゴツゴツした岩壁が、白い壁から切り離されている。


「ヨハン、連れて来たぞ」


 背後に立つ煌賀がそう声をかけた途端、岩壁が大きく波打ち、ゆっくりと"首"をもたげた。


 硬い岩肌を思わせる灰色の皮膚。"それ"には翼があり、この広い部屋が窮屈きゅうくつだというように巨大な背中にその翼をぴったりと張り付けていた。床には磨かれた大理石と同じくつるりとした太い爪が、小さく足踏みする度にごとりと音を立てる。巨大な首が動くと、雪崩なだれのように土砂がせまってくる錯覚を覚えた。

 首の先に付いた黄色い目が、こちらを見る。その目だけでも、千晴の身長を裕に超える程の大きさだった。

 それは山のように大きな竜だった。


 あまりの事に、千晴はその場にぺたりと座り込んでしまう。それを見た巨竜は目を細め、うなるように低い声を響かせた。


「ご苦労じゃったの、煌賀」


 空気がびりびりと震える。そのまま身動き出来ないでいると、呼びかけられた煌賀が口を開いた。


「ヨハン、こいつが"けい"で合っているだろう? まだからを被っているようだが、間違いないか」

「あぁ、間違いないよ。この姿は夢で見た事がある」


 話の内容は耳に入っているが、頭を素通りして抜けていく。それよりも、目の前には大きな黄色い目玉ととがった牙があり、それが口を開く度に、腹の奥底を震わすような音が漏れるのだ。

 ふいに、その巨大な双眸そうぼうと目が合った。千晴は小さく悲鳴を上げ、座り込んだまま慌てて後退あとずさった。下がりすぎて、後ろにいた煌賀の足にぶつかる。


「この姿ではゆっくり話が出来なさそうじゃの」


 そう言うや、急に目の前の巨竜の姿がおぼろに揺れた。よおく目をらしてみると、かすみの奥に人影が見えてくる。そうして数度まばたきする内に、長いひげたくわえた老人が姿を現した。


「これで幾分いくぶんか話しやすくなったじゃろう」


 先程より大分高くなった声でそう言うと、老人はにっこりと人が良さそうな笑顔を浮かべた。あまりの出来事に、今度は呆気あっけに取られてほうけてしまう。

 そのまま動けないでいると、背後にいた煌賀に引っ張り上げられ、老人の前へと押し出された。


「初めまして、わしはヨハンと申す」

「あの、千晴と言います……」


 握手を求められ、躊躇ためらいながらもそれに応じる。しわしわの皮膚の感触がした。


「色々な事が一度に起こって混乱しているじゃろう。聞きたい事も多々あるじゃろうが、まずはこの老いぼれの話に耳をかたむけては頂けまいか」


 目の前の老人から敵意や危険は感じられなかった。先程の巨竜は本当に彼だったのだろうか。まるで幻覚でも見ていたような気分で、相手の言葉にただ頷いた。


「では、まず我々について話そう。わしらは賢竜けんりゅうと呼ばれる生き物で、地球に住む他の生き物とは全く別の意図を持って存在しておる者じゃ」


 賢竜。先程も耳にした言葉だ。それが一体、自分と何の関係があるのだろう?

 眉をしかめるこちらを見て、老人はさらに続けた。


「生き物は種を存続させる為に繁殖活動を行うが、これは生き物達に組み込まれた大きなこの星の意図じゃ。輪廻りんねの仕組みとして、親から子へ、子から孫へ、命を繋いでいく事に意味を持つ。しかし賢竜はその輪から外れた生き物。わしらはこの星を監視し、バランスをたもつ為に存在しておる」


 相槌を打つ余裕もなく、言葉にならなかった呼気がただただ吐き出されていく。止める術も分からず、話は続く。


「賢竜は、自身の役割と関係の深い物質に大して深く関与する事が出来るのじゃ」

「役割……?」


 かろうじて拾えた単語を口にすれば、老人は小さく頷いた。


「賢竜は世界で六頭のみ存在する生き物で、この星のバランスを保つ為にそれぞれに定められた力の性質を持っておる。時間、闇、火、水、大地、氷の六つをな。わしは時間、そこの煌賀は火の性質を持った賢竜じゃ」


