4 母上に相談をせねば

 翌日、ラディムは母の私室を訪ねた。


 皇族の私室は宮殿の二階に設けられている。だが、母の私室だけは宮殿の離れの一角にあった。母にはかわいそうな話だが、急に錯乱されても大変だとの配慮からだと、ザハリアーシュからは聞いていた。


 事前に母付きの侍女に訪問を告げておいたので、ラディムは離れに着くやすぐに母の私室内へと案内された。


「母上、突然の訪問申し訳ありません」


 ラディムは深々と一礼した。


「何を言っているの、ラディム。あなたは私の息子、いつだって歓迎いたします」


 母は両手を広げ、にこやかに笑って迎え入れた。


 母の私室まで来るのは、実に何年ぶりだろうか。大抵の要件は食事で顔を合わせた際に済ませてしまうので、私室でゆっくり、といった機会がなかった。


 ラディム自身、母のことを愛してはいたが、どこか腫れ物に触れるような扱いをしていた部分も、ないとは言えなかった。


「それで、今日はわざわざどうしたのかしら?」


 声に少しだけ棘が含まれているように感じられたのは、ラディムの気のせいだろうか。


 ここ最近は、準成人の儀の準備などもあり、食事の時でさえあまり会話をしていなかった。ラディムに放置され気味だった点を、怒っているのかもしれない。


「実は……、私の父上のことを聞きたいのです」


 母の眉がぴくっと動いた。ラディムの心臓が早鐘を打つ。


 周囲の空気が凍り付いた気がした。やはり、父の話も地雷だったのだろうか。


「……聞いて、どうするのかしら? ラディム」


 母は冷ややかな声を上げた。


 ラディムは背筋が凍るように感じる。先を続けてよいものかと、わずかに躊躇する。


「……私は、自分の出生の真実が知りたいのです。私の父は、確かにカレル・プリンツ前辺境伯なんですよね?」


 ラディムは意を決し、母の瞳を直視しながら問うた。


「ザハリアーシュから講義を受けたのでしょう? 何の疑問があるのです」


 母は相変わらず笑顔を浮かべている。だが、どこか寒々しさを感じる。


「それは……。本当に私の父が前辺境伯なのか、知りたく――」


「何をバカなことを言っているんですか! ラディム!!」


 ラディムが核心を訪ねようとしたところで、母の怒鳴り声にさえぎられた。


 ラディムは母の態度の急変に目を丸くした。


「は、母上……」


 父の話題も地雷だろうと薄々は覚悟していたが、いざこうして血相を変えた母の顔を見ると、ラディムはいたたまれない気分になる。


「どこの誰です! 私のかわいいラディムに変な話を吹き込んだのは!」


 母はますます激昂していった。


「ち、違うのです、母上」


 母はラディムが誰かにそそのかされているのではないかと、勘違いしているようだ。


 ラディムは別に、他人にそそのかされたわけではない。頭の中の優里菜は、ほかの誰でもなく、ある意味ではラディム自身ともいえる存在だ。


 今ここで、母に犯人捜しをされては大変だ。魔女狩りのような悲惨な結果になりかねない。犯人などは存在しないのだから。


「何が違うのです! いいから、さっさとしゃべりなさい! 誰なんですか!」


「だ、だから違うのです母上! 私が、夢で見たのです」


 今、優里菜の人格の話をしても、冷静でない母には通じないだろう。ラディムはとっさに夢だと弁明した。


「……夢?」


 暴れ出そうとしていた母の動きが、ぴたりと止まった。


「はい……。夢の中で不思議な少女が私に言うのです。父の名は『カレル・プリンツ』だと」


 どうやら聞く耳を持ってくれそうな母に、ラディムは安堵した。流されて、あのまま周りの物を壊し始めでもされたら、とても困るところだった。


 優里菜の件については、少女とぼかして説明した。母と同じ名前だ、そのまま名を出してしまうと、余計な疑念を持たれかねない。


「ええ、あなたの実のお父様は、『カレル・プリンツ前辺境伯』よ。あなたはあの人の大事な忘れ形見……」


 母はいとおし気にラディムを見つめる。


 いつもこうした優し気な顔を浮かべていてくれれば、本当に素敵な母なのだが。


「……違うのです。その少女が言うには、同じ名前の全くの別人なのです」


「……続けなさい」


 母がごくりとつばを飲み込む音が響く。ラディムへ向ける視線が、再び鋭くなった。


「彼女の言うカレル・プリンツは…………精霊使いなのです」


 母はその場で卒倒し、椅子から転げ落ちた。


「は、母上!」


 ラディムは慌てて椅子から立ち上がって駆け寄り、母を抱き起そうとする。


「ユリナ様! いかがなされましたか!」


 母の悲鳴を聞きつけ、部屋の外で控えていた傍付きの侍女が、血相を変えて飛び込んできた。侍女は横目でラディムを恨めしそうに睨みつけている。余計な仕事を増やして、といった抗議の目だ。


