4 わたくしたちの新たな関係が始まりますわ

「私の記憶が戻った以上は、クリスティーナの人格が好き勝手やらかす事態は、何としても防ぎます。ですので、私とドミニクとの婚約もなし。アリツェと元の鞘に戻りなさい」


 クリスティーナは僅かにふんぞり返り、力強くポンっと胸を叩いた。


「でも、わたくしは悪役令嬢として、もうすっかり王国内では悪評が……」


 ドミニクとの関係を再構築できるのであれば、これほどうれしい話はない。だが現状では、アリツェは王国上層部に帝国のスパイだと思われている。もはやドミニクと結婚云々の話どころではなかった。


「その点は問題ありません。『聖女』の話なら、皆さん聞いてくれるはずだわ。あなたが国の未来を憂い、わざと悪役を演じた件を、きっちり説明させていただきます」


 クリスティーナは「私に任せなさい!」とアリツェの手をしっかりと握り締めた。


 こうしていると、クリスティーナの元人格とは違って、ミリアの人格は面倒見のよさそうな、優しい女性にアリツェは思えた。


「血のつながりでもって、フェイシア王国とヤゲル王国の結びつきを強化するせっかくの機会を、無くしてしまうのは惜しいのではないでしょうか?」


 国際情勢をにらんだうえでの、今回の婚約破棄だ。ドミニクとクリスティーナの婚約がご破算となれば、今までの悪役令嬢っぷりが無駄になるのではないかとアリツェは不安に駆られた。


「でも、あなたたち二人は愛し合っているのでしょう? 私は人の恋人を寝取るような趣味は持っていません!」


 クリスティーナはわずかに怒気をはらんだ声を張り上げて、大きく頭を振った。


「それに、結婚による両国の関係強化という話ならば……」


 クリスティーナはチラリと部屋の入口に視線を送る。


「そこで聞いているのでしょう? 入っていらっしゃいな」


「クリスティーナ様、兄上……」


 アリツェは振り返って入口に目を遣ると、アレシュが落ち着かない様子で立っていた。


「アレシュ! お前、盗み聞きしていたのか!」


 ドミニクは立ち上がり、アレシュを怒鳴りつけた。


「いいんです、ドミニク様。彼にも事情を知っておいてもらうべきです」


 クリスティーナは慌ててドミニクを制する。ドミニクはわずかに不満げな顔を浮かべたが、再びソファーに座り込んだ。


「私とアレシュ様が結婚すれば、すべて丸く収まると私は思うのです」


 突拍子もない話をクリスティーナは口にした。


「クリスティーナ様! 本当ですか!」


 アレシュは叱られてシュンとしていたのが一転、満面の笑みを浮かべてクリスティーナを見つめた。


「おいおい、聖女様、本気なのかい?」


 ドミニクは信じられないといった面持ちで、クリスティーナに視線を送る。


「よろしいのですか? クリスティ――ミリア様……」


 予想外の提案に、アリツェも何が何やらわからず言葉を濁した。まさか、今度はアリツェに代わってクリスティーナが、フェイシアとヤゲル両国のために泥をかぶろうとしているのだろうか。


「あっ、呼び方はミリアでなく、今までどおりクリスティーナにしてもらえるかな? 事情を知らない者に聞かれたら、面倒だもの」


「はい……」


 アリツェはあらぬ方向に推移する事態に頭がついてゆかず、気のない返事をくれた。


(ミリアなら問題ないぞ。あいつは無類のショタ好きだ。アレシュなんて、どストライクだろうな)


 とそこに、悠太の笑い声が聞こえてきた。


(ショタ……とは、何ですの?)


