3 出生の秘密を知りたいな……

 優里菜の記憶が呼び覚まされた翌日、ラディムはわずかな頭痛とともに目を覚ました。


 いつもと変わらない宮殿の自室だ。ラディムは自分の体に目を遣るが、こちらも就寝前とは何ら変わりがない。


 寝ている間に、どこか見知らぬ場所に連れ去られたわけではなかった。やはり、昨夜体験したものはあくまで夢だったのだ、と実感する。


 ラディムはこめかみのあたりを、指でぐりぐりと押した。夢で感じた激しい痛みは治まったが、残る鈍痛が憂鬱な気持ちにさせる。


 夢の中での出来事をゆっくりと考えたい。だが、残った頭痛が思考を乱す。


(――喉が、乾いたな)


 ベッドから起き上がり、傍机に置いた水差しに手をやった。


「殿下、おはようございます」


 コップに注いだ水を飲もうとすると、エリシュカが入口の扉を開いて声をかけてきた。


「ああ、おはよう……」


「殿下、顔色が悪いですよ? どうかされましたか?」


 エリシュカがさっと顔を曇らせた。


「いや、大丈夫。夢見が悪く、少し頭痛がしただけだ」


 不安げに手の平をラディムの額に当てようとしたエリシュカを、ラディムは片手で制した。朝っぱらからエリシュカを心配させてもかわいそうだ。


「今日は予定を入れていなかったよな? すまない、少し一人にさせてもらえないか?」


 夢の中での優里菜とのやり取りを、もう一度ゆっくりと整理したかった。


「それは構いませんが……。朝食はどうされます?」


 エリシュカはコテンと首をかしげる。


「サンドウィッチを、部屋まで持ってきてくれないか?」


「かしこまりました。それでは、厨房から取ってまいりますね」


 エリシュカは深々と一礼をすると、部屋から出て行った。







「結局のところ、私はあなたの息子になるのか?」


 ラディムはエリシュカの持ってきたサンドウィッチを口に含むと、脳内のもう一つの人格、優里菜に話しかけた。


 ラディムの声に応じて、脳の奥底から優里菜の人格が浮き上がってくる。ラディムと優里菜は軽くあいさつを交わした。


 そして、少しの間をおいてから、優里菜は質問に答え始めた。


(システム上、遺伝上では、そのとおりかな。おそらく、ラディム君とあなたのお母さんは、遺伝的なつながりがないと思う)


 優里菜は「代理母みたいなものよ」と言うが、そもそも『代理母』とは何だろうか。『遺伝』という用語も初耳だった。


「代理母……とは、そして、遺伝とは、何だ?」


 聞きなれない言葉に、ラディムは首をひねる。


(他の夫婦の受精卵を自分の子宮に着床させて、代わりに子供を産む。代理母をざっくりと言えばこんな感じかな?)


 受精卵とか着床とか、ラディムにはいまいちピンとこなかった。だが、ゆっくりと優里菜の記憶を探ることで、どうにか理解はできた。


(遺伝については、細かい話をしてもわけがわからないだろうし、両親の特徴を引き継ぐ事象とでも、思っておけばいいかな)


「生まれた子供に、両親の顔の特徴や運動神経の良否が現れるようなものか」


(その認識でいいと思う)


「間違いなく、私は母上から生まれ落ちたはずなのだが、母上の特徴は受け継いでいないのか……。不思議な話もあるものだな」


 確かに、母ユリナ・ギーゼブレヒトとはそれほど似ていないかもしれない。血のつながりがないのであれば、なるほど、納得はできる。


 優里菜の言う代理母による出産は、ラディムの知る限り、この世界では聞いたことがない。優里菜の世界では事例があったのかもしれないが、この世界で行われた実績があるとはとても思えない。


 そもそも、受精卵を作るにせよ、母親からどうやって卵子を取り出すのだ。そんな技術、ラディムは聞いた記憶がまったくない。……ザハリアーシュに聞けば、わかるだろうか?


(まぁ、イレギュラーな話だよね。気にしない、気にしない)


 優里菜の言うとおり、今の手持ちの情報ではこれ以上わかりようもないのだから、気にする必要はないのだろう。


「ところで、父親はどうなのだ? 一応、実の父は、隣国のカレル・プリンツ前辺境伯ということになっているのだが」


 かつてザハリアーシュからそのように習った。


 カレル・プリンツ前辺境伯の実子という事実が、ラディムをより一層、世界再生教へと帰依させている理由になっている。次期皇帝を目指すのであれば、たとえわずかであっても、精霊教に同情的でいてはいけない。「辺境伯家の人間だから、精霊教に鞍替えしたんだ。皇家にふさわしくない」、と心無い者に突かれるだろうから。


(え!? あなたのお父さん、カレル・プリンツっていうの?)


