第七章 封じられた記憶

1 準成人の儀に臨んだぞ

 中央大陸歴八一二年七月――。


 とうとうラディムは十二歳、準成人となる。


 この日は、準成人を迎えて一人前の皇族として認められるラディムを祝し、帝都ミュニホフの住民へのお披露目がなされる。『準成人の儀』と呼ばれるこの儀式は、代々のギーゼブレヒト皇家の人間が皆、必ずおこなってきたものだ。ラディムも例外ではない。


 儀式のクライマックスは、皇宮のテラスから、新準成人が詰めかけた民衆に対して決意表明をする場面だ。


 ラディムは今までにないほど緊張していた。心臓が激しく鼓動する。とても冷静ではいられない。


 震える脚でかろうじてテラスに立ち、突き刺さるミュニホフ市民の鋭い、好奇に満ちた視線に耐える。


 夏の強烈な日差しが容赦なくラディムの顔をじりじりと焼きつけてくる。だが、暑いはずなのに、全身の汗はぴたりと止まっていた。


「準備はいいな?」


 隣に立つベルナルドがラディムに耳打ちをした。


 さすがに現皇帝だ。威厳に満ちており、多数の市民を前にしても、物怖じをしているようには見えなかった。


「は、はい……、陛下」


 全身がこわばっていたが、ラディムはどうにかベルナルドの言葉にうなずいた。


 ベルナルドに促されるように、ラディムは一歩前に出て、ぐるりと詰めかけた市民に目を遣った。


 帝都ミュニホフの市民の三分の一は間違いなくいるだろう。ひしめく人の波に、ラディムは圧倒された。だが、今ここで怖気づくわけにはいかない。


 ひとつ、大きく深呼吸をした――。


「帝国の臣民よ! 私はラディム・ギーゼブレヒト。恐れ多くも第一皇子の地位を戴いている」


 ラディムは内心ほっとした。張り上げた声が、かすれることもなく響き渡ったからだ。


「この度、準成人を迎えるにあたり、過去の慣例に倣い、私も一つ、皆の前で決意の表明をしたいと思う」


 周囲は波が引くように一気に静まり返った。次期皇帝と目される皇子の初めての言葉に、皆、黙って注目した。


 ラディムはこぶしを握り締め、腹にしっかりと力を込めた。


「今、世界では精霊教なる邪教がはびこっている。大変嘆かわしい話だ。このまま精霊教をのさばらせておけば、この世界は早晩破滅に導かれるだろう」


 破滅という言葉に、周囲から少しざわめきが起こった。精霊による大地の生命力強奪については、まだ知らない一般市民もいるのだろう。


 ラディムは気にせず、先を続ける。


「だが、安心してほしい。私は、生涯をかけてでも、この世界から精霊教を駆逐することを誓う。帝国臣民皆の安寧を、必ず護ると宣言する」


 ラディムは握りしめていたこぶしを、ぐっと前に突き出した。聴衆の視線が、ラディムの一挙手一投足へと、惹きつけられるかのように集まっている。


「私を信じてほしい。皆の信託を、私は裏切らない! 必ず成し遂げてみせる!」


 ラディムは少し間を置き、もう一度詰めかけた市民に目を配った。


「どうか、帝国臣民皆の力を、私たち皇家に貸してほしい。皆とともにあれば、私はどんな困難にでも、打ち勝つことができるであろう!」


 鋭く前を見据え、出せる最大の声量で張り上げた。


 今、ラディムができる精いっぱいの演説だった。果たして、ラディムの決意はミュニホフの市民たちの心に突き刺さっただろうか。


 恐る恐る、しかし周囲にそれと悟られないように、ゆっくりとラディムは視線を落とした。目線の先に、数えきれないほどの市民たち。


 一瞬の間を置き、大きな地響きが沸き起こった。ものすごい歓声だった。連呼されるのはラディムの名だ。


(成功、か?)


 想像以上の喝采に、ラディムの胸は熱くなった。ミュニホフの市民の眼鏡に、適ったのだろうか。


「これだけの民の前に出るのは初めてだろう。どうだ?」


 大任を果たしたラディムに、ベルナルドは優しく話しかけてきた。


「……身の、引き締まる思いです」


 眼前に集まる市民の数でもかなりのものだ。だが、これでも帝国全体で見れば、ほんのわずか。それだけ多くの帝国臣民の命を、これからラディムは背負っていかなければならない。重い、責務だった……。


「今日この光景を、決して忘れるな。民は若いお前に期待をしている。決して裏切るな」


 忘れられるわけがない。ラディムの名を連呼する市民たちの姿が、ラディムの脳裏に強烈に焼き付いた。


 この儀式も、新たに権力を持つことになるギーゼブレヒト家の新準成人に、自らが数多の帝国臣民の上に立っているのだと改めて実感させるための、教訓的な意味合いのあるものなのだろう。確かに、効果は絶大だとラディムは思う。


