第十一章 婚約
1 わたくし婚約いたしますわ
中央大陸歴八一三年十月――。
ラディムの処刑危機を回避して、ふた月の時が経った。
ムシュカ伯爵家の反乱から始まった帝国内の内戦は、現状、膠着状態に陥っていた。当初、大規模征伐軍を編成してムシュカ伯爵領を攻略しようとしていたベルナルドだったが、即座にプリンツ辺境伯が軍を上げたため、二方面作戦を取らざるを得なくなり、軍の再編の必要性から一度帝都へ撤兵した。
ムシュカ伯爵領軍もいまだ準備が万全というわけでもないので、領からは出ずに領境付近に布陣をして、様子を見ていた。アリツェの聞いた範囲では、冬までにはムシュカ伯爵領と国境を接しているバルデル公国が、伯爵領軍に援軍を出す予定になっている。
ムシュカ伯爵が精霊教の真実を知るきっかけになった情報をもたらしたのがバルデル公国で、フェイシア王国以上に精霊教の信仰の篤い地域だった。バルデル公国側としては、このままベルナルドを放置していては、フェイシア王国の次に狙われるのは自分たちだとの危機感があった。このため、ムシュカ伯爵を使って、帝国に楔を打ち込みたかったようだ。
プリンツ辺境伯軍も、現在は帝国との国境付近で陣をしいて様子見を決め込んでいる。国王から王国軍編成の宣言が出されたが、今だ編成の作業が終わっておらず、もう少し時間を稼ぐ必要があったからだ。
そのような国際情勢の中、アリツェは辺境伯軍には同行せず、辺境伯邸内に滞在をしていた。
「フェルディナント叔父様は、なぜわたくしを連れて行ってはくださらないのかしら……」
アリツェは口を尖らせた。
成人前の年若い少女が行く場所ではないと、フェルディナントに止められた件が、アリツェには不満でならなかった。
おそらくはラディムも伯爵軍の一員として従軍しているはずだ。双子の妹としては、自分も兄と同じく国の役に立ちたいとの思いがあった。わずかばかりの兄への対抗心も含まれてはいたが。
(確かになぁ。オレたちが同行して、精霊術の補助を得たほうが有利だろうに。フェルディナントの奴は何を企んでいるのやら)
悠太も精霊術の活躍の場を奪われた気分で、フェルディナントの行動に批判的だった。
「叔父様の表情をうかがっていた限りにおいては、どうやら何か、別の意図があるようにわたくしは感じられましたわ」
(アリツェもか。オレもなんだか、フェルディナントの決定の裏には、何やらオレたちには告げられない思惑があるように、思えてならないんだよな)
あれこれとアリツェたちは現状についての不満をぶつけあった。そんな折、自室の扉がノックされた。
「アリツェお嬢様、王都よりドミニク様がお戻りになられたようです。今、応接室でお待ちですので、お出向きいただけますか?」
「わかりましたわ。着替えてすぐに向かいますと、ドミニク様にお伝えくださいませ」
メイドの「承知いたしました」の声を聞き、アリツェは椅子から立ち上がると、クローゼットからいつもの――ドミニクの選んだ薄青色のドレスを手に取った。最近は着るのにも慣れ、メイドの手助けがなくともペスの精霊術の補助で、問題なく一人で身につけられる。
(しかし、急な精霊教王都支部からの呼び出しで王都まで出て行って、またすぐにオーミュッツへ戻ってくるとは、あいつもご苦労なことだな)
「本当ですわね。いったい、何の用事だったのでしょうか。大司教様からの直々のお呼び出しと聞いておりますが……」
(さあてね、下っ端のオレたちにはわからないよなぁ)
あれこれ考えたところで、現状の情報だけではさっぱりだった。
アリツェはドミニクを待たせてはいけないと思い、手早く着替えて応接室に向かった。
「お久しぶりでございますわ、ドミニク様」
応接室のソファーに座るドミニクの姿を見つけ、アリツェは挨拶をした。
久しぶりに見るドミニクは、日に焼けて精悍な顔つきをしている。
「やぁ、アリツェ! 会いたかったよ!」
ドミニクは立ち上がり、両手を広げながらアリツェに近づき、そのまま優しく抱きしめた。
アリツェは体がきゅっとこわばり、かぁっと顔が熱くなるのを感じた。
「ちょ、ちょっとドミニク様。いけませんわ……」
アリツェはどぎまぎとしながらも、抗議の声を上げた。
「ごめんごめん、つい、ね」