 心底驚いた、という声を優里菜は上げた。


(……実はね、システム上、遺伝上のラディム君の父親の名前も、カレル・プリンツっていうんだ)


「なんだって!?」


 今度はラディムが驚く番だった。


 実父である前辺境伯と、優里菜が言うラディムの元となった受精卵の父が、まったく同じ名前だった。カレル・プリンツ、と。


(何か、関係があるのかな……)


「今、私の知っている情報だけでは、よく判断がつかないな。明日、母上に少し事情をうかがってみるか」


 ラディムはザハリアーシュから得た程度の情報しか、辺境伯家のことを知らない。母に心の負担を負わせたくなかったので、父親や辺境伯家の話題は意識して避けていたからだ。


(ラディム君のお母さん、話の通じる人? 確か、精神的に問題があるって話じゃ……)


 心許なげな優里菜の声が響く。


「精霊や異能を話題に出さなければ、大丈夫だと思う。だいたい、激昂するのはその二つが話題にのぼる時だし」


 普段母と話すときは、いたって普通だった。品の良い皇女様そのものだ。


 だが、ラディムが少しでも精霊をにおわせるような話題を出せば、態度が豹変した。自然、ラディムは母の前では不用意に精霊の話をしないよう、注意するようになった。


 もし母に尋ねに行くなら、父の話題だけに絞らなければならない。ただ、その父に関する話題も地雷の可能性が高いのが、少々頭の痛いところだったが。


(そっか、じゃあその点に気を付けて、あなたのお父さんのことを確認してみよっか)


 だが、ラディムは知らなければいけない。自身の出自の本当のところを。皇帝になるのであれば、なおさらだ。ラディムの知らない出自の事実に何らかの問題があり、その事実を盾に皇帝候補から引きずり降ろされでもしたら、たまらない。事前に知って、問題があれば対処をしておきたかった。


「それともう一つ、気になっている点があるのだが」


 ラディムは目が覚めた時から気になっていた。


「私の記憶の中に、あなたと違う、別の何かがあるように感じる」


 記憶の奥底に、優里菜と同じような形で、まったく別の大きなひとつの記憶の塊があった。ラディムがゆっくりとその記憶に接触をしようと試みても、すべて拒否される。


(……言われてみれば、確かにあるね。アクセスできないけれど)


 優里菜も試したようだが、ラディム同様に拒絶されたようだ。


「もしかして、あなた以外の人格も私に転生をしていたりは……。ないよな?」


 突飛もない話だ、とラディムは思う。


 だが、ほかに考えられない。なぜなら、この接触を拒む記憶は、優里菜の人格領域と同じような特徴を持っているように、ラディムには感じられたからだ。


(ないと思う。あなたの体は、この世界の管理者ヴァーツラフさんと私とで作った、私の人格を転生させるためのもの。他の人間の記憶が入り込む余地はないはずだよ)


 優里菜はすかさず否定した。


 ではこの保護されている記憶は何なのだろうか。記憶領域の大きさからみても、優里菜の記憶の塊と同程度ある。もう一つの別人格の記憶だといわれても、納得できるのだが……。


「まぁ、手掛かりもないし、今あれこれ思い悩んでも仕方がないか。いずれ何らかのタイミングで、この記憶に触れられたらラッキーだ、とでも思っておこう」


 優里菜にわからないというのなら、もう、どうしようもなかった。


(それくらい緩く考えていたほうがいいと思うよ、私も)


 優里菜の言葉に、ラディムは「そうだよな」とうなずいた。考えてもわからない問題を、いつまでも気にかけている暇はない。


 ラディムは少し間を置き、残ったサンドウィッチを平らげた。エリシュカがサンドウィッチと一緒に持ってきたぶどうジュースも、グイっと一気にあおる。


 一息ついたところで、ラディムは改めて優里菜に意識を向けた。


「明日、母上と話すにあたって、あなたに言っておきたいのだが」


 これまでのやり取りで、ラディムが感じた優里菜の性格。精神面が不安定な母にそのまま相対させるのは、正直不安だった。


 優里菜は少し、自由奔放なきらいがあるとラディムは見ていた。不用意な発言が飛び出しかねない。


(あー、ラディム君。そんなにかしこまらなくてもいいよ。確かに私はあなたの母だけれど、歳も近いんだし、もっと砕けて話してほしいかな)


 ラディムがずっと他人行儀な喋り方をしていたのが、優里菜の気に障ったのだろうか。


「じゃあ、優里菜、でいいか?」


 ラディムとしてもそれほど抵抗のある提案ではなかったので、素直に応じた。


(うん、それでオッケー)


 少しうれしげな声を優里菜はあげる。


「で、明日なんだが、私が母上と話している間、割り込んで表にでしゃばるような真似はしないでほしい」


 言い含めるように、ラディムは少し強めの声を上げた。


(別に、そんなつもりはもともとないよ?)


