第4話 奥宮
奥宮は、綾織堂より更に山奥にあった。細々と続く獣道を二十分ほど歩いたろうか。ぱっと木立がとぎれたところに、雪に埋もれた玉垣が現れ、その向こうに小さな社が見えた。
「あれが、真火の奥宮」
ひとりごち、芳彦は鳥居の方にまわった。白雪かかる鳥居が、参拝者を圧倒するかのようにそこにそびえている。そこから麓に向かって、申し訳程度の石段が延々と続いていた。
この道は、里宮と奥宮を繋ぐ絆のようなものだと雪音が言っていた。
同一の神社で社が二カ所にある場合、里方の社を里宮、山にあるものを奥宮という。山の社を日常的祭祀のために里に分けたのが里宮の起源だといわれている。狩谷の総鎮守・真火神社も、重要視されているのはこの奥宮の方だった。例祭や縁日が行われるのは、里宮である。奥宮で祭りが行われないのは、聖域を穢してはならない、騒がせてはいけないという畏怖の気持ちが働いているのに加え、山奥にあるという不便さが関係しているのではないだろうか。
(祭りの日でも、誰も来ないのかな)
それはそれで、寂しい気もする。芳彦は境内に腰を下ろした。信仰心厚い氏子がいるのか、それとも宮司自ら行っているのか、境内は綺麗に除雪されている。この時期、まだ日の上がらぬうちは寒かろうに。思って彼はダウンジャケットの襟を立てた。
「おっ、学生さんじゃないか」
さくさくと雪を踏み分ける音とともに、石段を登ってくる者があった。革のジャケットに身を包んだ青年である。ショルダーバッグを斜めに掛けて、足元を気にしながら歩くあたり、土地のものではなさそうだ。青年は口元を覆う青いマフラーを僅かにずらし、芳彦に笑いかけた。屈託のない笑顔が、彼の年齢を不詳にさせる。
一体誰だろう、と考えて、芳彦は昨夜の青年を思いだした。風呂場で会った、幸信の言うところの”カメラマン風の青年”である。あのときは湯気で顔が見えなかったから判らなかったのだが、こうして日のもとで見ると、思っていたよりもずいぶん若い。二十代半ば、といったところだろうか。
青年は、にこやかに芳彦のもとに歩み寄る。
「熱心だねえ。朝からお勉強?」
彼は芳彦の隣に腰を下ろした。カメラが入っているのか、重そうな鞄を慎重に脇に置く。
「ええと。あなたは」
まだ名前を来ていないことに気づく。と、青年はああ、そうかと手を打った。ごそごそとバッグの中を探り、名刺入れを取り出す。そこから引っぱり出されたのは、真新しい名刺だった。肩書きは特にない。オフィス名と住所、それに電話番号だけが記されている簡素な名刺である。社名のロゴや装飾は一切見受けられない。
「
名前を読み上げると、青年は頷いた。
成人の祭は、子供から大人に生まれ変わる祭。子供として死んで、大人として生まれ変わる。ある地方では子供を仮死状態にさせてから、また息を吹き返させるようなことを実際に行っているという。
「子供を谷底に突き落として、上ってきたものだけを育てるって。あれ、人間にもあるんだよな」
日下部は芳彦の語る話に頷き、合間に意見を述べた。
二人は、雪を踏みならしながら神社の周りをゆっくりと回る。今日、ここで祭が行われるのだ。雪音と、他の二十歳の若者の、成人の祭。
「ここの祭は変わっているって。知ってて来たんだよな。学生さん」
「武田です」
「ああ、武田くん。君も参加したい、なんて思っているわけ?」
日下部は、にやにやと笑いながら尋ねてくる。それが何を意味しているのか。芳彦は僅かに顔をしかめた。確かに、この祭りではあらゆる禁忌が行われると言う。しかし、それは昔の話であって今は行われていない、純粋に成人の祭りを執り行うだけだと幸信はいっていた。
