1-4.疑念

 目を覚ますと、目の前には真っ白な天井があった。

 そこに彩りを加える金の彫刻のつるが、するすると壁をっている。それを目で追っていくと、先には尾の長い竜がかたどられていた。

 部屋は広く清潔だが、そのスペースに見合わない小さな机と椅子と棚、それにベッドがあるのみで生活感があまり感じられなかった。おそらく客をもてなす為の部屋なのだろう。


 結局、昨日はろくに眠れなかった。寝不足でぼーっとした頭のまま、千晴は昨日の事を思い返していた。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 ヨハンと別れた後、千晴は煌賀こうがにこの部屋へと連れて来られた。


「明日からは自由に城を歩けるようにしてやるから、今日はここから出るな」


 そう言うや、彼はきびすを返してしまう。一人になるのが不安で慌てて引き止めようとするも、彼は心配するなと言うだけだった。


「まだ色々と分からない事だらけで不安だろう。それらについては明日、いくらでも質問させてやる。だが今日はここを出るな。城の者達もお前が来た事で混乱している。とにかくもう休め」


 そうして扉が閉まる。

 途端に心細くなり、とても外に出てみようなどという気は起きなかった。どんな生物と出くわすかも分からなかったし、今の今まで、たった一人で何かを決めて行動しなければならないなんて経験のない事だったのだ。

 いつも誰か大人がそばにいて、千晴の安全を確保してくれていた。当時はそんな事には気付かなかったが、いざ一人になると、どうしようもなく不安が押し寄せてくる。気を抜けば、途端に涙がにじんできた。

 それでも何度か外に出てみようと扉の前まで行くのだが、結局は足がすくんで、ただ立ち尽くすだけで終わってしまう。そうして最後には部屋の片隅にあるベッドにもぐり込むしかなかった。

 ベッドは大の大人二人が横になっても両手を広げられる程大きかったが、朝になるまで、千晴は布団の中で小さくなっていた。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 天井の彫刻を追いながら昨日の記憶を思い起こしていると、扉から一人の女が入って来た。慌てて体を起こすと、その女と視線が合う。

 女は着物のようなゆるやかな服を着ていた。風に揺れる花のようにすそを揺らすと、ゆっくりとした動きでひざまずき、その場でこちらに叩頭こうとうした。驚いて動けないでいると、女は再度立ち上がり棚の前へと移動し、持ってきた衣服を掛けていく。

