5 伯爵領へ逃亡ですの?
「ハァッ、ハァッ……。すまない、アリツェ、ドミニク。私のわがままに付き合わせてしまった」
走りながらラディムは謝罪をした。
ベルナルドへの説得を強行し、しかも失敗をした件に、大分責任を感じているようだ。
だが、ラディムの意志に任せようと決めたのは悠太自身だったので、そこまで気に病んでもらいたくはなかった。
「構いませんわ。それよりも、今はとにかく逃げのびることだけを考えてくださいまし」
「どうにか伯爵の先遣部隊と合流したいな」
ドミニクがそう口にしたとき、不意に聞き慣れた、しかし今は聞きたくはない声が耳に飛び込んできた。
「おや? ……ラディム殿下、いけませんなぁ。子供のお遊びも、そこまでですぞ!」
目の前にザハリアーシュの姿を発見し、悠太たちは慌てて立ち止まった。
「ザハリアーシュ、貴様! 私を今までだましていたのか!」
ラディムは血相を変え、ザハリアーシュを怒鳴りつけた。
「フム……、なぜ知っているのかは、今は問わないでおきましょうか。とりあえず、そこの賊と合わせて、捕縛させていただきましょうかね」
ザハリアーシュは懐から何やら奇妙な形の笛を取り出し、口にくわえた。
「そうはいきませんわ!」
笛から妙な霊素を感じた悠太は、何らかのマジックアイテムだと踏んで、慌ててペスに念話で指示を送った。
ペスの体から細く鋭い光の筋が伸び、ザハリアーシュの手に持つ笛に命中し、笛は蒸発した。光の精霊術による熱線だ。高熱で笛を溶かした。
消費霊素が多いうえに、外して壁などに当てると火災を起こしかねなかったので、室内ではあまり使いたくはなかった。だが、一瞬で光から風に切り替える余裕もなかったため、苦肉の策として行使をした。
ただ、おかげでだいぶ霊素を消耗したために、しばらくの間は属性の変更ができない。
「チッ! 貴様、精霊使いか!」
ペスが使い魔だと悟り、ザハリアーシュは慌てて距離を取った。
「今ですわ、さっさと階下に降りますわよ」
ザハリアーシュが後退した隙にできた空間を、悠太たちは一気に駆け抜けた。
最後にペスが振り向き、ザハリアーシュに向けて精霊術による目潰しを食らわせた。ベルナルドに仕掛けたものと同じ術だ。
苦痛の声とともにうずくまるザハリアーシュを尻目に、悠太たちは階段を駆け下りて一階に戻った。
「どうにか一階に戻れたけれど、衛兵たちが騒ぎだしているな」
ドミニクが周囲を見回し、警戒するように剣を抜いて身構える。
「ベルナルドかザハリアーシュから、指示が出たのだろう。……どこから逃げる? お前たちはどこから侵入してきたんだ?」
ラディムもあたりをキョロキョロと確認している。
「裏の勝手口からですわ。……どうしましょう、ドミニク様。強引に正面を突破して、伯爵様と合流いたしますか? それとも、侵入経路と同様に裏手から逃げますか?」
今取れる進路は二つ。宮殿入口側で陽動作戦を行っている伯爵と合流する道と、最初に入ってきた裏の勝手口から脱出する道。
「ちょっと待て、宮殿から出るだけでよければ、皇族専用の秘密の出口があるぞ」
悠太の案に、横からラディムが口をはさんだ。
「それは好都合ですわ! お兄様、さっそく案内をお願いいたしますわ」
ラディムの案が、一番敵の追撃の可能性を防げそうだった。ここは、一番宮殿に詳しいラディムに任せる方がよいだろう。
「こっちだ!」
ラディムは手招きして正面入り口とは反対側に悠太たちを誘導した。
一階のホールが騒がしくなってきた。多数の足音があたりに響き渡る。入口に引きつけられていた衛兵たちが迫っているのか。
(まずいな……)
悠太は焦り、槍をぎゅっと握りしめた。
