1-2.夢の続き

 千晴ちはるは自室の勉強机に座り、天井を見上げていた。蛍光灯の白い光が降り注ぎ、机の上に置かれた紙を白く照らしている。


『あれはあの世だったのかなぁ』


 あの時の事を、あれから何度も思い返した。しかしどうしても、あの時声をかけてくれた者の顔を思い出す事は出来なかった。


『あの世にいたって事は、私が会ったのは死神だったのかな』


 そうしてぼうっとしていると、ふいにノックの音がする。返事をする間もなく、母が部屋に入ってきた。


「千晴、そろそろご飯よ。あら」


 母は机の上の白紙に目をやった。


「進路調査? もうどこの大学に行くか決めたの?」


 千晴は未だ、自分の進路について決める事が出来ないでいた。まだぁ、と上の空で返事をする。


「やりたい事が見つからないなら、家から近い大学にしたら? 家から通えた方が色々安心でしょ?」

「うーん……」


 歯切れの悪い声を返す。


『社会にどんな仕事があるのか、どんな仕組みになってるのかだってよく分かってないのに、どう決めればいいのさ。将来どうなりたいかなんて、十七の子供に決めろっていう方が無理があると思う』


 そんな悪態は飲み込んで、うーん、とかそーだね、などと曖昧あいまいな事を言っていると、母はあきれたように溜息を吐いた。


「あんた、やりたい事とかないの? つまんない子ね~」

「……じゃあ、お母さんのやりたい事ってなんだった?」

「私はお嫁さんになりたかったわ。美味しいごはん作って、旦那と子供の帰りを待って、良いお母さんするのがずっと夢だった」

「参考にならない~」


 その言いようが気に入らなかったのか、母がむくれる。


「あんたにはまだ分からないのよ。そういうあんたが当り前だと思ってるものは、思ってる以上に貴重なものだって事が」

「ふーん」

「あんたにも、いつか自分の家族が出来たら分かるわよ」

「……嫁に行けるかも分かんないし」


 行けるわよ!と母が胸を張る。一体何を根拠にしているのか。

 高校卒業までに死んだら、進路に悩まなくても済むだろうか。ふと、千晴はそんな事を考えていた。





 ********





 夢を見た。

 風が強い。そこは少し小高い丘の上にある公園で、夕焼けが美しい場所だった。

 朱色の空と、下に広がる街を一望する事が出来る。数少ない遊具は夕暮れの光に照らされて、だいだいに色付いていた。


 千晴はその一角に立ち、大きな鳥を見上げていた。その鳥はこちらの身長を遥かにしのぎ、翼を広げると裕に五メートルを超えている。羽毛は夕焼け空と同じ朱色で、それを大きく羽ばたかせると、まるで炎が揺らめいているようだった。

