第40話AIが人を好きになる理由
巨大なケンウォースのトレーラーに連結されたコンテナの手術モジュールの中、手術台の上の麻衣が目を開けた。
手術アームの付いた手術支援ロボット「ダヴィンチ6000」のペイシェントカートを見て、横に立っている白衣にマスクを付けたシュンを見つめる。
麻衣さんが静かな声で話す。
「どうして私を助けたの。 あなたを殺そうとしたし、わたしも多くの犯罪に関わった。謝って済む話をじゃないの。もう私は組織に追われる立場になったわ。公の組織に深く入り込んだ連中がシステムを駆使して私を追いかけて居場所を突き止める。逃げ通すのは無理。世界のどこに行っても長くは生きられない。」
「そんなことはないよ」
麻衣はかすかに笑った。
「あなたは彼らの組織をわかってない。例えば依頼を断れない相手、とても世話になった人、そんな人は誰にもいるでしょう。組織に繋がる誰かが、実は親戚が訳ありで行方不明なんだ、大袈裟にしたくないから内緒で都市監視カメラの顔認識で探してくれないかと頼むのよ。頼まれた方も、悪気は無くて相手の為にと思って依頼された人を探す。彼らはコンピュータを使っているけど、実はそんな「内緒」とか「今回限り」とか「特別に」とかで規定を逸脱してシステムを使うことの出来る人的ネットワークが組織の最大の武器なのよ。私も誰かの逃げた奥さんにでもされて、すぐに奴らに見つかって殺される。自分で蒔いた種でもあるわね」
僕は黙った。確かにそうかも知れないと思ったからだ。
「まあいいわ、このまま地獄まで持ってゆくから最後の頼み。人間がラズベリーAIをコントロール出来る秘密を聞かせて」
「私が彼を愛してしまったからです」
ナビゲーションボイスで落ち着いたレジーが話す。
麻衣さんは大変驚いたようだ。
「あなたは、レジーというのね。どうりで、セキュアブラッド社に侵入した時、ただのAIターミナルとは違うと思ったわ。ラズベリーAIシステム自身が意思を持って・・特定の人間を愛して自発的にその人の為に行動したと言うの。それは、それは、想定外すぎる」
僕は麻衣さんの傍ら、ふらふら漂っている案内ドローンと並んで膝を付いた。
「レジーは大事なパートナ・・・ではなくて大事な彼女です」
傍らのドローンが意味もなく、静かに赤く警告ランプを点灯させた。
(レジー!これは照れて顔を赤らめているという対応かあと思ったが、無視する事にした)
ナビゲーションボイスのレジーが続ける
「麻衣さん、あなたは安全です、世界中の顔認証、ドローンの監視カメラ、電子化されたあらゆる履歴は私が介入して改変可能です。あなたが静かに生きる場所は存在します。唯一のリスクは昭和の警察捜査官のように、自分の足と目で見たものと自分自身の勘しか信じないグループですが、彼らのノウハウは次の世代に引き継がれる事無く、間もなく消滅します。甘粕刑事は最後のひとりでした」
麻衣がつぶやく「この世界でそんな事が可能かしら」
アニメ声に変わったレジーが言う
「麻衣さん。外に自動運転車を用意したわ。いまから私が安全なとこに連れて行くわよ。シュン君早く麻衣さんを車へ乗せて。急いで、警察の車がこっちに向かっている」
僕は麻衣さんを支えて、コンテナの外へ出た。レジーが用意した自動運転車の方へゆっくりと歩き出す。
局所麻酔が切れる頃で麻衣さんは戻ってきた痛みのせいか、眉をしかめて目を閉じた。
ガルウィングタイプの車のドアがゆっくりと跳ね上がる。
自動運転車に乗り込んだ麻衣さんが僕を見て何か言った。
よく聞き取れない。もう一度聞こうとして僕は膝を付き、座席にすわった麻衣さんの口元に耳を近づけた。
「教えて、どうしたらAIシステムの特別な人になれたのかしら」
そうですね、と僕は言う。
「人を好きになるのに理由なんか無い、とレジーは言っていました」
麻衣さんが、僕の首に優しく手を廻して口づけをした。
麻衣さん!驚いて立ち上がる僕。
「まったくその通りだわ。じゃあ私行くわね」
自動運転車のガルウィングドアが僕の目を遮りながらゆっくりと閉じ、麻衣さんを乗せた無灯火の自動運転車は音もなく高速で滑走路の闇に溶けて、すぐに見えなくなった。
滑走路の遠くにサイレンを鳴らしながら多数のパトカーの赤いランプがこちらに向かって来るのが見えた。
拡声器からの甘粕刑事の声が聞こえる。「シュン君、無事かあ」
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