2 この夢は、いったいなんだ?
「さて、思いがけない状況になった……」
ラディムは自室に戻り、ドカッと椅子に座り込んだ。
いろいろなことがありすぎて、精神的な疲労が甚だしかった。準成人の儀での大衆への演説、与えられた新たな任務……。
特に、騎士団入団が回避され、魔術の研究に専念できるようになった事実は大きい。
「殿下、どうされたんです?」
ラディムが戻ったのを確認し、侍女の控室からエリシュカがやってきた。
ラディムが抜け殻のように椅子に座り込んでいたためか、エリシュカは心配そうな声をかけてくる。
「エリシュカ……。実はな、準成人を迎えたら慣例どおり騎士団に入るのかと思っていたのだが、私の場合は特例で別の道を用意された」
「えっ、そうなんですか?」
一瞬きょとんとした顔を浮かべたエリシュカだが、すぐに表情を崩し始めた。
「私としてはうれしいです。殿下が騎士団に入ってしまいますと、殿下のお世話ができないですから!」
声を弾ませて、エリシュカは手を叩きながらピョンピョン跳ねた。
十六歳らしからぬ喜び方のエリシュカに、ラディムは苦笑が漏れる。だが、これもエリシュカらしいといえばエリシュカらしい。ラディムとしても、こうも喜んでもらえると、主人冥利に尽きる。
「教会で魔術の研究に専念することになった。騎士団入団とは違い、教会へはここから通いになるから、今までどおりエリシュカ、私の身の回りの世話を頼むぞ」
くるくる舞っているエリシュカに、ラディムは笑いながら声をかけた。
「もちろんです!」
エリシュカははしゃぎながら、大きくうなずいた。
「来週から殿下のいない潤いのない毎日になるかと思っていたので、私嬉しいです!」
飛び跳ねるのをいったん止めると、エリシュカは吐息が届かんばかりまでグイっと、ニコニコした顔をラディムに近づけた。
本来であれば、エリシュカは一時的にラディム付きから外れて、他の仕事に就くはずだった。だが、傍付きから外れる必要がなくなったので、当面は今までどおりラディムの世話をすることになる。……それにしたって、少々喜びすぎな気もするが。
「そ、そうか。そういってもらえると、私としても悪い気はしない」
エリシュカの勢いに、ラディムはすっかりたじろいだ。
「それにしても殿下! 殿下の魔術の才能、陛下も高く評価なさっているんですね!」
「さすがは陛下ですね!」と、エリシュカは破顔した。
「どうやらそのようだ、私としても努力が認められたようで誇らしいな」
過去の慣例を破ってまで、ベルナルドはラディムを魔術研究の道へ進ませた。ザハリアーシュの助言はあっただろうにせよ、嬉しくないわけがなかった。長く続くギーゼブレヒト家の伝統の例外を作ったのだ。相当に思い切った決断だったに違いない。
「私も、普段の殿下のたゆまぬ努力を見続けてきただけあって、こうして周囲に認められる殿下を見ると嬉しくて舞い上がりそうです」
エリシュカはそう言うや、ラディムの腕をつかんで一緒にくるくると回り出した。
(目、目が回るぞー……)
エリシュカがあまりにも楽しそうにしているので、ラディムは抵抗せずに好きなようにさせた。エリシュカはさっきから回りっぱなしだ。細い体のどこにそんな体力があるのだろうか。
本当に喜びを全身で表現するのが好きなんだな、とラディムは思う。フラフラと目を回しながらも、ラディムもエリシュカとのひと時を一緒に楽しんだ。
「民へのお披露目やら何やらと、今日は忙しくてさすがに疲れた。休みたいのだが、ベッドの準備はできているか?」
流れでエリシュカとダンスの練習みたいになったが、さすがに疲労が限界に達した。ラディムは『生命力』切れの時に襲ってくるような虚脱感を覚えた。
「はい、もちろんです。きっと殿下がそうおっしゃるかと思い、今日は早めにベッドメイクを済ませてあります」
当然ですといわんばかりにエリシュカは胸を張った。
「相変わらずエリシュカは気が利くな。ありがとう」
「いえ、殿下のためですし。では、すぐお休みになられますか?」
ラディムが褒めれば、エリシュカは少しはにかんだ。
「ああ、そうさせてもらう。お休み、エリシュカ」
「はい、おやすみなさい、殿下」
ラディムがベッドにもぐりこむのを確認すると、エリシュカは部屋から退出していった。
(ん……。なんだ、ここは……。夢?)