 指し示されるままに、後ろに立つ煌賀を振り返る。もしかしてこの煌賀という人物も、先程のような竜に姿を変えられたりするのだろうか。


「千晴。お前さんをここに連れてきた理由は、お前さんが大地の性質を持つ賢竜だからじゃ」

「……え!?」


 その声に、慌てて前へと向き直る。老人の黄色い目が、静かにこちらを見据えていた。


「お前さんには、とても重要な役割をになってもらう必要がある」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」


 千晴は慌てて彼の言葉をさえぎった。


「私は竜に変身なんて出来ないし、背中に翼が生えたりもしません! 私はただの人間です! 何かきっと勘違いを……!」

「今はまだ、その準備が整っていないのじゃ」


 今度は相手が、千晴の言葉を遮った。


「お前さんの中には賢竜の命が眠っておる。賢竜は女の腹からも、卵からも産まれてはこない。今生きている生物の中で眠っているのじゃ」

「私の、中……?」

「賢竜は赤子の姿では生まれてこないのじゃ。自分の意思で判断し行動出来るようになるまで、器となっている生き物の中で成長する。そしてその準備が整ったら、賢竜は器として選ばれた生物の殻を破って産まれてくる。今はまだその時ではないが、近い内にお前さんの中に眠る賢竜も目を覚ますじゃろう」

「……なんで、そんな事分かるんですか?」


 疑いを抱いた問いかけの答えは、後ろから返ってきた。


「""は時間の力の性質を持った賢竜だ。ヨハンには予知夢を見る能力がある」


 煌賀の言葉に同意するように、目の前の老人がにっこりと微笑む。目尻に深いしわが刻まれた。


「ちょっと、待って……」


 千晴はやっとの思いでそう口にした。


「私は、違います……。ただの普通の人間です……」


 二人は黙ってこちらの様子を見つめている。


「私は、家に……家に帰らなきゃ……」

「それは出来ん」


 ヨハンはきっぱりと言い切った。途端、千晴の顔が苦渋くじゅうに歪む。


「なんで……!? 急にこんな所に連れて来られて、意味が分かりません……! あなた達の言ってる事も、何もかも意味が分からない……!!」

「賢竜の誰もが、賢竜になるまでは別の生を生きておる。じゃが時がくれば、自分の使命を果たさねばならん」

「でも、私まだ生きてますよ! 私が死んだらの話なんですよね!?」

「……千晴、お前さんは小さな頃に死にかけた事があるんじゃないのかね?」


 言われ、動きを止めた。


「なんで、その事……」

「あの時、お前さんは死ぬはずだったんじゃ。だが、何か予期せぬ事が起きてお前さんは生きながらえた。その時一緒に賢竜の力も目覚めてしまったはずなのじゃ」

「そんな力なんて何も……」

「今はまだ、お前さんという殻が存在しておるから賢竜の力が抑えられているに過ぎん。賢竜の力は強大じゃ。我らとしても、その力が人間達のそばにあるという事を許容する事は出来ん」


 何の事を言っているのか、はっきりと理解は出来なかった。理解する事を脳が拒否していて、話の内容が頭に入ってこない。

 でも、はっきりしている事がある。この人達は、自分を家に帰してくれる気はない。


「私は、これからどうなるんですか……」


 脱力した体で、ようやくそれだけを口にする。不安がまるでおもしのように肩にし掛かった。


「お前さんを丁重に保護する。その上で、何とか賢竜に成る方法を考えねばならん。……こくな事をして申し訳ないが、分かっておくれ」

「私は、」


 そこまで言うと、のどが詰まって声が出なかった。まだまだ聞かなきゃならない事があるはずなのに、答えを聞くのがひどく恐ろしい。

 声を詰まらせて泣いていると、老人のしわしわの手がこちらの肩をさすった。

 混乱している最中さなか、なんて温かい手をした誘拐犯なんだろう、と冷静に物事を考えている自分がいるのを感じていた。

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