第3話
「この先、電車が揺れますので、ご注意下さい」
車両が揺れる。それに合わせて、体も揺れる。
無気力に座席に腰掛け、視線だけは、ただ流れる景色を見つめていた。
ブレザーのポケットに手を入れる。持ち物はスマホと、そのケースに入った定期だけだった。リュックはない
悠は、あの後昇降口につくと、あの集団がいる教室に戻る気が起こらなくて、上履きを下駄箱の上に放るとそのまま学校を出てしまった。
一度ため息をつくと、悠は視線を自分の足元に落とし、疲れた頭で先ほどの会話を思い返していった。
西条さんとは、去年同じクラスだった。教室で話したことはほとんどないけど、偶然最寄駅が同じで、たまにホームで会う時には、決まって彼女の方から話しかけに来てくれた。そのまま一緒に電車に乗るが、悠が喋ることはほとんどない。西条さんがずっと喋ってくれるというのもあるけど、基本、何を話したらいいか分からないのだ。話したいことはあるけど、ネガティブな予測が先行して、身動きが取れなくなる、そういう感じ。
ー西条さん、呆れたかな
どうして本当のことを隠したのだろう。余計な心配を、とかではない。多分、単純な見栄だ。
人によく思われようだなんて、まだそんな感情があるんだと思うと、そんな自分が腹立たしく、また虚しくもあった。
もう一度ため息をついて、再び窓の外をぼうっと見ていると、車内の暖房のせいかだんだんと眠くなってきた。
悠がこのまま何処へでも行ってしまえと、まぶたを閉じた、その時。
それを邪魔するかのように、スマホのバイブレーションが鳴った。
メールだった。悠は面倒に思いながらも、ポケットからスマホを取り出し通知を見る。母からだった。
「このノート見覚えある?」
写真が付いている。真ん中には、表紙に”思い出ノート"と書かれた赤いキャンパスノートがあった。
どこか記憶に引っかかって、なんだっけこれと必死に思い出そうとしたが、一旦現れた睡魔が引くことはなく、その思いすらも飲み込んで、悠を眠りに引きずり込んでしまった。
寝ている間、懐かしい夢を見た。
昔の自分、正しくは小学五年生の”はる”が、友達六、七人に囲まれて楽しそうに笑っている。他愛ない会話が、途切れることなく続いていた。
はるは、話題の中心になることは少なかったけど、その分、周りのことをよく見ていた。話についていけていない子がいると、すぐそれに気づき、頃合いを見て声をかけた。例えば、昨日の歌番組が話題のときは、それを見ていない子に「たかしはどんな曲聴くの?」と言った。
はるには自分よりも、みんなが楽しむことの方が大事だった。
“悠"はその会話の様子を、窓の外から眺めていた。後ろを振り返ると、晴れ渡った空の下で、広大な田んぼと民家が点在する、ノスタルジックな景色が広がっている。それをしばらく見ていると、悠のこころはえらく落ち着いた。
今はお昼休み頃かなと思った矢先、真上にあつた太陽は、いきなりすごい速さで沈んで、あっと言う間に夕方になってしまった。
再び教室を見ると、そこには少年が二人だけ残っている。
一人は”はる”で、もう一人は、男子だが、フードを被っていて顔がよく見えない。体型ははると同じ痩せ型で、背はちょっと大きい。
二人は教室の中央で、二者面談みたいに座っていた。フードの子が俯きがちに話し、はるが相槌を打って聞いている。
何か相談事らしいのは分かった。はるは友達からの信頼が厚く、このように相談を受けることもよくあった。はるの方もその度に、誰かの役に立てるのを喜んで、真剣に応じた。
しかし、肝心の内容は、何故かよく聞き取れない。
しばらくすると、フードの子の下に、ぽとり、ぽとりと涙が落ちた。その肩は力が入って震えている。ゆうも、目に涙を浮かべて慰めた。口の動きで、「大丈夫、大丈夫だよ」と言うのがわかる。
一方の”悠”はとうに飽きてしまって、その様子を、何を喋ってんのかなぁと退屈そうに眺めていた。
気づくと、二人は一緒に席を立ち、固い握手を交わしている。話、終わったんだと思ったその瞬間、夢の外で大きな音が響く。
ーまもなく、みたか〜みたか〜
同時に、夢の景色が大きく歪んだ。ところどころが黒く抜けて、その穴はどんどんと大きくなる。
ー待って、もうすこし、もうすこしだけいさせて
悠が必死に手を伸ばす先で、二人の少年は構わずドアへ、否、夢の終わりへと向かって歩いていく。
そのまま二人は一緒に出て行くかと思われた。実際、ドアが開くと、フードの子は先に外に出てしまった。
しかし、景色が黒で染まるその寸前で、”はる”は突然、くるっとこちらを振り向いて言った。
「また、後でね」
夢はそこで途切れた。
驚きとともに飛び起きた。だが落ち着く暇もなく、目の前では、車両のドアが開いている。上の電光掲示板に「三鷹」の文字が見えると、悠は急いで電車を降りた。
ーなんだったんだ、あれ
振り返ると、ドアはもう閉まっている。悠はその場で立ち尽くして、電車の遠ざかっていくのを、ただ呆然と見つめるしかなかった。
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