5 ミュニホフの街を調査いたしますわ

 中央大陸歴八一三年七月――。


 真夏の照り付ける日差しの下、二頭の馬が街道を疾走していた。


 馬上の二人は、お互いに日差しを避けるため、フードを目深にかぶっていた。陰になり、相手の表情はうかがえない。周囲には、風にあおられ激しく翻るマントの音と、馬の駆ける音だけが響き渡っていた。


「ドミニク様、ミュニホフまではあとどの程度でしょうか?」


 アリツェは横を走るドミニクに尋ねた。


「このペースで進めば、夕方には帝都の城壁が見える距離まで近づけると思う」


 ドミニクは少し考えこんだ後、答えた。


「どういたしましょうか? このまま、ミュニホフまで駆けてしまいましょうか?」


「いや、今からだと到着が深夜だね。街の門が閉まっている可能性が高い。一つ手前の街で宿を取り、翌朝ミュニホフ入りをしようか」


 アリツェの提案にドミニクは首を振った。どうやら、もう少し進んだところに、小さい宿場町があるようだ。そこでの一泊をドミニクは主張した。


 アリツェははやる気持ちを抑えきれなかったが、しかし、さすがに敵の本拠地に無策で飛び込むのも危険であるとは、重々承知している。ドミニクの案に、最終的にはうなずいた。







 ミュニホフ手前の宿場町に到着すると、アリツェたちはすぐに宿を取った。


 必要物資を補給し、宿の食堂で軽い夕食と相成った。空いている隅の席を確保すると、すぐさま女将が注文を取りに来る。


「女将、すまないがこれを買ってきてくれないか?」


 注文を済ませた後、ドミニクが女将に何やらメモを渡した。


「何をお願いなさったのですか?」


 アリツェは首をかしげた。


「ふふ、秘密さ」


 ドミニクはニヤリと笑い、アリツェの問いをはぐらかす。


 食い下がって聞こうと思ったが、ちょうど前菜のサラダが運ばれてきてうやむやになった。


「さて、夕食を食べたら、明日に備えてボクの部屋で少し打ち合わせをしよう」


 今の件はまたあとで追及してみようとアリツェは思い直し、ドミニクに「わかりましたわ」と答えた。







 アリツェは目の前の扉を軽くノックした。


 夕食後なので、本来なら悠太の活動時間だったが、ドミニクからアリツェの人格で来てほしいと懇願されたため、夕食に引き続き、そのままアリツェが主になっている。


 ちなみに、ドミニクには二重人格の事情は説明済みだった。半年前、初めてオーミュッツ郊外でラディムと出会ったとき、悠太と優里菜の人格が会話をし出したのをドミニクに見られており、どうにもごまかしようがなくなっていたからだ。


 最初ドミニクは混乱していたが、やがて、「ああ、なるほど……。確かに思い当たる節が」と呟き、納得したようだった。悠太の悪役令嬢モードと普段のアリツェとのギャップに、元々何やら思うところがあったらしい。


「ドミニク様、よろしいでしょうか?」


 少しの間をおいて、中からドミニクの声が聞こえ、扉が開かれる。


「ああ、待っていたよアリツェ。どうぞ」


 ドミニクはアリツェを中へと誘導し、ベッドサイドに腰を下ろした。


「さぁ、そこにかけてくれ」


 アリツェもドミニクに指示された椅子に腰を掛ける。


「それで、明日なんですが」


 落ち着いたところで、アリツェは明日の行動について確認をしようと口を開いた。


「アリツェ、その前に――」


 ドミニクは突然立ち上がり、ベッドのそば机に置かれた何かを持って、アリツェに近づいた。


「十三歳の誕生日、おめでとう」


 アリツェの前に赤いバラの花束が差し出された。「急なプレゼントで、これくらいしか用意ができなかったけれど」とドミニクは言うが、そもそも、アリツェは誕生日自体祝ってもらえるとは思っていなかった。十分すぎるドミニクの心遣いに、アリツェの顔はかっと熱くなった。


「あ……、ドミニク様、ご存知でしたのね」


 先ほどドミニクが宿の女将に頼んだものは、どうやらこの花束だったようだ。わざわざアリツェの人格を指定して部屋に呼んだのも、この花束を渡すためだろう。


「当り前さ。でもよかった、誕生日の夜に野宿にならなくて」


 ドミニクの言うとおりだった。野宿では、とてもこのような心温まる贈り物は、もらえなかっただろう。


「ふふ、素敵なお花、ありがとうござます」


 アリツェは花束に顔を近づけ、スッと香りを嗅いだ。かぐわしさで、アリツェの心はますます浮き立った。


「それと、これも渡しておくよ。帝都では何があるかわからない。はぐれた時のためにね」


 ドミニクは胸元をごそごそといじくると、何かを外し、アリツェの手に握らせた。


 アリツェがそっと手の平を開くと、一つのブローチが目に入った。おそらくは純金でできている。細工も非常に細かく、一目で高価なものだとわかる。しかもこの意匠、どこかで見たような気がした。はっきりとは思い出せなかったが。


