5 帝国との全面戦争ですわ!

 クリスティーナの計らいで無事にドミニクの婚約者に戻れたアリツェは、再びドミニクとともにグリューンへ戻った。


 グリューンの街も、少しずつだがかつての賑わいを取り戻してきていた。国境を越えて、隣国ヤゲル王国のクラークの街へ逃げのびていた精霊教関係者たちも、間もなくグリューンへ帰還する予定だ。今はまだ、マルティン前子爵の指示で破壊された教会や孤児院の再建中なので、実際に戻るのは再建が成ってからだろう。


「久しぶりにエマ様に会えますわ。積もる話もありますし、楽しみですわね」


 子爵邸の執務室でアリツェは様々な決裁を行いながら、傍らのソファーに座るドミニクに話しかけた。


 マルティンの精霊教禁教のお触れは、既にアリツェの手により解除されている。エマは、かつてマルティンの手により人さらいに追われていた際に手を差し伸べてくれ、その後も様々な面倒を見てくれた大恩人である。アリツェは再会を心待ちにしていた。


「ボクはエマとはほんの少ししか話をしていないけれど、アリツェの語りぶりを聞いていると、さっぱりとした気持ちのいい女性のようだね」


 かつてグリューンの街にとらわれたアリツェの救出作戦を練る際に、ドミニクとエマは会話をする機会を持ったらしい。アリツェ捜索の拠点として、エマの持ち家を提供する話になったからだ。しかし、その際は必要最小限のやりとりしかできなかったようで、お互いに人となりを知るまでには至らなかったとドミニクは言う。


「えぇ! わたくしの命の恩人でもございますし、グリューンへお戻りになられたら、改めて何かお礼をしなければなりませんわね」


 もはやかつての孤児だった状況とは違う。今はこの子爵領の領主になった。立場に見合うだけの礼を、きちんとするべきだろうとアリツェは考えた。


「それに、孤児院で一緒だった『霊素』持ちのお友達にも、精霊術を教える約束をしているので、きちんと果たさないとですわ」


 アリツェと同い年の子供が二人、孤児院にはいた。彼らも僅かではあるが『霊素』をもっていたので、使い魔の従え方や簡単なマジックアイテムの作り方を教えれば、将来立身出世に役立つはずだ。


「アリツェのお友達、孤児ってことはこの街の出身なんだよね。なら、後々は領地のために働いてもらうのもいいかもしれない。元が孤児では、なかなか条件の良い仕事を探すのも大変だろうし」


「それはよいお考えですわ! さすがドミニク」


 アリツェはパンッと両手を叩いた。


 ラディムがマリエを側近にしようとしたみたいに、アリツェの腹心の部下として領政に関わってもらうのも悪くない考えだ。


「なんにせよ、こうしてアリツェと無事に元の鞘に戻れたんだ。帝国軍が本格的に動き出すまでに、協力してこの子爵領を盛り立てよう!」


 ドミニクは微笑み、アリツェの肩をグイっと抱いた。アリツェはそのままドミニクにもたれかかると、目を閉じて温もりを堪能した。







 アリツェがグリューンに戻り、二週間ほどが経過した。この日は朝からあわただしかった。フェルディナントからの急使がきたからだ。


「ついに動き出したか!」


 急使からの報告を受け、ドミニクは叫んだ。


 報告の内容は、帝国軍がミュニホフを発ち、辺境伯領との境界に向けて進軍をしているというものだった。


「ドミニク、わたくしたちも領軍を率いて、お兄様のところへ駆けつけるべきでは?」


 本格的な戦争に備え、かつてマルティンが整備していた常備軍二百名をさらに倍に増員し、現在訓練の最中だった。


「しかし、今の子爵領の戦力では、かえって邪魔になりそうだよ。ボクたちが個人的に参加したほうが、小回りも効くしいいんじゃないかな?」


 増員分は新兵が多く、最初の基礎訓練もまだ終えていない段階だった。出陣をしたところで、足手まといは確実だと思われる。


「一理ありますわね。ドミニクの剣の腕とわたくしの精霊術で、お兄様の身辺警護に当たるのが一番いいかもしれませんわね」


 アリツェはドミニクの言葉に納得し、うなずいた。大軍で動くにあたり、足並みの乱れは非常にまずい。練度の低い今の子爵領軍は連れて行かないほうがいいと、アリツェも思い直した。