「ギーゼブレヒトの人間として生まれた以上、それは責務です。たとえこの身が朽ち果てようとも、想いは民とともに」


「うむっ」


 ラディムが神妙に口にした言葉に、ベルナルドは満足したかのようにうなずいた。







 準成人の儀が終わるとテラスから引っ込み、すぐそばの控室に戻った。


 緊張のために止まっていた汗も、再び滝のように流れ始めていた。肌に張り付く下着が不快感を増す。大声を張り上げたため、喉も少しヒリつく。


 ラディムは傍机に置かれている水差しに手をやると、コップに冷水を注ぎ、一気に飲み干した。口いっぱいに広がる清涼感に、たかぶっていた気持ちもようやく落ち着いてきた。


「ラディムよ……。準成人を迎え、お前に新たな役割を与えることになる」


 ベルナルドはラディムの顔を鋭く見据えた。


「心得ております、陛下」


 ラディムは来た、と思った。


 覚悟はしていたが、騎士団入団の件に違いなかった。ギーゼブレヒト男子の伝統。避けては通れない試練だった。


「最初は騎士団に入れて、軍務を覚えさせようとも思っていたのだが……」


 珍しくベルナルドは言葉を濁した。なんだか話の流れがおかしい。


「騎士団入団ではない、と?」


 ラディムは予想が外れ、心がざわめき立った。それではいったい、何をやらされることになるのだろう、と。


 今までのギーゼブレヒトの準成人男子は、みな例外なく騎士団入団だった。前例がないのでラディムは全く想像がつかず、困惑の色を隠しきれなかった。


「お前はどうやらたぐいまれな『生命力』を持っていると聞く。であるならば、その能力を持って帝国に寄与すべきと、ザハリアーシュとも話し合って決めた」


「つまり、どういうことでしょうか?」


 ラディムは首をひねった。


「成人までは、当面、魔術の研究に専念せよ。ただし、近々戦があるやもしれぬ。軍事にも役立ちそうな研究を優先してもらえると助かる」


 思ってもいない指示だった。ラディムにとっては騎士団詰めよりもよほど理想的な展開だ。


 身体能力的には騎士団でも十分に渡り合っていけるだけの能力を持っていると自負するラディムであったが、どちらかといえば頭脳労働のほうが好きであった。ザハリアーシュらの教育の成果もあり、ラディムは決して脳筋ではない。


 軍事にも役立ちそうという条件は、マリエの作っていた毛糸の拘束玉のようなものを作ればよいだろう。マリエがフェイシア王国の王都へ旅立つまでに、いろいろと相談していいアイディアを出し合ってみよう、とラディムは思った。一人よりは二人で考えたほうが、きっと良い考えが浮かぶはずだ。


「研究はどちらで行えばよいのですか? 騎士団の詰所ですか? 世界再生教会ですか?」


 ただ、マリエと一緒に研究するためには、世界再生教会での活動を許してもらわなければいけない。


「教会でいい。ザハリアーシュに聞いたが、毎週教会で魔術の研究をしているそうじゃないか。それを継続する形でいいぞ」


 理想的な展開だった。今まで週一回のみだったマリエとの魔術談義を、これからは毎日、大手を振ってできる。これほどうれしい話はない。……だが、あとひと月でマリエが王都へ行ってしまう点が、大変に遺憾だったが。


「軍務にはつかなくてもよろしいのですか?」


 ただ、皇族としていずれは前線の指揮官にならざるを得ない立場だった。まったく軍務の経験がないのもまずい。


 ベルナルドがどのように思っているのかわからず、ラディムは戸惑いながら尋ねた。


「週一回休日に、騎士団の詰所で、基礎訓練と皇族として戦うための指揮の勉強はしてもらう。ただ、それ以外は基本、教会で魔術の研究に充ててくれ」


 つまり、週末騎士団員という話だった。まったく軍務をやらないということではないようだ。


 元々は、平日も休日も関係なしに騎士団の詰所で軍務につく、とラディムは覚悟をしていた。それが週にわずか一日だけで済むともなれば、もろ手を上げて喜びたくもなる。小躍りしたくなる衝動を、ラディムはぐっと抑えた。


「魔術の研究に専念できるのは、私にとっても歓迎すべきことです。謹んでお受けいたします」


 ラディムは恭しく礼をする。……内心では、快哉を上げていた。


「うむ。鋭意研究に努めるように」


 ベルナルドは最後にポンっと軽くラディムの頭を叩いた。

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