「このブローチ、いつもドミニク様が身につけていらっしゃるものですよね。よろしいのですか?」


 ドミニクにとってかなり大切な物のはずだ。はたして、このような物をもらってしまってもいいのだろうか。


「あぁ、むしろ、ぜひ君に受け取ってほしいんだ……」


 戸惑うアリツェに、ドミニクはニッコリと微笑んだ。


「……ありがとうございます、ドミニク様」


 少し躊躇したものの、アリツェはドミニクの好意を素直に受け止めることにした。


「アリツェ……。ラディムを無事に救出して辺境伯領に戻ったら、君に伝えたいことがある」


 一転、ドミニクはいつになく真剣な面持ちで、アリツェを見据える。


「え? は、はい……。わかりましたわ」


 突然変わった空気に、アリツェは動揺した。ドミニクの表情に、何やら決意めいたものを感じ取ったからだ。ドミニクはアリツェに、いったい何を告げたいのか。


 ……ドミニクの言葉を聞くためにも、無事に辺境伯領へ帰れるよう頑張ろう、そうアリツェは誓った。







 翌日、お昼を少し回るころに、アリツェたちは帝都ミュニホフに到着した。


 今のところ検問のようなものはやっていなかったため、街の中にはすんなりと入ることができた。


 活気あふれるギーゼブレヒト大通りを進み、拠点となる宿を探した。数日は滞在することになるので、なるべくしっかりとしたところを選びたい。


 ドミニクとともに、きょろきょろと周囲を見回しながら歩いた。傍を歩くペスも、久しぶりの散歩のためか、嬉しそうにしっぽを振っている。馬で移動中はずっとアリツェのバッグの中にいたため、大分欲求不満がたまっていたようだ。


「アリツェ、あそこの宿でどうかな?」


 アリツェはドミニクの指さす方向を見遣った。目に飛び込んできたのは、歴史を感じさせる重厚なレンガ造りの建物だった。ぱっと見の客層も悪くなさそうだ。


「よろしいと思いますわ。では、あの宿にいたしましょうか」


「実は以前、一回ミュニホフに来たことがあるんだけれど、その時に利用した宿なんだ。質は保障するよ」


 なんと、ドミニクはミュニホフに来た経験があるらしい。言ってくれればよかったのに、とアリツェは思った。


「まだ七、八歳くらいの頃だったからね。はっきりと覚えているわけじゃないんだ。実際にこの場に来て初めて、泊まった宿の存在を思い出せた程度だよ」


 ドミニクは自嘲した。


 そのままドミニクの案内の下、宿にチェックインを済ませた。資金的に別々の部屋を取るのは難しかったため、今回はドミニクと相部屋だ。少し、緊張する。


「じゃあ、これから少し、市中に出て情報収集かな?」


「そうですわね。手分けして探しましょうか」


 ドミニクの提案に、アリツェは首肯した。何よりまずは、帝都の情勢調査だ。そして、できるだけラディムの現状についても確認をしたい。


「アリツェを一人にするのは不安だなぁ。いくらミュニホフの治安は良好とは言っても」


 二手に分かれるのは危険だと、ドミニクは渋った。


「心配ご無用ですわ、ドミニク様。ペスがいれば、精霊術でいかようにでもなりますもの」


 アリツェはドミニクの顔を見上げて、「わたくしの腕前、ドミニク様はよくご存じでいらっしゃいますよね」と言いながら微笑んだ。


「確かにそうなんだけれど……」


 ふうっとドミニクはため息をついた。「少しはボクにもいい格好をさせてほしいなぁ」と呟いている。


「まぁ、二人で別々に調べたほうが効率的なのは、間違いないか。ペス、アリツェをくれぐれも頼むよ」


 ドミニクの言葉に、ペスは元気よく吠えて答えた。







 その夜、情報収集を終えて宿に戻った悠太(夜モード)とドミニクは、部屋で今後の作戦会議を始めた。


 街を歩いて得られた情報は、大きく四つだ。


一.ラディム処刑の具体的日程が告知され、処刑までの残り日数が一か月半。ラディムは地下牢で監禁され、一切の面会が不能。


二.ミュニホフの治安はすこぶる良好で、反乱等の兆しもなし。皇帝ベルナルドの治世への不満も特になし。皇帝親征軍の途中帰還も、裏切り者の第一皇子を連れての続行は無理だと皇帝が判断したのは当然だと、市民は理解している模様。