ラディムは謁見の間に入り、玉座の裏手に回った。絨毯の下に隠された紐を強く引くと、床が開き階段が現れる。
「ここから地下に入るぞ」
ラディムは口にすると、階下へと降りて行った。悠太たちも慌てて後に続く。
「これなら見つからず脱出できそうですわ」
地下道は静まり返っていた。ドミニクの持つカンテラの明かりを頼りに、慎重に歩を進める。
「だといいんだけれど……。皇族専用ということは、当然ベルナルドも知っているんだよね。出口で待ち伏せがないか不安だ」
ドミニクが不穏な予感を口にした。
「いや、先ほどアリツェが陛下の動きを止めたし、あの様子だとしばらくは行動不能だろう。陛下の指示が回るよりも先に、脱出できるはずだ」
ラディムはドミニクの危惧を吹き飛ばすように、自身の考えを話した。
ドミニクの予想が外れてほしいところだが、なかなかどうして、世の中そうは甘くないと思う。
「よし、あそこが出口だ。帝都の外れの井戸に出るはず」
ラディムが出口に手をかけたところで、誰何の大声が響いた。
「何者だ!」
「おいおい、ラディム。やはり待ち伏せされているじゃないか」
ドミニクは頭を抱えて、ラディムに文句を言った。
「いや、あの服装、もともとこの周辺の見回りをしている警備兵だ。宮殿の衛兵ではない。ということは、陛下の指示ではないな」
ラディムは頭を振った。
「では、さっさと精霊術で行動不能にさせてしまいましょう」
アリツェはペスに指示を送り、ベルナルドやザハリアーシュと同様に行動不能にしてしまおうと考えた。
「多勢に無勢か!? 応援を呼ぼう」
警備兵は叫ぶや、懐から一本の笛を取り出し口に当てた。先ほどザハリアーシュが手に持った笛と同様に、わずかに霊素を感じる。
こんな末端の警備兵にまでマジックアイテムが広まっている事実に、悠太は不安が募った。今後、本格的に帝国軍を相手にする際、マジックアイテムの存在を頭に入れて行動しなければならないかもしれない。
これらマジックアイテムは、おそらくは世界再生教の編成した導師部隊の作品だと思われる。いずれはかの部隊とも戦わなければならないかもしれない。子供同士、そして、同じ霊素持ちでもある。できれば戦わずに仲間に引き入れたいが、そのためにはまず、ザハリアーシュを帝国から排除しなければならないだろう。
先は長そうだった……。
「チッ、面倒をかけて!」
ドミニクが舌打ちをした。
と、その時、大きな蹄の音が響き渡り、一匹の仔馬が警備兵に突進した。
警備兵は仔馬の不意打ちに跳ね飛ばされ、そのまま気絶する。
「何事ですの!?」
突然の出来事に、悠太とペスは身動きが取れなかった。
「うっ、なんだこの声は? ……ラースだと?」
そばではラディムがうずくまり、何やらつぶやいている。
「ラースですって!? お兄様、仔馬のラースは『精霊たちの憂鬱』のカレル・プリンツが使役していた使い魔ですわ」
VRMMO『精霊たちの憂鬱』時代にカレルの操った四匹の使い魔、最後の一匹がラースだ。
「こいつが、使い魔……。確かに、カレルの記憶の中にいる仔馬の使い魔とそっくりだ」
ラディムはジッとラースの姿を見つめた。ラースも気づき、ラディムに向かっていなないた。
「どうやらわたくしとは精神リンクがつながっていないようですわ。精霊使いの熟練度がまだ低くて、三体目の使い魔登録ができませんの。お兄様と繋がってはおりませんか?」
悠太にラースの声は聞こえなかった。今の悠太の精霊使いの熟練度は、まだ五〇に達していない。熟練度二五ごとに使役できる使い魔の数が増える関係上、今悠太が扱える使い魔の数は二だ。すでにペスとルゥで埋まっている。
「すまない、わからないな。私はまだ、自分が精霊使いだという事実を受け入れ切れていない。使い魔登録もよくわからないのだ。ミアは向こうから勝手に登録をしていたし」