「日下部さん、変なものを期待しているんじゃないでしょうね?」
じとっ、と斜めに見上げれば、日下部は白々しくかぶりを振った。
「とーんでもない。悪いけど、学生さん、ここに関しては俺のほうがよっぽど君より知っているぜ?」
「武田です」
「武田くん。て、ああ、いいだろうが、もう。なんだって」
面倒臭そうに眉を顰める日下部、だがその表情をすぐに消した彼は、幾分誇らしげに言葉を続ける。
「君よりも俺のほうが狩谷に関しては詳しいんだよ。例えばさ。知ってた? 御子って?」
「巫女?」
神楽を踊る巫女のことか。そう思ったのを見透かしてか、日下部は更にニヤリと笑った。
「真火の御子。この祭りから、十月十日後に生まれた子供のこと。そう、この、禁断の夜に出来た子供だ」
芳彦はとっさに返すべき言葉を失った。
碓井の言葉が思い出される。わけみたまの御子。隠し講の夜に出来た子供。禁断の交わりで生を受けた子供。その子供が、成人になると。
(なると、――どうなるんだよ、碓井さん)
答えは結局聞けなかった。もどかしさに、芳彦は眉を寄せる。肝心なところは、まだ何一つ聞いてはいないのだ。しかし、隠し講の日に孕んだ子供ということは、つまり。
(不倫の子?)
倫理に叶わず。
正式な夫婦の間に産まれた子供ではない。芳彦は唾を飲み込んだ。ごくり、と喉が鳴る。
日下部の口振りでは、未だに禁断の交わりが行われているようだ。幸信は否定していたが、それは表向きのことなのか。現在も御子は存在する。存在するどころか、今年の成人の中にも入っているかもしれない。
ふと、脳裏を雪音の面影が掠めた。雪音。彼女は、どうなのだろう。彼女は御子なのだろうか。
「毎年、一人か二人は御子が居るらしい。まあ、ゼロって年もあるけどね」
そこで日下部は一度言葉をきる。やや、間をおいて一言。
「今年は三人、いたらしい」
「さんにん?」
とくっ、と心臓がなった。芳彦は思わず胸を押さえる。
「そう。そういう年は珍しいって。しかも、三人とも女っていうのは」
日下部は、指を折ってその御子の名をあげた。
「杉戸美和子、藤本萌、そして」
「榊井雪音?」
芳彦の声に、日下部は目を見開いた。軽い驚きが瞳の中に宿っている。それが、日下部から得た答えだった。芳彦はスッと目を細める。
「日下部さん。そんなに狩谷について詳しいんだったら、ご存じですよね? 御子の成人の儀が、どんなものかを」
問いに、彼が息を呑むのが分かった。日下部は僅かのあいだ視線を泳がせ、それから芳彦に向き直る。
「聞いて、どうする?」
尋ねる瞳は、真剣だった。あの、おちゃらけた業界人の目ではない。不思議に鋭く、人の心の奥底まで覗き込むような、真摯な瞳。清冽な視線が真直ぐに此方に向けられる。芳彦はその目を見返し、息をついた。わからない。知らず、そう呟いていた。
そう、わからない。なぜ、それを知りたいのか。ただ、昨夜雪音が見せたあの哀しげな拒絶の態度。清廉な双眸に宿る一抹の悲哀の理由が知りたかった。それを知ることは、碓井が殺された理由を知ることになるかもしれない。
芳彦が俯いていると、
「そうだな。知ったら知ったで、また、考えが変わるかもしれない」
「どういうことですか?」
日下部は、さあ、と肩をすくめた。そのあたりを語るつもりはないらしい。
「これは俺も実際見たわけじゃない。人から聞いただけだから、本当のことかも分からない。それをふまえて聞くんなら、話してやってもいいが」
どうだ、という問いかけの視線に、芳彦は頷いた。
「そう。御子達の成人の儀は」
日下部は静かに語り始める。
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