 美しい女だった。薄くべにを引いた唇が何ともつやっぽい。


「起きたか」


 扉の方に目をやると、煌賀がそこに立っていた。先程の女が急いでその場に叩頭しようとするが、彼は慣れた手付きでそれを制する。


「お前に良い物を持ってきてやったぞ」


 ベッドに近付き、彼は手に持った小さな石ころを見せてきた。


「何ですか、これ?」

言玉ことだまという。賢竜けんりゅうの力が目覚めて魔法が使えるようになるまで、ここの者達の言葉が理解出来ないだろうからな」

「魔法、ですか……」


 馴染みのない言葉に顔が歪む。彼はころりと、こちらの手の中に石を転がした。


「これがあれば言葉に不自由しないまじないが掛けられている。肌身離さず持っていろ」

「ありがとう、ございます」


 どう反応すべきか迷ったその言葉に、棚の前で衣服を整えていた女が振り返る。


「まぁ、こちらの言葉をお話になれるのですね。どのように話しかければよいか迷っていたので、安心致しました」


 彼女は柔和にゅうわ微笑ほほえむと、こちらに居直った。


恵伯けいはくがアルガンド城におられる間、身の回りのお世話をさせて頂く事になりました、桜花おうかと申します。御用ごようがあれば、何なりとお申し付け下さいませ」

「え、あ、はい……」


 桜花はするりとベッドに近寄ってくると、放り捨ててあった千晴の靴を拾い、ベッドのきわまで持ってきてくれた。そのまま跪き、靴をかせてくれる。


「あ、ありがとうございます」


 高校生にもなって靴を履かせて貰うというのは妙に気恥しくて、見上げる彼女の視線を真っ直ぐにとらえられなかった。


「お着替えになられますか?」

「え、あ……はい」


 促されるままにベッドを降り、彼女の後に付いて棚の前まで移動する。


「さっさと準備しろよ。この後、司書官に会いに行く」

「司書官?」

「この城の書物の全てを管理してる奴だ。ま、お前の教育係だな」

「あの……」


 聞きたい事は山ほどある。しかしそのどれもを尋ねる間もなく、彼は手を上げてこちらを制した。


「質問は全部、司書官にしろよ。何でも答えてくれるだろ」

「……はい」


 仕方なしに桜花の方へと向き直ると、今着ている服を脱ぐよううながされた。

 千晴はちらりと背後をうかがい見る。煌賀がベッドの横に仁王立におうだちしたまま、こちらを見ていた。


「あの……」

「ん?」

「いつまでそこにいるんですか……?」

「ん? 何か問題あるか?」

「何かって……!? あるでしょ!!」


 彼はきょとんとした顔をした。


「失礼ながら、焔伯えんはく


 二人の様子を見ていた桜花が口を挟む。


「恵伯は未だ転変てんぺんしておられぬお姿、雌雄しゆうの差がございます。拝見した限り、恵伯は女性であられますので……」

「あぁ、そういう事か。じゃあ外で待ってる」


 しょうがないな、という態度で部屋を出ていく彼を、汚らわしい物を見る目で見送った。煌賀が退出して扉が閉まるのを確認し、千晴はようやく服を脱ぎ始める。


「信じられない! デリカシーがなさすぎる!」

「どうか焔伯をお許しください。賢竜には雌雄の差がありませんので、焔伯はその事について失念していたのでしょう」

「どういう事?」

「簡単に申し上げれば、賢竜に男も女もないのです。賢竜は生殖の為に存在していないので、そういった機能を備えておりません」

「何も、ないっていう事……? その……」


 それを口にするのが何だか恥ずかしくて言葉をにごすと、左様です、と桜花は意をんで答えてくれた。賢竜とは、全くもって不思議な生き物である。


 汚れた服を脱ぐと、用意された服を着せられる。それは何とも変わった服だった。

 上半身は体のラインが分かるぴったりとした形になっているが、そでや裾に向かうにつれ、生地がふんだんに使われて揺れるようになっている。背中部分は大きく穴が開けられ露出していて、すうすうした。それを隠すように、上から緩い羽織を羽織る。

 するすると腕をすべっていくきぬの感触が何とも心地良かった。煌賀に貰った石を握り締めていると、気付いた桜花が小さな巾着袋にそれを入れ、首から下げてくれる。

 背中の紐を結んで貰っている間、千晴は少しでも何かの情報を仕入れようと口を開いた。


「あの、聞いてもいいですか……?」

「はい、何でしょうか?」

「賢竜って、世界に六頭しかいないんですよね?」

「左様です。焔伯と時伯じはくは、もうご存知ですね?」


 煌賀と、昨日会ったヨハンの事だと教えられうなずいた。


「そのお二方と恵伯以外に、三頭の竜がおられます」


 相手の返事に、千晴は眉を寄せる。


「……あの、その恵伯って?」

「あなた様の事でございます」


 桜花が部屋に来てから何度も呼ぶものだからまさかと思っていたが、やはりこちらの事を意味しているらしい。


「私、そんな名前じゃないんですが……」

「これは賢竜に対して使う敬称でございます。賢竜はとうとい方である故に、下々の者が真のお名前を軽々しく呼ぶ事は許されません。その為、それぞれの賢竜がかんする字に伯を付けてお呼びするのがならわしです」

「私、賢竜なのか……よく分かってないんですが……」


 紐を結ぶ彼女の手が、一瞬止まったような気がした。


「全ては時が解決する、と時伯はおっしゃられております。どうか、ご健勝であられますよう」

「はぁ……」


 に落ちない気分で、溜息のような言葉をつぶやいた。





 ********





 着替え終わって部屋を出ると、扉のすぐ横には煌賀こうがが立っていた。


「行くぞ」


 そう言ってさっさと歩き始めてしまう彼を追って、長い廊下を歩きだす。

 外から見た通り、やはり物凄い大きさの城だった。彫刻のほどこされた壁と、白く長い大理石の廊下がどこまでも続いている。通り過ぎる間にも、廊下には木の扉がいくつも並んでいた。

 その長い廊下を進みながら、千晴ちはるは前を歩く人物を見上げる。


「煌賀さん……」

「煌賀でいい。なんだ?」

「私が賢竜けんりゅうだって、本当に思ってる……?」


 少しの間が空いた。その空白が何よりも彼の心境を表している気がした。


「……前の生がある状態で賢竜の力が体現するのは珍しい事だ。それで困惑こんわくするのは難儀なんぎだと思う。だが、ヨハンが言ったんだ。間違いない」

「本当に……? あの人の間違いだった事ってないの?」

「さぁな。だが、俺も同じようにしてここに来た。新しい賢竜がかえる時には、いつもヨハンが予知夢を使って探すらしい」

「煌賀も、ここに無理矢理連れて来られたの?」

「無理矢理って言うか、他に行く所もなかったしな」

「前はどこに居たの?」


 前を歩いていた彼の足が止まる。顔だけをこちらに向けた。


「何故そんな事を聞く?」

「え、だって……煌賀は賢竜だから……。私と同じ境遇の人がいるなら、どんな人なのか知りたくて……」

「……」


 彼は何も言わず、視線をらすとまた歩き始めてしまう。それを早足で追いかけた。


「ねぇ、ごめんなさい。私何かまずい事……」

「着いたぞ」


 こちらの言葉を遮り、彼は一際ひときわ大きな扉の前で足を止めた。

 重厚な木の扉には繊細な彫刻が施され、所々が艶めいて年季が感じられる。草木の周りで妖精達がおどっている彫刻に見入っていると、横から声を掛けられた。


「入る前に忠告しておくが、ヨハンや賢竜を軽んじるような発言はするなよ。ここの奴らは、特にうるさいだろうからな」


 その意味を問い返そうとするが、彼はこちらの返事を待つ事なく、重い扉を開いて中へと入っていってしまった。

 不安な気持ちのまま、千晴は後を追った。

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