 久しぶりに悠太から聞き慣れない言葉が飛び出し、アリツェは尋ねた。


(深くは聞くな、きっと後悔する)


(あ、はい……)


 聞いてはいけないらしい。


 ぶつぶつと悠太の「おねショタも悪くない、か?」とつぶやく声が聞こえたが、気にしたら負けだとアリツェは思う。


「どうやらクリスティーナ様のおっしゃるとおりにするのが、皆が幸せになる道のような気が致しますわね」


 クリスティーナの自己犠牲からくる提案というわけでもなさそうだった。であるならば、今ここにいるアリツェ、ドミニク、クリスティーナ、アレシュの四者すべてにとって好都合なこの発案は、受け入れるに値する。


「よし、決まりだな。これで、ボクはアリツェと一緒にいられる!」


 ドミニクは歓喜の声を上げながら、アリツェにギュッと抱き着いた。


「ちょっ、ドミニク。クリスティーナ様とアレシュ様がみていますわ!」


 アリツェは慌ててドミニクの腕を剥がそうとするが、力が違いすぎてひっぺがえせない。


「かまうものか! ボクはずっと我慢してきたんだ!」


 ドミニクはより一層腕に力を入れ、そのままアリツェの頬に口をつけた。


「あぁ……」


 アリツェは抵抗は無駄だと悟り、脱力してドミニクのなすがままにさせた。


「それともう一つ、いい機会だから皆に伝えておこうと思う」


 アリツェを抱きしめつつ、ドミニクはクリスティーナとアレシュに視線を向けた。


「なんですの、ドミニク。改まって」


 態度はともかく、ドミニクの声は真剣だった。


「クリスティーナ様との婚約をもって、ボクが王太子になる予定だったんだ」


「え!? でも、ドミニクのお兄様、いまだ健在ですわよね」


 アリツェはひどく面食らった。第一王子であり王太子でもあるドミニクの兄がいるのに、いったいなぜ、ドミニクに王太子の座が転がり込んでくるのだろう。


「病は癒えて、命の危険はなくなった。だが、どうにも体が弱り、将来国王としての政務をこなせるような体では、なくなってしまったんだ」


 つまり、兄王太子の健康上の理由らしい。国王の政務は多岐にわたり、激務でもある。非情な決断ではあるが、病弱な第一王子ではもはや、将来の国王は務まらないと判断されたのだろう。


「それで、ボクがクリスティーナ王女との婚約を機に王太子になり、ヤゲル王国側から提案のあった連合王国の案を、より一層進めようって話になっていたんだ」


 クリスティーナのわがままから始まった連合王国の話が、まさかここまで現実味を帯びてくるとは、なかなか政治の世界も面白いとアリツェは思う。


「だが、今、状況は変わった。クリスティーナ王女と結婚するのはアレシュになる。であるならば、連合王国案を進めるためにも、アレシュが王太子になるべきだ」


 ドミニクはアレシュの顔を鋭く見つめた。アレシュは驚愕のあまり、すっかり色を失っている。


「ちょ、ちょっとお待ちください、兄上!」


 突然ドミニクから水を向けられて、アレシュは声を上ずらせた。


「アレシュ、覚悟して聞け。もしお前が本気でクリスティーナ様と結ばれたいのなら、父を説得するためにも、お前は王太子になる必要があるんだ」


 決意を促すかのように、ドミニクは厳しい口調でアレシュを責め立てる。


「ぼ、ボクは……」


 さすがに十二歳の少年には荷が重いのだろう、アレシュは言葉を濁した。


「すぐに答えを出せとは言わない。数日ゆっくり考えるんだ」


 ドミニクは立ち上がってアレシュの傍に行くと、グッとアレシュの肩をつかんだ。


「いずれにしても、今後の対帝国戦を睨めば、フェイシアとヤゲルの関係強化は必須だ。そのためには、王子の誰かがクリスティーナ様と婚約を結ぶのが一番なのは、間違いがない。今この状況での適任者は、アレシュ、お前だよ」


 ドミニクは至近距離でアレシュの顔を鋭く見据えた。アレシュはドミニクの視線から逃れるべくうつむくと、そのまま考え込み始めた。


「……わかりました、兄上。ボクも腹を決めました。王太子になります!」


 アレシュはパッと顔を上げると、ドミニクに力強く宣言した。


「よく決断した。……そんな顔をするな。もちろんボクも、公爵としてアレシュをきっちりと支えるから」


 目に涙を浮かべるアレシュの様子を見て、ドミニクは慌ててフォローをした。ポンッと軽くアレシュの頭を叩き、ニカッと笑いかける。


「お願いします、兄上……」


 アリツェはこの瞬間、ほんの少し、アレシュの姿が大きく見えた。

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