ドミニクはアリツェを離し、ぺろりと舌を出した。
落ち着いたところで、アリツェとドミニクは対面する形でソファーへ座り込んだ。
「さて、アリツェに報告をしなければならない話があるんだ。以前、無事に辺境伯領へ戻ったら伝えるといった件も含めてね。まさか帝国から戻るや、すぐに王都へ呼び出しを食らうとは思ってもいなかったので、すぐにアリツェに話せなくて申し訳なく思っているよ」
ドミニクは心苦しそうに苦笑をした。
少しの間をおいて、一転ドミニクは真剣な顔つきに変わり、話し出した。
「アリツェ……、ボクと結婚してくれないか?」
「ほへ!?」
突然の告白に、アリツェは素っ頓狂な声を上げた。
「あ、いや、結婚はまだ早いか……。どうか、ボクと婚約を結んでもらえないだろうか」
アリツェは動揺のあまり、ドミニクの言葉をなかなか理解できなかった。
「あとは君の気持ち次第なんだ。辺境伯からは許可をもらっているし、王都にいるボクの両親も了承済みだ」
すでに外堀は埋められているようだ。あとは、アリツェが首を縦に振るか横に振るかだけ。
「君は知らなかったみたいだけれど、以前、君に贈ったブローチ、あれは、プロポーズに使う物でもあるんだよね」
アリツェは自分の胸につけた、十三歳の誕生日プレゼントとしてドミニクから贈られた、黄金のブローチに目を向けた。
「ちょ、ちょっとお待ちになってくださいませ。突然のお話過ぎて、わたくし何が何やら……」
アリツェは胸に手を当て、激しく鼓動する心臓を落ち着かせようとした。
「確かに、わたくしはドミニク様をお慕いいたしておりますわ。しかし、それがなぜ、急に婚約の話などに? わたくしも曲がりなりにも辺境伯家の一員、叔父様がただの一般人との婚約を、お認めになるとも思えませんわ。……ドミニク様、あなたはいったい? ただの一介の精霊教の伝道師ではないのですか?」
今までも、ドミニクがただの一般人出身の伝道師だとは思えない場面があった。手に持つ剣の鞘の意匠は非常に精巧で、とても庶民階級に手が出せるものではない。対貴族に対する応対もこなれていた。それに、剣の技術を見れば、幼いころからかなりの腕前を持つ者の指導の下に、鍛えられてきたとわかる。何よりも、精霊教の大司教と個人的につながりのある様子に疑問がある。教会の権力外の存在である伝道師が、そう気軽に大司教と面会などできないはずだった。
ここまで考えれば、ドミニクは高位の貴族か豪商の出だと、容易に推測できる。
「……ボクの身分についてが、君に報告をしなければならない二点目だね」
「ドミニク様の、ご身分ですか?」
アリツェはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ボクは、……実は、フェイシア王国の第二王子、ドミニク・ルホツキーという。ヴェチェレクは母方の姓なんだ」
アリツェは卒倒しそうになった。まさか、王子様とは。
「今までだますような真似をしてきて、すまなかったよ。実はね、ボクがアリツェの指導伝道師になったのも、将来の結婚を見越してなんだ」
「なん……ですって……」
アリツェは呆然とドミニクの顔を見つめた。
「あ、でもね。別に仕組まれたから君に結婚を申し込んでいるわけじゃない。ボクは本当に、君のことが好きになってしまったんだ」
アリツェの様子を見て、ドミニクは慌てて弁明をした。
「大司教側は、精霊教最大の庇護者である辺境伯家とフェイシアの王家がつながりを持つことで、王国内の精霊教の地盤を確かなものにしたいといった思惑があるようだね」
あの人のよさそうな大司教、とんだ食わせ物だった。さすがに教会のトップに上り詰めただけのことはあった。
「辺境伯家の娘であれば、王家の結婚相手として、身分上の問題もないから」
ドミニクは頭を掻きながら、「王家って面倒だからねぇ」とこぼした。
事の発端の裏事情はどうあれ、今はもう、アリツェはドミニクを好きになってしまった。大司教たちの手のひらの上で踊らされていた不快感はあるものの、ドミニクとの結婚に異存があるわけでもなかった。
「ドミニク様……、わたくしを、幸せにしていただけますか?」
ドミニクの瞳を、アリツェは鋭く見据えた。