ラディムは長い間、精霊術を悪と洗脳されてきたのだ。仕方がないだろう。
「おいっ、話はあとだ。警備兵の意識が戻る前に、早く伯爵の下に行こう」
ドミニクが少し苛立ちを見せている。
「あとでわたくしがじっくり、精霊使いの何たるかをお教えいたしますわ。お兄様、今は急ぎましょう」
ドミニクの言うとおり、この場にとどまっていては危険だった。まずは伯爵との合流を果たさねば。
「ラース、あなたもわたくしたちについていらっしゃい」
ラースは悠太の言葉に嬉しそうに声を上げ、後をついてきた。
「あれはラディム殿下!」
悠太たちが皇宮の傍まで近づいたところで、ムシュカ伯爵の声が響いた。
「伯爵様! お兄様を無事、確保いたしましたわ!」
悠太は大声で伯爵に答えた。
「よし、目的は果たした! 全軍撤退、急ぎ帝都を脱出するぞ!」
伯爵はすぐさま撤兵の指示を出した。事前の入念な打ち合わせが功を奏し、先遣部隊の撤収のスピードは速かった。
「お兄様、わたくしたちも!」
悠太はラディムの手を引き、帝都の街門へ駆けだした。
殿の部隊がうまくけん制をしており、悠太たちは問題無く帝都を脱出した。
帝都脱出後、悠太たちは伯爵の用意した馬車に乗り込み、いったんムシュカ伯爵領に落ちのびることにした。
馬車には悠太、ドミニク、ラディム、エリシュカが乗っている。
「殿下! ご無事でよかったです……」
エリシュカは涙を浮かべた。
「エリシュカ。……すまない、心配をかけた」
ラディムはエリシュカの手を取り、ぎゅっと握りしめた。
「そんな……、私は、殿下がご無事なお姿を、こうして拝見できただけで、それで……」
感極まったのか、エリシュカはそれ以上しゃべれなくなった。
「エリシュカ……」
ラディムは震えるエリシュカをそっと抱きしめる。
「殿下……」
エリシュカもラディムに腕を回した。
(……見ていられないな。小っ恥ずかしすぎるぞ)
抱き合う二人を見ないように、悠太は外の景色に目を遣った。
(ただ、ああやってお互いを心配しあえる仲は、うらやましくもあるな……)
悠太は優里菜の姿を脳裏に描いた。だが、その優里菜は、いまだラディムの中で眠ったままだった。
帝国の西のはずれ、ムシュカ伯爵の領地についたアリツェたちは、いったん落ち着くまで屋敷に滞在した。
今後の方針を伯爵と入念に話し合い、時期を決めて帝都に攻め入る方針を確認する。また、定期的な連絡を伝書鳩を通じて行う約束も取り交わした。
一週間ほど滞在したのち、フェルディナントと伯爵家との連携を図るために、アリツェとドミニクはこのまま辺境伯家へと戻ることになった。対帝国戦に参加するにしても、アリツェもドミニクも帝国の人間ではないので、ムシュカ伯爵軍としてではなく、プリンツ辺境伯軍に属して戦うべきだという理由もある。
「お兄様、本当にこの場に残るのですか?」
アリツェは目の前に立つラディムを見つめた。
「すまんな、アリツェ。私はやはり帝国の人間だ。帝国内にとどまっていたい。……それに、マリエの件もまだ、私は消化しきれていないからな」
ラディムは渋面を浮かべた。
「あ……」
アリツェは次の句が継げなかった。今はいくら説得したところで、ラディムは辺境伯家には戻らないだろう。アリツェは確信した。
翌日、アリツェとドミニク、ペスは、伯爵家一同に見送られながら、辺境伯領へ向けて出発した。
中央大陸歴八一三年八月――。
再会を果たした双子の兄妹は、再び袂を分かつ。
そして、二人はこの先、重大な決断を迫られることとなる。
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