3 お兄様の決断ですわ
朝食を終えたアリツェは食堂を出ると、今日の予定を話し合うためにドミニクの部屋を訪れた。
「なんだか新たな事実が次々とわかり、ちょっと混乱気味ですわ」
ドミニクに勧められた椅子に座り、アリツェはため息をついた。
「ゆっくりと咀嚼していけばいいよ。当面は辺境伯家に厄介になるつもりなんだよね?」
ドミニクは正対するようにベッドの端に腰を下ろし、アリツェに気づかわし気な視線を向ける。
「えぇ、そのつもりですわ。どうやらフェルディナント叔父様も、わたくしを歓迎してくれているご様子ですし」
ドミニクの問いに、アリツェは首肯した。
ここまで話した限りでは、フェルディナントがアリツェを嫌っている様子はまったく見られなかった。腹芸ができるような人物でもなさそうなので、ひとまずは安心だと思う。
「疎まれていなくてよかったね。アリツェのずいぶんな悩みの種になっていたもんね」
「本当に、ありがたいお話ですわ」
ドミニクの言うとおりだった。養父マルティンの言葉を盗み聞いて以来、実家に厄介者扱いされているのではないかという懸念を抱いてきた。だが、どうやらそれも杞憂に終わったようだ。
「それはそうと、王都で買ったドレスをさっそく着てくれたんだね」
ドミニクはアリツェの姿をぐるりと見遣って、大きく破顔した。
「はい、せっかくドミニク様が見立ててくださった服ですもの。着ないわけにはまいりませんわ」
服装に言及されたことがうれしくて、アリツェは思わず声を弾ませた。
「……本当に、似合っているよ、アリツェ」
真剣な表情で、ドミニクはアリツェの顔をじっと見つめた。気恥ずかしさのせいか、アリツェの身体は急速に火照っていった。
「あ、ありがとうございます……」
しばしの間、二人の間に沈黙が流れた。アリツェはドミニクの瞳を見つめ、ドミニクもアリツェをじっと見つめ返している。
「アリツェ、実は――」
ドミニクが何かを言いかけた瞬間、部屋の入り口のドアがノックされる音が響き渡った。
「……誰だ、こんな時に」
ドミニクは立ち上がり、ブツブツと「空気の読めないやつだな」とこぼしている。
アリツェも気をそがれ、ノックの主に少し腹が立った。
「すまない、ここにアリツェが来ていないか?」
ラディムの声だった。どうやらアリツェを探しに来たようだ。
「はい、おります。わたくしに何か御用でしょうか、ラディム様」
ドミニクとの時間をつぶされた腹いせに、アリツェは少し棘のある声でラディムに返事をした。
「叔父上の説得もあったので、私は父上を叛意させるために帝国軍陣地に戻ろうと思う。叔父上から預かった書状を、父上に渡す件もあるしな」
扉の外にいるラディムには、そんなアリツェの立腹がわからないのだろう。アリツェの苛立たしげな声にも気づかず、自らの要件をぺらぺらとしゃべっている。
(ここはドミニク様の御部屋でもあるんですのよ。もう少し遠慮というものを、なさった方がよろしいんじゃないかしら……)
帝国の第一皇子として育てられただけあって、ラディムはこのあたりの機微に疎いのだろうと、アリツェは勝手に解釈し、納得した。
「そこで、陣地に戻る前に、もう一度アリツェと話ができないかと思ったんだ」
「わかりましたわ。では、これからラディム様の御部屋にうかがわせていただきますわ」
アリツェはドミニクに一言謝ると、椅子から立ち上がって、ラディムの部屋へと向かった。
ドミニクとの時間を取られてむっとはしたけれど、大切な双子の兄の願いだ。むげに断るわけにもいかない。それに、帝国軍陣地で万が一の事態が起こらないとも限らない。話せる機会があるうちに、いろいろと話しておくべきだという思いもあった。
ラディムの自室に入ると、アリツェは近くの椅子を勧められた。指示された椅子にアリツェがちょこんと座ると、相対するようにラディムは別の椅子に座る。
「悪かったな。ドミニクと何か大事な話があったんじゃないのか?」
「ええ、まあ。でも、ドミニク様とはまたあとでお話しできますし、今は時間のないラディム様を優先させていただきますわ」
ラディムの部屋に移動する間に、アリツェの頭はすっかり冷えていた。腹立たしさも消えたので、アリツェは言葉に棘を含ませるような真似は、もうしなかった。
「そういってもらえると助かる」
ラディムは苦笑した。
「ところで、今はラディム様ご本人ですか? それとも、優里菜様でしょうか」
ラディムからは、ラディムと優里菜の間で主人格を一日交代にすると聞いていた。フェルディナントとの会話の様子を鑑みると、昨日がラディムの担当だったと感じられたので、今は優里菜の可能性がある。
「あー、辺境伯家にいる間は、私自身の生まれの話などもあるって理由で、優里菜には自重してもらっている」
であるならば、今はラディム本人だという訳だ。なるほど、確かに出生の秘密の話をするのであれば、ラディムの人格が主になるべきだろう。
「わかりましたわ。あ、それと、今後はラディム様をお兄様とお呼びいたしてもよろしいでしょうか? 双子だと確定いたしましたし」