「うん、それがいいよ。なんにせよ、今回の戦はラディムに倒れられたら終わりだ」


「確かに、お兄様を失えば、ムシュカ伯爵もわたくしたち王国側も、帝国を攻める大義名分の一つを失いますわ」


 世界再生教という誤った思想で世界征服を狙う、悪の皇帝ベルナルド。その野望を打ち砕き、代わりに皇位継承権第一位のラディムが帝位につくべき。これがムシュカ伯爵やフェイシア王国側の主張だった。ラディムありきの戦争なので、いなくなれば周辺諸国からの理解を得られない可能性がある。


「厳密にいえば、アリツェにも皇位継承権はあるんだろうけれど、ベルナルドは決して認めないだろうしね」


 ラディム救出時にちらっと対面した際にも、ベルナルドはアリツェを嘘つき呼ばわりし、存在を認めようとはしなかった。ベルナルドばかりではない。アリツェが皇帝に立つと主張をしたところで、納得する者は少ないだろう。元々アリツェの存在は、帝国側には知らされていなかったのだから。何しろ、産んだ母ユリナ・ギーゼブレヒトでさえ、双子であった事実を知らない。


「それに、ボクの妻になるアリツェを、帝国皇帝になんてさせるわけにはいかないさ」


 ドミニクはアリツェを背後から抱きしめると、首筋に口づけをした。


「あ、ドミニク……。いけませんわ!」


 身じろぎして離れようとするが、ドミニクから漏れる吐息の熱に、アリツェは抵抗する気力を失う。


「ふふ、本当にかわいいね、アリツェ」


「ドミニク……」


 耳元でささやかれ、アリツェは甘美な夢の中に落ちていった。







 帝国軍の動静を知ってからの、アリツェとドミニクの行動は速かった。


 アリツェたちはフェルディナントから派遣されている代官に、あれやこれやと領政に関する指示を伝える。綿密に打ち合わせをし、しっかりと引継ぎができたところで、すぐさま旅装を整えると、辺境伯領行きの高速馬車に乗り込んだ。


 二週間ほどでオーミュッツに到着し、辺境伯邸の用意した馬に乗り換え、国境の前線へと向かう。


 帝国と辺境伯領との国境は広大な森が広がっており、その森を縫って走る一本の街道が、両境界間の唯一の連絡手段になっている。辺境伯領軍をはじめとした王国軍は、辺境伯領側の森の入口周辺に陣を張り、その唯一の街道を見張りつつ、帝国側の様子をうかがっていた。


