4 お兄様が処刑ですって!?

「万が一、私の身に何かあったら、子猫のミアをよろしく頼みたい」


 部屋の隅でおとなしく眠っているミアを、ラディムは指さした。


「もちろんですわ! ミアは悠太様の使い魔でもありました。面倒を見るのは当然の話ですわ」


 ラディムに言われるまでもない。悠太がミアを愛していた様子は、記憶の中のカレル・プリンツの姿を思い出せばすぐにわかる。ミアもカレル・プリンツに深く懐いていたし、アリツェが面倒を見る事態になっても、納得はするだろう。


「そういってもらえると、心強いな」


 安心したのか、ラディムはホッと吐息を漏らした。


「お任せくださいまし」


 アリツェは胸をそらし、ポンッと胸板を叩いた。


「それともう一つ。いや、むしろこっちが本命というか……。今、王都にマリエという名の黒髪の少女が、帝都の世界再生教会より派遣されている。悪いが、辺境伯家で彼女の後見をしてやってもらえないか?」


 ラディムの言葉に、アリツェは一瞬固まった。


「え!? ……世界再生教の、マリエ様ですか?」


「知っているのか?」


 アリツェの裏返った声に、ラディムは不審そうに首をかしげた。


「あ、いえ……。黒髪の少女で、マリエという名の世界再生教の導師と戦った経験があるのですが、ただ、王都ではなくプリンツ子爵領でですわ」


 アリツェは背筋に冷汗が流れ出るのを感じた。なんだか、いやな予感がする。


「じゃあ別人かな? でも、符合する点が多くて、気になるな」


 ラディムは顎に手を添えながら、首をひねって考え込んだ。


「そういえば、王都から派遣されたと、口にしていたような記憶も……」


 子爵邸で盗み聞いた養父マルティンとマリエとの会話の中に、何やらそんな内容が含まれていた気がする。


「じゃあ、本人の可能性が高いな。あ、戦ったって言うなら、マリエは不思議な拘束術を使ってこなかったか? こう、透明の腕が絡みつく感じの」


 アリツェは頭を抱えた。間違いなく、アリツェの戦ったマリエは、ラディムの口にしているマリエと同一人物だ。


「まさしく、そのとおりですわ。わたくし一度、その拘束術にしてやられましたもの」


 毛糸球のようなマジックアイテムを投げつけられるや、おぞましい腕のようなものが身体を這いつくばり、がんじがらめに縛り上げられた。戦ったのは悠太だが、アリツェは悠太の記憶を通じてその感触を思い出し、身体をぶるっと震わせた。


「間違いない、マリエだ」


 件の人物だと確信して、ラディムは嬉しそうにつぶやいた。


 やれマリエは魔術の天才だった、やれマリエは別人格の記憶を持っていて、脳の知識が豊富だった。などなど。状況が状況だけに、最初はマリエがもう一人のテストプレイヤーで、転生者なのではないかとさえラディムは疑ったと言う。結局は、もう一人はアリツェだったので、推論は間違っていたけれど、とラディムは最後に付け加えた。


「それでその、マリエ様なのですが……」


 嬉々として話すラディムの姿を見るのは辛く、アリツェは言葉を濁した。


 この先の事実を言いたくはなかった。だが言わなければならない。ラディムはこれから、死地とでも言うべき場所へと赴こうとしている。今、真実を告げなければダメだ。


 ――アリツェがマリエを殺害した、決して消すことの敵わない忌まわしき事実を……。


「可愛い奴だっただろう? 勉強熱心で、私のことを随分と慕ってくれた。早く、会いたいものだな」


 ニコニコと笑うラディムの顔を、アリツェは直視できなかった。


「実は……」


 言わなければ。告げなければ。伝えなければ……。


「精霊教の誤解を解けば、きっとマリエはアリツェのいい友人になれると思う。私から紹介してやろう」


 アリツェの葛藤にはまったく気付かず、ラディムはマリエの話を続ける。


「いえ、あの……。マリエ様は……」


「ん、どうした?」


 ようやく、アリツェの様子がおかしいことにラディムも気づいたようだ。


「わたくしが――」


 アリツェは、ここからの記憶があいまいになった。激しくラディムと言い争ったような記憶が、かすかにある。


 お互いの立場から、それぞれ譲れない点があり、最後は喧嘩別れのようになった。


 最後に見せたラディムのゆがんだ顔だけは、ぼんやりしたアリツェの記憶の中にも、くっきりと刻まれている。あの表情は、忘れたくても、忘れられないだろう。


「アリツェがそんな人間だとは、失望した。私は、もうこの地へは戻らないだろう!」


 吐き捨てるように怒鳴ったラディムによって、アリツェは部屋から叩き出された。


 その後、アリツェはラディムと話す機会を持てずじまいだった。


 翌日、フェルディナントから、ラディムが帝国軍陣地へと戻ったと伝えられる。ミアの姿も見えないことから、ラディムに同行したのだろう。


 なんとも後味の悪い別れになった。だが、あの時のアリツェには、マリエを屠る以外の選択肢がなかった。どうしようもなかった。今、あの時に戻ったとしても、別の道を選び取れるとは思えない。マリエの態度は頑なで、アリツェの言葉には一切、耳を貸そうとはしなかったのだから。