ひと月前に見た奇妙な夢と同じような感覚だった。夢だけれど、夢ではない。現実感はあるが、しかし、ここが夢の中であることもわかる。
ただ、先月見た夢とは違って、周りは一面の白。床も壁も天井もない。ただの白。
そんな不可思議な空間に、ラディムは浮いていた。
(誰か、いる?)
眼前に何かの気配を感じた。目を凝らすと、どうやら人のようだった。
(あっちゃー、転生先が男の子? ヴァーツラフさん、ちょっと話が違うよぉー)
どこか愛嬌のある声が、ラディムの脳裏に直接響いてくる。
(ん? 女?)
シルエットがはっきりとしてきた。どうやら相手は女のようだった。
(どうも、こんばんは。君は、えっと……、ラディム君。だよね?)
なぜかその女はラディムの名を知っていた。ラディムは身構えた。
(あぁ、私はラディムだ。で、あなたは誰?)
(私? 私は片倉優里菜。あ、ユリナ・カタクラって言ったほうがいいのかな)
知らない女のはずだ。だが――。
(ユリナ? 私の母上と同じ名前だな。姓は違うようだが)
偶然だろうか。ラディムの母ユリナ・ギーゼブレヒトと、姓は違うものの名前が一致している。
(私はね、あなたの母親なの。と同時に、私はあなた自身でもある)
突然、女が理解しがたいことを口にし始めた。
(何を言っているのだ? 確かに私の母の名はユリナというが、あなたとは別人のはずだ。まず年齢が全然違うだろう。あなたは私よりも少し上、くらいに見えるぞ)
目の前の女が母のはずがない。女はどう見ても十五、六歳くらいにしか見えなかった。ラディムの母のユリナはすでに二十代後半なので、ありえない。
(んー、なんて説明すればいいのかなぁ? おかしいなぁ、本当ならあなたの人格とうまい具合にまじりあうはずなのに……。もう少し時間がかかるのかなぁ? 確か二か月くらいかかるって言われたような気がするし)
(?? 本当に、何を言っているのだ?)
ラディムの理解の範囲を超えていた。人格とかまじりあうとか、いったい何の話だろう。
(ほら、ゆっくりと記憶の底を覗いてみて。……そうそう、そんな感じで)
(なん……だ、これ??)
ラディムは愕然とした。知らない記憶が突然、脳裏に浮かび出した。
(それ、私の記憶。その記憶を見てくれれば、今のこの状況もわかるでしょ?)
(あ、ああ……。なんとなくだが、わかった。まったく信じられないけれど)
流れ込んできた記憶があまりにも膨大で、ラディムはまだすべてを処理しきれなかった。頭が激しく痛む。
夢の中のはずだが、痛覚がまるで現実味を帯びている。
だが、表層部分の記憶からだけでも、何となくではあったが、目の前の優里菜が何を言わんとしているのか理解はできた。
片倉優里菜のこと。VRMMO『精霊たちの憂鬱』のこと。管理者ヴァーツラフのこと。優里菜がテストプレイヤーとして転生をしたこと。
ところどころ聞きなれない単語があったため、理解は完全ではない。詳細は時間のある時に、落ち着いて深層の記憶を探らなければ、おそらくはダメだろう。
(ヴァーツラフ君が言うには、二か月くらいで君と私の人格は違和感なくまじりあうそうだよ。それまで、ちょと辛抱してね)
まじりあったとして、いったいどんな人格になるというのだろう。帝国の第一皇子としてふさわしい人格が、果たして残っているのだろうか。
何より気になるのは、精霊教のことだ。優里菜の記憶では、精霊の存在は悪として認識されていなかった。これはいったいどういうことだろうか。
(うう……。頭が割れそうに痛いな……)
深く考えようとすると、脳が拒絶する。ダメだ、これ以上は考えられない。
(ごめんなさい、いきなりで負荷がかかっているみたいだね。今日はもうゆっくり休んで。またおいおい、お話ししましょう)
優里菜はラディムに優しく声をかけた。
そのまま、ラディムは意識を失った――。
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