「当然だ! ボクは生涯を、君のために捧げると誓う!」
ドミニクはアリツェの手を取り、ぎゅっと握りしめた。
「……不束者ではございますが、精いっぱい尽くしますわ。ドミニク様、末永くよろしくお願いいたします」
アリツェはニコリと微笑んだ。
それからの辺境伯邸は、非常にあわただしかった。
急使が国境沿いの軍にとどまっているフェルディナントの下に送られた。フェルディナントは軍の指揮を副官に一時的に預け、急ぎオーミュッツへと戻ってきた。
すぐさまフェルディナント、アリツェ、ドミニクの三者で話し合いがもたれ、今後の方針が決定された。王家側の意向については、ドミニクが王都に滞在している際に、すでに指示を受けているとの話だった。今回ドミニクが王都に呼ばれた理由も、どうやらこの婚約に関するあれこれの指示を受けるためだったらしい。
一.婚約の儀は、ひと月後にオーミュッツの辺境伯邸で行われ、この際、国王夫妻も呼ばれる。
二.結婚自体はアリツェの十五歳の誕生日――成人を待って執り行われる。
三.ドミニクは結婚を持って臣籍降下し、公爵となる。領地については近いうちに選定する。
ひと月後に婚約の儀を持ってきたのは、その時期に王国軍の編成が終わり、辺境伯領への進軍が始まるからだ。王国軍の動きに合わせて、国王夫妻もオーミュッツ入りする形になる。
「アリツェ、本当にいいんだね? もう、後戻りはできないぞ?」
フェルディナントはアリツェに向き直り、確認した。
「わたくしも、将来を共にするならドミニク様がいいですわ。後悔いたしません」
アリツェは力強くうなずいた。
「それならいい。……王子殿下、今まではアリツェに隠すためとはいえ、無礼な態度、すみませんでした。どうか姪を……、アリツェをよろしくお願いいたします」
フェルディナントはドミニクに深く頭を垂れた。
「プリンツ卿、そんなにかしこまらないでください。これからは親族になるのですから」
ドミニクは慌てて両手でフェルディナントを制し、顔を上げるよう頼んだ。
「それにボクはあくまで第二王子、結婚すれば王族を離れる身ですからね」
ドミニクは自嘲した。
その後は少し砕けた雰囲気になり、三人であれこれと現状の報告やら今後についてやらを語り合った。
二週間後、王都から早馬が来訪した。
「フェルディナント卿はいらっしゃるか! あと、ドミニク王子殿下は?」
辺境伯邸に駆け込んできた使者は、大分取り乱しているようだった。
「いったい何事だ。フェルディナント卿は今前線だ、私だけだが、話を聞こう」
息を切らせている使者に向けて、ドミニクは告げた。
「王子殿下、た、大変でございます。王太子殿下が……、王太子殿下が、危篤にございます!」
「なんだって!? 兄上が?」
突然の事態にドミニクは動転したのか、使者の両肩をつかみ揺さぶった。
「ドミニク様、いけませんわ! 使者の方が……」
疲労困憊の中、ドミニクに激しくゆすられたためか、使者の表情は真っ青だった。ドミニクはアリツェの指摘で、慌てて使者をつかむ手を離した。
「すまなかった。動転してしまったようだ」
ドミニクの謝罪に、使者は頭を振った。
「いえ、だいじょうぶです。それで、王太子殿下なのですが、昨今王都周辺で流行っていた伝染病に不幸にも罹患し、私が王都を発った時には、意識ももうろうとしていらっしゃる状態で……」
(王太子であるドミニク様の兄上様が危篤……、つまり、ドミニク様に王位が回ってくる可能性が出てくる……?)
アリツェは血の気が引いた。今までは、ドミニクと結婚しても王族になるわけではなかったので、ある程度気楽に考えることができた。だが、ドミニクが王に立ち、アリツェが王妃の立場になるのだとしたら……。
(王族では自由な身動きが取れなくなりますわ……。それでは、わたくしのもう一つの人生の目標、精霊教の布教と精霊術による地核エネルギーの消費に、支障が出てしまうのではないでしょうか?)
アリツェは王太子の無事を祈った。王妃といち公爵夫人とでは、立場上の自由度がまったく変わってくる。
アリツェは胸中がざわめきだした。
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