 マリエはつぶやいていた。「大恩あるあの方を裏切れない」と。『あの方』とは、きっと、ラディムなのだろう。


 さらに翌日、アリツェは帝国が軍を引いたとの知らせを受けた。無事にラディムが皇帝を説得できたようだ。


 結局、ラディムはそのまま辺境伯家に戻らなかった。やはり、アリツェとのいさかいが原因かもしれない。ラディムは辺境伯領へは戻らないと宣言をして、出て行ったのだから。







 帝国軍が引いて、半年が経過した。


 いまだにラディムは戻らない。アリツェの気持ちは、なかなか晴れなかった。双子の片割れである兄ラディムとの不幸な別れが、アリツェの心に大きな重しとなって残っていた。


 帝国軍は撤兵以来、辺境伯領へ再度攻め込むような気配は見せていない。表面上は、バイアー帝国とフェイシア王国の間には平穏な時が流れている。


 今回の皇帝親征の後始末に関しては、王国側から帝国へ抗議を行うにとどめられた。


 王国側にまだ戦争の準備が整っていないこと、プリンツ辺境伯領では一切の戦闘行為が行われなかったこと、辺境伯領内で問題になっていた魔獣を帝国軍が撃退したこと。以上の三点から、賠償を求めたりしてこじれるよりは、大事にしない方向で調整がされたと、フェルディナントは語っていた。


 そんな折、急を知らせる伝令が辺境伯邸に舞い込んできた。


「た、大変です!」


 屋敷の入口で、伝令の騎士が荒く息をついている。


 アリツェとフェルディナントは、大急ぎで伝令の元へと駆け付けた。


「フェルディナント様、一大事です!」


 騎士はフェルディナントの姿を確認するや、声を張り上げた。


「何があった? お前は確か、帝都ミュニホフに潜入させていた者だよな」


 騎士はうなずいた。


 アリツェは嫌な予感がした。ミュニホフで何かがあった。つまりは、ラディムの身に何かがあったのではないか、と。


「ラディム様が……、このままでは、ラディム様が処刑されます!」


 予感が、的中した。


「現時点でわかっている事実を述べよ!」


 フェルディナントは顔をゆがめている。


「帝国軍撤兵後のラディム様の様子を探るよう命令されておりましたので、ミュニホフ内でラディム様と近しかったものを探し、情報を得ようと試みました」


 どうやら秘かに、フェルディナントはラディムの動向を追わせていたようだ。


「そこで、私はラディム様付きの侍女をしていた娘の親である、ムシュカ伯爵の存在を知りました」


 ムシュカ伯爵といえば、帝国でもかなりの有力者だったと記憶している。


「うまいこと伯爵家の使用人にわたりをつけ、伯爵本人と話す機会をもてたのですが、そこでラディム様が皇帝ベルナルドの手によって、地下牢に監禁されていると知りました」


 監禁されている……。つまり、ラディムはベルナルドの説得に失敗したのか。だが、それならなぜ、帝国軍は辺境伯領からいったん兵を引いたのだろうか。


「ムシュカ伯爵は、侍女をしていた娘エリシュカの懇願もあり、ラディム様側に与し、皇帝軍と一戦交える覚悟をすべきかと悩んでいるご様子でした」


 いくらムシュカ伯爵が有力貴族であっても、帝国軍と戦って勝てるとは思えない。勝算のない戦いに挑む理由など、あるのだろうか。娘の言葉だけで家の存続を危うくするような真似はしないのでは、とアリツェは思った。


「どうやらムシュカ伯爵は、他国と接する領地の領主という立場から、精霊教に関する正しい情報を得ていたようです。接している国が、わがプリンツ辺境伯領と同じくらい、精霊に理解があるようでして。そのために、無理やり外征で精霊教を駆逐しようとする皇帝のやり方に、もともと疑問を抱いていたと話していました」


 ということは、ラディムの件を抜きにしても、伯爵は反皇帝で、反乱の機会をうかがっていたと、そういう話だろうか。ただ、宗教問題があるとはいえ、皇帝の治世自体は、国民に人気があったとも聞いている。今のアリツェの情報だけでは、どうにも判断がつかなかった。