三.ラディムに対する批判の声が大きい。準成人の儀式での宣言を破った裏切り者だとの罵倒の声も有り。現状でラディムを救出しても、ラディム側に立って動いてくれる帝国国民がどれほどいるか未知数。


四.フェルディナントに情報をもたらしたムシュカ伯爵家は、おそらく戦準備のためだろう、帝都の屋敷を空にして領地に帰っているらしく、接触ができなかった。


「だいぶ、皇帝側の宣伝工作がうまくいっているみたいだね。完全に悪役になっているよ、ラディムは」


 ドミニクは渋面を浮かべた。


「困りましたわね。これでは帝都内で協力者を探すのは無理でしょうか。誰か内情に詳しい者を、引き入れられればよろしいかと思ったのですが」


「そうなんだよねぇ。宮殿に侵入するにしても、内部の状況がまったく分からない。どうにか皇帝に不満を持つ人間を協力者に仕立て上げたかったんだけれど、現状では、難しいと言わざるを得ないね。頼みのムシュカ伯爵家も、今帝都にいないのでは仕方がない」


 悠太もドミニクも、ミュニホフの内情にはまったく明るくない。いくら精霊術を駆使して隠密行動がとれるとはいっても、宮殿の潜入経路さえわからない現状では、どうしようもなかった。


 ムシュカ伯爵と接触できれば、伯爵の娘でラディム付きだった侍女の話も聞け、一気に情報が得られそうだったのだが……。


「それに、この状況では無事に助け出せたとしても、その後が大変そうですわ。叔父様の言うとおりに反皇帝でお兄様を担ぎ上げても、帝国国民にそっぽを向かれてしまう可能性が高いですわ」


 たとえ帝国軍を打ち破れたとしても、今のラディムの評判では国民が付いてこない。ラディムが新皇帝に即位すれば外征は止まるだろうが、今度は帝国内がボロボロになりかねない。国民が従わなければ、治世は立ち行かないからだ。


 それに、一般民衆だけではない。現状では、ムシュカ伯爵以外の貴族に関しても、どう転ぶかが予測不能だった。


「前途多難だねぇ……」


 ドミニクは頭を振り、大きくため息をついた。


「とりあえず明日、もう少し情報収集に回ってみたいと思うのですがいかがかしら?」


「アリツェの望むままに。じゃあ、また明日も二手に分かれて、今日は回れなかった地域を回ってみようか」


 悠太とドミニクはうなずきあった。


「では、今日はもう就寝しよう」


 ドミニクは水浴びをするため、部屋を出た。







(夜がオレでよかったな。アリツェのままじゃ、ドミニクと二人っきりで夜を過ごすなんて、きっと無理だろう)


 悠太は苦笑をした。


(けれど、最近、オレもちょっとおかしいんだよなぁ……。ドミニクに触れられても、以前のような、男にベタベタ触られているといった不快感は、感じなくなってきている。もしかして、アリツェの精神に引きずられているのか?)


 馬鹿な想像に、悠太は慌てて頭を振った。


(いまさらアリツェの人格との統合が始まっているのか? いやいや、この期に及んで女になりきれと言われても、オレには無理だぞ。それに、せっかく優里菜に出会えたんだ。オレは、優里菜が好きなんだ)


 悠太は自らを言い含める。


(……でも、オレがこのまま女になってしまえば、身体は男になっている今の優里菜と、結ばれることも可能になるんじゃ?)


 悠太は今、自分が思い至った考えに戦慄した。


(ああああああああっ! オレのバカバカバカ! 何てこと、考えているんだ)


 頭をぽかぽかと叩き、悠太は必死に邪念を振り払おうとした。


(やっぱりオレ、ちょっとおかしいな。さっさと寝てしまうか……)


 これ以上の思考は泥沼にはまる、そう悠太は感じ、すぐさまベッドに飛び込んだ。







 翌日、悠太の悩みなどまったく知らないアリツェは、ご機嫌に街へと繰り出した。


 ドミニクと別れて、今日は貴族街周辺の聞き込みに回る。


「悠太様、どのあたりを回ればよろしいでしょうか?」


 アリツェは悠太に話しかけた。だが――。


(……)


 悠太の返事はなかった。


「悠太様?」


 やはり返事が返ってこなかった。アリツェは訝しんだが、もしかしたら疲れているのかもしれないと思い、これ以上の問いかけは止めた。


 アリツェはそのまま、ペスとともに街を回る。


「うーん、やはりこれ以上の情報は集まりそうにないですわ。困りましたわね……」


 ムシュカ伯爵邸は、昨日の情報どおり空っぽだった。その後、夕方まで歩き回ったものの、他にめぼしい情報もない。残念ながら、ドミニクも同様だった。


 結局、これ以上はらちが明かないと判断したアリツェたちは、深夜に宮殿へ、精霊術を駆使して無理やり忍び込むことを決意した。

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