願いの先

 高校生活最後の夏休み。

 それも残り一週間となった日、厳島いつくしまそのは夏祭りの会場である神社に来ていた。

「ちょっと早すぎたかな」

 夕焼けの空が蒸し暑さを際立たせているなか、苑は落ち着いた柄の浴衣姿で鳥居の前に立っている。茶色がかった長い髪は茜色に染まってより輝いてみえた。

 林の合間にあるため、蝉の合唱があたりを埋め尽くしている。

 境内けいだいではすでに屋台や露店が並び、小さな子供を連れた家族がちらほら見える。

「あついなぁ」

 日が沈んでいるとはいえ、日中にじりじりと熱せられた地面からの熱気の暴力は耐え難い。

 しかし、苑にとってはそれすらも夏の思い出として昇華しているようだった。じっとりと汗をかいているがどこか満足そうな表情を浮かべている。

 いままでひとりで過ごしていた季節。友達と遊ぶことがこんなに楽しみなるなんて、あの頃は思えなかった。

「やぁーっぱりもう来てるよ。苑、早すぎ。っていうか浴衣じゃん! いいね!」

 聞きなれた声に、苑は嬉しそうに微笑みかける。

「ありがとう。真尋まひろこそ、早いのね」

「まじめな苑のことだからきっと時間よりうんと早く着いてるだろうから見てこいって、結奈ゆうながね」

 浴衣姿の苑とは対照的に、真尋はジーンズにTシャツという極めてラフな格好だった。短めの髪に胸元が控えめだということもあって、一見すると男の子のようにも見える。

「いつも心配かけてごめんね。それで、結奈はどうしたの?」

「それがさー、来る途中で変なのにつかまったから遅くなるってメールがきた」

「それは……だいじょうぶなの?」

 あまり大丈夫ではなさそうなフレーズに、苑は怪訝そうに聞いた。

 ところが真尋はあっけらかんとして答える。

「へーきだって。あの内容だとたぶんあいつのことだと思うから」

「あいつ? 知ってるひと?」

「うん。結奈の元カレ」

「えっ! お付き合いされてた方がいるんですか?」

 苑は初めて聞いた事実に驚くとともに、とても興味をひかれた。

 思わず真尋へと詰め寄る。

「どんな方なんですか? もしかして同じクラスですか?」

「ちょっと苑、落ち着きなよ。それから、敬語禁止でしょ」

「はい……うん、ごめん。気を付ける」

 そう言うと苑は顔をそらしてうつむいた。その横顔は赤く染まっているが、それは羞恥によるものなのか、それとも夕暮れの演出によるものなのか。真尋はあえて聞きはしなかった。

「興奮するとすぐ敬語に戻るんだからぁ。結奈が来たらちょくせつ聞けばいいよ。まぁ、あいつの話題は嫌がると思うけどね」

「そうなの? それじゃあ聞くのはやめておくわ。残念ね」

「あー、いや、べつに聞くのはいいと思うよ?」

「……? でも嫌なんでしょう?」

 無邪気な顔で言う苑に、真尋はなんと言うべきか目を泳がせる。

「嫌がるだろうけど、聞いていいんだよ? 結奈だって話すのはかまわないと思うし」

「聞かれたくないのに話すのはかまわないの? どうして?」

「えーっと、なんていうのかな。こういう説明は結奈の役目なんだよぉ。はやく来てくれないかなぁ」

 苑の不思議そうな視線にあたふたしていると、ピリリと短く電子音が鳴りだした。真尋はポケットから素早く携帯電話を取り出す。

「結奈なにやってるの! ツッコミがいないとボケが成り立たないよ! えっ? ……うん、うん」

 真尋は結奈だと思われる電話の相手としばらく会話を続けた。時折、屈託のない笑みを浮かべる様子を、苑は羨ましそうに見守っている。

 ふたりは付き合いもそんなに長くないと聞いているけど、短い間柄でどうしたらあそこまで遠慮のない言葉を言い合えるのかな。つい最近まで敬語で話していた私とは全然違う。でもきっとそれは言葉で表せるものじゃないんだろうな。

 きっとふたりには一冊の物語になるような出来事があったんだ。そうして仲を深めていったんだと思う。私にもそんな物語があれば、少しは変われるのかな。

「苑? どした?」

 気づいたら真尋は電話を終えて苑へと向き直っていた。

「ううん。結奈だったの?」

「そうだよ。それでちょっと苑に相談なんだけど」

「相談? なに?」

「実はさっき話してたあいつ、結奈の元カレがね、いっしょに祭りを回りたいっていってるんだけど、どうかな?」

「私たちと、いっしょに……?」

「うん。結奈が断り切れなかったみたいでさ。苑さえよければって」

「私はいいけど、いったいどうして?」

 苑の当たり前の質問に、真尋は複雑な表情をする。

「んー、一言で説明するとね、結奈の元カレ、変なやつなの」

 祭りを回る女子の輪の中に入ってこようとしている。そしてそのうちのひとりは元彼女。その情報だけでも十分に変だとうことは苑にでもわかった。

 その変な男が、あの結奈の元カレだという。謎は深まるばかりだ。

「かまいませんよ、いっしょに行きましょうか。お友達は多い方が楽しそうですし」

「苑……ほんとうは元カレのこといろいろ聞きたいんでしょ」

「えっ? 何言ってるのよ真尋。そんなことするわけないじゃないですか。さっきそう話していたじゃない。どうしてそう思うんですか?」

 早口で弁明する苑に向かって、真尋はにんまりとして言った。

「敬語」



 高校生になってからも友達のいない生活が長かった。

 でも、いまは違う。

 自然に笑いかけることができる友達ができた。

 知らない話題でも理解しあえる友達ができた。

 高校生活最後の夏休み。

 でも、私にとっては、初めての夏休み。

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