「そんな中、帝国政府から大々的にお触れが出されました。二か月後に、逆賊の第一皇子ラディムの処刑を執り行うと。つまり、帝国国民に対しての見せしめです」


 二か月……。あまり時間が残されてはいない。


 先だっての皇帝親征軍は、大軍に加え、各村々に必ず一日から数日滞在していたこともあり、ミュニホフからオーミュッツまで二か月半の時間をかけていた。だが、たとえ行軍を急いだとしても、軍隊規模では、やはり一か月以上はかかるはずだ。であるならば、たとえ今すぐ辺境伯軍を編成しミュニホフに進軍をしても、間に合うかどうかが微妙だと思われた。


 目の前の伝令の騎士は、早馬を乗り潰しながら駆けてきただろうから、四日程度で移動ができた。しかし、この手段は多人数ではまず実行できない。


「ムシュカ伯爵は急ぎ領地に戻り、軍の編成に入るそうです。私に対しては、王国軍との連携をとれないか、フェルディナント様に話してくれないかと頼まれました」


 ムシュカ伯爵領とプリンツ辺境伯領は、帝都ミュニホフを中心に、ちょうど正反対の位置にある。つまり、王国側が挙兵すれば、ムシュカ伯爵軍とで帝国軍を挟み撃ちにできる。


「それで、こうして急ぎ舞い戻った次第です」


 フェルディナントは腕を組み、目をつぶって考え込んだ。


「皇帝はおそらく、ラディム様の処刑をとおして国民の結束をより高め、その士気の余勢をもって一気に王国侵攻を企てているのではないか、と伯爵は見立てていました」


 そのためにわざわざ一度軍を引いてまで、帝都の民衆の前で公開処刑を行うのだと騎士は言う。


 先だっての皇帝親征軍は、順調に行軍していったとはいえ、戦闘らしい戦闘はまったくしていなかった。王国組みやすしと油断して、すっかり緩みきった兵たちの士気を考えれば、あのまま王都まで攻め入るよりも、一度帝都で綱紀粛正を図った方が良いと判断したのだろう。


「これはまずいな……。今、ラディムを失うわけにはいかない。まだ準備不足ではあるが、ムシュカ伯爵家の加勢もあるなら、やれなくはないか……?」


 フェルディナントは表情をゆがませ、どうしたものかとうなり声をあげた。


「よし、お前は再び帝国へ戻り、ムシュカ伯爵に伝えよ。承知したとな。王国軍を出す。少なくとも、我が領軍は確実に出す、と」


 しばらくして、フェルディナントは決断したのか、伝令に新たな指示を与えた。


 とうとう戦争になる。中央大陸の大国二か国の戦争だ。


「おい、別の伝令を用意してくれ。行先は王都だ。王国軍の編成を王に頼むぞ!」


 フェルディナントは新たな伝令が呼ばれる間に、国王へ向けての書状をしたため始めた。


(わたくしはどうすべきでしょうか……。叔父様とともに、辺境伯領軍に加わって、お兄様の奪還を目指す?)


 ラディムの救援には向かいたい。だが、アリツェは軍務の経験がない。悠太の精霊術があるので、役に立てる自信はあるが、ただ、今のアリツェに、戦場で対人戦ができるかという問題もある。マリエ一人を手にかけただけで、相当なショックを受けたのだ。


(アリツェ、領軍と行動を共にするのではなく、先行してオレたちだけでミュニホフに潜入しないか?)


 悠太がアリツェの思考に割り込んできた。


(ミュニホフまでの距離や処刑までの残された時間を考えれば、身軽な状態で急行した方がいいと、オレは思うぞ)


 辺境伯領軍に同行すれば、ミュニホフに着くまでにひと月以上かかる。最悪、処刑に間に合わない恐れもある。時間が惜しいと悠太は言った。


(そう、ですわね……。わたくしたちだけであれば、馬を乗り継ぎ乗り継ぎで、一週間程度でミュニホフ入りができそうですわね)


 悠太の提案に、アリツェも納得がいった。むしろ、少人数で精霊術を駆使した方が、動きやすい分かえって好都合かもしれない。


 子爵領を脱出した時のように、精霊術を使って皇宮の地下牢に潜り込むのも有りだろう。


(オレはラディムが……いや、はっきり言おう、オレはラディムの中の優里菜が心配だ。一刻も早く助け出したい)


 少し焦れたように悠太は口にする。


(わたくしももちろん、優里菜様をお救いしたい気持ちは同じですわ。……わかりました、わたくしたちで先行いたしましょう)


 優里菜は悠太の想い人であると同時に、アリツェにとってはシステム上、遺伝上の母でもある。見殺しにはできない。


(フェルディナントに伝えれば、おそらく止められる。こっそりと抜け出していこう)


 アリツェはうなずき、準備のために自室へ戻った。

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