アリツェとしては、ラディムが兄であるとわかった以上は、きちんと兄と呼びたかった。名前呼びでは、他人行儀すぎるだろうと。
「それはもちろん、構わない。好きに呼んでくれ」
ラディムは特に嫌がるそぶりも見せず、うなずいた。
「ありがとうございますわ、お兄様」
「私の力で陛下を叛意させられるか、不安なんだ」
自信なさげにラディムはつぶやいた。
「でも、皇帝はお兄様を大分可愛がられていらっしゃったんですよね。きっと、話せばわかっていただけるのでは?」
皇子として恥ずかしくないようにと振舞っているラディムの姿しか、アリツェはまだ見たことがなかった。なので、気落ちしている様子を目にして、意外に感じた。
「アリツェは陛下と顔を合わせた経験がないから、わからないだろうな。……私は常々言われていたのだ。万が一にも精霊教に加担するような事態になれば、躊躇なく私を処刑するだろうと」
ラディムは何かを握りつぶすかのように、手をぎゅっと力強く握りしめた。
「血縁の甥ですのよ。そんな乱暴な処遇は……」
信じられなかった。たしか、皇帝ベルナルドは実子がいないはずだ。ラディムを処刑しては、跡取りがいなくなるのではないだろうか。……帝国側はまだ知らないかもしれないが、アリツェにも皇位継承権を主張できる血のつながりはある。皇女ユリナ・ギーゼブレヒトの実子なのだから。
ただ、今までまったく帝国とかかわりを持つ機会のなかったアリツェに、そんな気はさらさらなかったが。
「アリツェ、それが権力の頂点に立つ者の使命でもあるのだ。民に対して、示しのつかない真似はできない」
アリツェも下級とはいえ、領地を治める地方貴族の家に育った。ラディムの言わんとしている言葉の意味も、分からなくはなかった。ただ、納得はしきれない。
「だから、私は命を懸ける覚悟で、陛下を説得しに行く」
ラディムはギリッと唇をかみしめる。
「でも、命あってのものだねですわ。危ないと思ったら、躊躇せずお逃げくださいませ、お兄様」
死んでしまっては、もうそこですべてが終わる。生き延びてこそ、次のチャンスは巡ってくるものだ。
「しかし……」
「生きてさえいれば、いくらでも説得の機会は訪れますわ。まずは、生きてお戻りになることを最優先にしてくださいませ。……妹からのお願いですわ」
言葉を濁すラディムに、アリツェは微笑んだ。深刻に考えすぎてほしくないと、そんな気持ちを込めて……。
「……わかった。善処する。それに、叔父上からの書状の件もあるしな」
「そういえば、結局何が書かれていたのですか?」
昨晩、フェルディナントが二通の書状をラディムに渡していた。一通は皇帝ベルナルド宛、もう一通はラディム宛だ。
「アリツェには伝えても大丈夫だろう。他言無用だ。もちろん、今の段階ではドミニクにも黙っていてほしい」
ピッと人差し指を立て、ラディムは念を押した。
どうやら、よほど重要な話が書かれていたようだ。
「叔父上は、皇帝の叛意が無理だと悟った段階で、私を皇帝に祭り上げて帝国と事を構えるつもりらしい」
「え!?」
思わぬ内容に、アリツェは目を丸くした。
「ある程度時間さえ確保できれば、帝国と戦えるだけの戦力をそろえること自体は可能なようだ。今は肝心の時間がないから、こうやって小手先の休戦協定に頼っているがな」
ラディム宛の書状に掛かれていた内容を、ラディムはかいつまんで説明した。
皇帝の考えをこのまま放置していては、いずれ必ず領内に攻め込まれ、精霊教徒である領民が虐殺されかねない。領民を護るためにも、有利な段階で勝負をかける必要があると、フェルディナントは考えているようだ。
帝国と事を構えるに際し、他国に対して王国側の大義名分を得るためにも、皇位継承権のあるラディムが立ち上がるという形をとるのが最上だというわけだ。
「戦争、ですか……。嫌ですわね」
まだアリツェは戦場に立った経験はない。だが、物語で読む戦争は、どれもこれも陰鬱なものだった。
「もちろん、叔父上も戦争が回避可能であれば、むやみに戦を吹っ掛ける気はないようだがな」
戦をすれば領は荒廃する。苦労するのは領民たちだ。たしかに、する必要のない戦を仕掛ける必要性はない。外交で済ませられるのであれば、その方がよほど良い。戦争はあくまで、最終手段であるべきだとアリツェも思う。
「まぁ、私も無駄死にをするつもりはさらさらない。十分気を付けるさ。ただ、陛下の考えが頑ななのは間違いない。私の身に万が一が起こらないとも限らないっていうのは、紛れもない事実なんだ」
「はい、その点は理解していますわ」
第一皇子ですら、叛意を見せれば処刑をすると宣言する皇帝ベルナルド。ラディムの身に危険が及ぶ可能性は、かなり高い。ここまでのラディムの話で、アリツェも十分に分かった。
「そこでだ、アリツェ。君に頼みたいことがあって、こうして呼んだんだ」
「では、ここからが本題と?」
ラディムは首肯した。ずいぶんと長い前振りだった。
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