 少し不満げに優里菜は答える。


「それならばよいのだが……。間違っても精霊を肯定するような言動を、母上の前でするわけにはいかなくてな」


 母に激昂されて話がこじれると困る。


(それほど、あなたのお母さんは精霊を憎んでいるの?)


 少し困ったように優里菜は尋ねた。


「亡くなった夫の敵とすら思っている。下手に藪をつつくと、まぁとんでもないことになるよ」


(くれぐれも気を付けるわ……)


 優里菜は「怖い怖い」と、声を震わせる。


(私、前の世界の記憶があるから、どうしても精霊に否定的な立場はとれないんだよね。あなたのシステム上の父だったカレルなんて、世界一の精霊使いとまで呼ばれた人だったから、余計に、ね)


 少し懐かしさと愛しさを含ませた声で、優里菜はつぶやいた。


 わざわざ自らの転生素体の父に選んだ男だ。優里菜はそのカレル・プリンツという男に恋い焦がれていたのだろう、とラディムは思った。


「しかし、優里菜やヴァーツラフが精霊を善と考えている点が、私にはいまだに信じられない。まったく逆の話を、幼いころから延々と聞かされてきたからな」


 ラディムはため息を漏らす。


 ザハリアーシュら教育係から散々教えられてきた邪教としての精霊教。帝国としても精霊教の排除に掛かっている。優里菜の話を頭から信じろと言われても、ラディムの心の奥深いところで、否定しようとする気持ちが渦巻く。


(今、無理に飲み込もうとしなくてもいいよ。徐々に、分かり合いましょう?)


「そうだ、な……」


 優里菜の言葉にラディムは首肯した。だが胸中では、本当に分かり合えるのだろうかという不安がうごめいていた。







 その夜――。


 優里菜の人格は完全に眠りについていた。一人、ラディムは考える。


(優里菜からは徐々に分かり合おうといわれたが、今までの母上のことを思うと……)


 今の母の支えは、夫カレル・プリンツの唯一の忘れ形見、ラディムだ。そのラディムが、母の憎む精霊教に肯定的な態度を取れば、いったいどうなるだろうか。


 母の心は、完全に折れてしまうのではないか?


(私は母上を裏切ることはできない。精霊教を認めることができない)


 発狂する母を、見たくはなかった。


(ギーゼブレヒト家の人間として、帝国臣民の上に立つものとして、精霊を認めるわけにはいかないのだ)


 ベルナルドやミュニホフの市民の前でも宣言をしたばかりだ。精霊教をこの世界からなくし、世界の崩壊を防ぐ、と。


 帝国臣民はみな、精霊が世界を崩壊させると信じている。そこにラディムが、実際は違うと言い出したところで、ただ乱心したと思われるのが関の山。最悪、辺境伯家の血筋という事実から、フェイシア王国のスパイだと糾弾もされかねない。


(このまま、優里菜の話に耳を傾け続けてもいいのだろうか……)


 ラディムは、このままでは身の破滅を招きそうな予感がした。


(私は私で、今までコツコツと積み重ねてきた人生がある。私自身の思いに従って、行動すべきではないのか?)


 ラディムの人格としては、やはり素直に精霊教を肯定できない。積み上げられてきた経験、知識、そのどれもが、世界再生教を善とし、精霊教を悪とするものだった。今までのラディムの全否定になる。


(二か月で、優里菜と人格がまじりあうと言っていた。それまでに、優里菜を説得して世界再生教の教義に納得してもらうべきではないか?)


 ラディムが折れるのではなく、優里菜が世界再生教側に歩み寄る方がよいのではないか、と思い始めていた。


 それですべては今までどおりだ、丸く収まる。帝国の人間として、ギーゼブレヒト家の一員として今後も生きていくためには、それ以外ないのではないか。


 優里菜の記憶の知識自体は有益だ。ラディムの知らない貴重なものがたくさんあった。なので、優里菜の人格を全否定するのも、それはそれで損だ。うまく優里菜を乗せて、誘導すべきだ。


(宗教は大きな問題だ。このまま優里菜と意見を異にしたままで、果たして私は優里菜とうまく一つになれるのか?)


 人格を形成する上で大きな影響を与え得るであろう宗教心の部分で、お互いに反目しあっていては、とても人格の統合など果たされるとは思えなかった。


 であるならば、ラディムの臨む形で人格統合をなすためにも、当面は優里菜の説得にも力を裂かねばならないと、ラディムは心に刻んだ。


(まぁ、何はともあれ、まずは明日の母上との話し合いだな)


 ラディムは一つ大きく深呼吸をし、ベッドにもぐりこんだ。

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