 アリツェとドミニクは、陣の中に張られたひときわ大きな天幕の中に入った。軍の司令部として用意されたものだ。


「お兄様!」


 天幕の中でフェルディナントと談笑しているラディムを見つけ、アリツェは大きな声をあげた。


「あぁ、アリツェ。それにドミニクか。よく来てくれた」


 ラディムはアリツェを見遣り、片手をあげて挨拶をする。


「現状はどうなんだい?」


「今のところ特に問題はない。帝国軍の斥候隊は、見つけ次第難なく押し返しているよ」


 ドミニクの問いに、ラディムは明るい表情で答えた。


「これからの方針は? 帝国内に侵攻する? それとも、このままこの国境で、帝国軍本隊と会戦を行うつもりかい?」


 ドミニクは矢継ぎ早に疑問点を確認する。


 今の王国側の戦力なら、帝国軍本隊ともまともにやりあえるだけの陣容は整っている。なので、迎撃だけではなく、討って出ることも可能だった。


「今、伝令鳩を使ってムシュカ伯爵軍と連絡を取り合っている。ぼちぼち伯爵側が領境を超え、ミュニホフに進軍するはずさ」


 挟み撃ちでうまいこと帝国側の戦力を二分するのが、この作戦の肝だ。伯爵側との連携は欠かせない。


「そうだよな、エリシュカ」


 ラディムは傍に立つエリシュカに視線を向けた。


「はい、殿下っ! 父からの連絡では、そのような手はずになっております」


 エリシュカはにこにこと微笑みながらうなずいた。エリシュカはぴたりとラディムの傍に張り付いており、二人の仲の良さがうかがえる。


「ということは、帝国軍本軍も全力ではこちらに攻めてこられないってわけだね」


「そうなるな。うまいこと伯爵軍と連携を取りながら、じわじわとミュニホフまで攻め入りたい」


 ドミニクの言葉に、ラディムは首肯した。


 と、その時、するするっとトラ柄の子猫がラディムの身体をよじ登り、そのままちょこんと肩に座り込んだ。


「そういえば、ミアちゃん見つかったんですね、お兄様」


 ラディムの使い魔のミアだった。ミアは嬉しそうにラディムの首筋に顔をこすりつけている。


「あぁ、国境地帯で布陣している際に、ミア自ら戻ってきたよ。本当に賢い奴だな」


 ラディムもミアの乗っている側とは逆の手で、ミアの頭をやさしく撫でた。ラディムがベルナルドに捕らえられた際にうまく逃げのびたミアは、しばらく行方が知れなかった。だが、この地に陣を構え始めてからしばらくして、ひょっこりとラディムの前に現れたらしい。国境の森の中で身を潜めていたと、ミア自身は語ったそうだ。


「これで、仔馬のラースも含め、かつての精霊使いカレル・プリンツが率いた四匹の使い魔が、すべてそろったことになりますわ」


 アリツェが子犬のペスと鳩のルゥ、ラディムが子猫のミアと仔馬のラース。悠太の操るカレル・プリンツが、『精霊たちの憂鬱』時代に従えていた使い魔たちだ。


「カレル……悠太はこの四匹を同時に一人で従えていたんだろ? そう考えると、精霊使いとしての実力がいかにすごかったのか、よくわかるな」


 四匹の使い魔がいるということは、イコール四つの属性の精霊術を同時に行使できるということだ。


「そうですわね……」


 ラディムの感嘆の声に、アリツェも同意した。


 今のアリツェには決してできない。悠太の水準に達するには、あとどれほどの修練が必要だろうか。


「国王陛下の話では、間もなくヤゲル王国の援軍も到着するらしい。早急に援軍を出すようにとのヤゲル国王への強い働きかけが、聖女様からあったって聞いているが、アリツェ、聖女様と何かあったのか? 結局、婚約破棄もなくなっているし」


「あっ、申し訳ございませんわ! お兄様のところには、まだ情報が伝わっていらっしゃらなかったのですね」


 ラディムの言葉に、アリツェはしまったと思った。子爵領の安定のことばかり考えていて、ラディムへの報告をすっかり失念していたからだ。聖女については転生者がらみなので、ラディムにも大いに関係がある。きちんと説明しておかなければいけなかった。


「後ほど食事の際にでも、詳しく説明させていただきますわ」


「よろしく頼むよ」


 アリツェの提案にラディムは応じた。


「さて、いよいよ帝国との全面戦争だ。叔父上、アリツェ、ドミニク、それにエリシュカ。必ず勝利をこの手に掴もうっ!」


 ラディムはぐるりと場にいる全員に目を遣り、こぶしを固めて力強く宣言した。







 中央大陸歴八一三年十二月――。


 いよいよバイアー帝国とフェイシア王国との全面戦争の火ぶたが、切って落とされようとしていた。







 第三部 悪役令嬢と王子と聖女と ――完――

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