 夕焼け色をした大きな鳥は、こちらをじっと見つめている。その真っ赤な射抜くような瞳と目が合った。炎の色を吸い込んだ目が、宝石のようにきらりときらめく。

 その鳥は、ゆっくりとくちばしを開いた。


「見つけた」






「千晴ー。そろそろ起きなよー」


 揺さぶられる感覚に小さくうめき声を上げて目を開けると、幼馴染おさななじみがこちらの肩に手を掛けていた。


「そろそろ下校時間。急いで片付けないと、担任にどやされるよ」

「……あれ、私寝てた?」

「そりゃもう、ぐっすりね。口ぱっかーんて開けながら!」

「げ、最悪……」


 彼女はけらけらと笑った。


「安心しなよ。文化祭準備さぼってたのは、千晴が今日の片付け全部やるって事でチャラになったから!」

「うわ、皆にばれてるとか……」

「明日、相当いじられるかもね。覚悟しときなよ!」

「……最悪」


 そう言って頭を抱えていると、幼馴染の少女は自分の鞄を肩に引っ掛けた。


「じゃ、私先に帰るから」

「え、片付け手伝ってくんないの? 親友でしょ?」

「こういう時だけ親友呼びかい! 悪いけど、私この後塾あるから」


 じゃーね、とそそくさと教室を去っていってしまう幼馴染を見送り教室を見渡すと、マジックペンや画用紙や段ボールの切れ端なんかがそこかしこに散らばっていた。


「……本当に最悪」


 千晴は重い腰を持ち上げ、掃除道具箱へと足を進めた。





 ********





 すっかり遅くなってしまい、陽が沈み始めた空は真っ赤に染め上げられている。


『あー、明日学校行くの気が重い……。佐々木とか、絶対うざがらみしてくるでしょ……』


 帰路きろの足が重い。この道が明日に繋がっているかと思うと、少しでも先延ばしにしたい気分だった。


『……ちょっと寄り道して行こうかな』


 そう思い、千晴は家路への道をれ脇道へと足を向けた。


 ただ何となく、思いついた場所だった。たまたまさっき見た夢で出てきた場所だったから。ほんのちょっと寄り道するだけのつもりで。

 すぐに帰るつもりだった。






 風が強い。

 階段を上るこちらをかすように、風が背中を押した。

 階段を上りきると、そこには申し訳程度の遊具とベンチがあり、あとは開けたスペースがあるだけの小さな公園だ。丘の端に取り付けられたフェンスの向こうには、夕焼けとだいだいに照らされた町並みが見える。

 千晴はこの場所が好きだった。子供の頃はよくここで友人達と遊んだものだ。大きくなってからはあまり来る機会もなくなったので、この場所が昔と変わってしまったのではないかと心配していたが、どうやら今も変わりないらしい。

 いつもは数人の子供達が遊んでいたりするのだが、今日は珍しく誰もいない。なんだか公園を独り占め出来ているようで嬉しかった。

 フェンスの前まで行き、空と街並みを見つめると、どこもかしこも燃えているように朱色だった。

 その色が、昼間の夢を思い起こさせる。


 夕焼け色の瞳が、こちらを見つめていた。

 大きな朱色の鳥はゆっくりとくちばしを開くと、千晴に言うのだ。

 ――見つけた。


「見つけた」


 驚いて後ろを振り返ると、何とも奇妙な風貌の人が立っていた。

 歳は二十前半か、中性的な顔立ちで、一目では男か女か判断出来ない。見た事もない、変わった民族衣装を身にまとっていた。

 なにより、髪が物凄く長い。腰下にも届く程の長さがある髪は、染め上げたのか朱色一色だった。

 あまりの異様なちに言葉が出ないでいると、その人はさらに続けた。


「本当にただの人間だな」

「へ?」


 言葉の意図を測りかね、固まったまま動く事が出来ない。


「こんな子供を連れ帰って、ヨハンはどうしようというのか……」


 思いの外、相手の声は低かった。口調や立ち振る舞いからして男性なのかもしれない。


「私に、用ですか……?」

「そうだ」


 思い切って声をかけてみると、彼ははっきりそう言った。


「お前を連れて行くのが、俺の役目だ」

「え……」


 背中に、嫌な汗が流れていく。明らかに不審者だ。

 声を上げるべきか悩んでいると、相手はこちらに手を差し出してくる。


「来い」

「い、行く訳ないじゃないですか!」


 彼は一瞬驚いた顔をしたかと思うと、先程よりも強い調子でせまってきた。


「来るんだ!」

「み、見知らぬ人について行ったりなんかしませんよ……!」


 随分ずいぶんいさぎよい人さらいだ。堂々とついて来いなどと、幼稚園児でも言う通りにはしないだろう。

 だが相手はそう思わないのか、先程よりも怒気を含んだ調子で距離を詰めてきた。


「手間を掛けさせるな、さっさとしろ!」

「こ、来ないでください! 大声を上げますよ!」


 そう言い返すと、彼の足がぴたりと止まる。そのままじっと、こちらを見つめていた。


「俺の言う事が聞けないと言うのなら、仕方ない」


 彼の背後から何かが出てくる動きを察知し、咄嗟とっさに大声を上げようとした。

 が次の瞬間、あまりの出来事に声を上げる事も忘れ、千晴はその場から動けなくなってしまう。


 彼の背後から現れたのは、大きな赤い翼だった。

 一体どのような仕掛けになっているのか、その翼を大きく一度羽ばたかせると、彼の体がふわりと宙に浮く。羽ばたきに合わせ、もうもうと砂塵さじんが舞った。


「手荒な真似はしたくなかったが、力ずくで連れて行く」

「……! 誰か助けて!!」


 我に返って大声を上げたが、相手はあっという間に距離を詰めると、その大きな腕と翼で千晴をいとも簡単に抱え上げてしまう。

 そして次の瞬間、視界は業火で埋め尽くされた。

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