「あ、ああ。大丈夫です。問題ありません」


 侍女が母の肩を抱えて起き上がらせようとすると、母は片手で制し自分で椅子に座りなおした。


「しかし……」


 戸惑い気味に侍女は母の姿を見つめる。


「私はまだ、ラディムに話があります。もうしばらく下がっていなさい」


 侍女はしぶしぶといった表情を浮かべながら、部屋の外へと出て行った。


「ラディム……。それは、幻聴です。あなたのお父様が、憎き精霊使いのはずがありません」


 咳ばらいを一つして、母はラディムに告げた。きっぱりと、断定口調で。


「しかし、夢の中の少女の話は、やけに具体的で――」


「だから! 幻聴だって言っているでしょう! 忘れなさい!」


 ラディムが夢の話を蒸し返そうとすると、またも母は声を張り上げた。


「は、母上……」


 先ほど卒倒した母を見たため、ラディムは慌てて口をつぐんだ。


「……ラディム、あなたは疲れているのです。準成人の儀を終えたばかりなのだから当然です。明日、もう一度ここに来なさい。疲労に効く良い薬を用意しておきますから」


 母は立ち上がり、ラディムの肩をポンっと軽くたたいた。


「ですが、母上……」


「いいから! 今日はもう下がりなさい!」


 ラディムはなおも食い下がろうとしたが、母付きの侍女に止められた。







 その夜、自室のベッドにもぐりこんだラディムは、意識の中の優里菜を呼んだ。


「優里菜、母上の態度、どう見た?」


(取り付く島もなかったねー。確かにあの様子じゃ、精霊の話題は絶対に出せない)


 優里菜は、「あれじゃ、どうにもならないね」とつぶやいた。


「父上の話題も、結局は何もわからずじまいだったな。君の人格のことも完全否定されたし」


(まぁ私でも、夢で聞いたなんて言ったら、バカにしてるのかと怒るかもしれない。その点は仕方がなかったかも)


 優里菜の言うとおりではあった。優里菜同様に、ラディムも夢が云々だなんて話をされたとしても、正直、対応に困りそうだ。


 だが、あの場ではあくまで夢として話すしか、ラディムには手がなかったのも事実だった。


「とりあえず明日、冷静になっている状態でもう一度挑戦だな」


 母のほうから、もう一度来るようにと言ってきた。乗らない手はないだろう。


(そうだね。明日こそは、もう少しいい情報を引き出したいところだね)


 優里菜も同意する。


 本当に、何かちょっとした手掛かりでもいいから、情報が欲しかった。同姓同名の二人の父。いったい何の関係があるのかを。


「じゃ、明日に備えて英気を養うか。おやすみ優里菜」


(はい、おやすみラディム)


 挨拶を交わし、ラディムは眠りに落ちた――。







 翌日、約束通りラディムは母の私室を訪ねた。


 母の様子は、どうやらすっかり落ち着いているようだ。母に促され、昨日と同じ椅子に腰を下ろした。


「おはよう、よく来ましたね、ラディム」


 ラディムも母に挨拶を返した。母はにこやかに微笑んでいる……ように見える。


「まずは、昨日話した疲労に効く薬。これを飲みなさい。私の精神面を見てもらっている薬師に、処方してもらいました。ラディム、あなた、かなり疲れているように見えるわよ」


 ラディム自身はそこまで疲れているとは思っていなかった。だが、ここ数日、かなりのハードスケジュールだった点は間違いがなかった。知らずに表情に出ていたのかもしれない。


「お気遣い、痛み入ります」


 母の行為に、ラディムは素直に応じた。渡された粉末を口に含むと、水で一気に流し込んだ。


 そこで、ラディムは意識を失った――。







「……ん、あ、あれ? ……私はいったい」


 ラディムは体を起こした。


 わずかに感じる頭の鈍痛に、思わずこめかみを指で押さえた。痛みは幸い、すぐに治まった。


 ラディムは改めて周囲を見遣る。見飽きた景色だ。……いつの間にか、自室のベッドで寝ていたようだ。


「あ、殿下! 気づかれましたか?」


 ラディムが起き上がる様子に気づいたのか、エリシュカがパタパタとラディムの傍まで小走りでやってきた。エリシュカは少し顔を曇らせている。心配をかけたのだろう。


「エリシュカ……。私は、いったいどうしたのだ?」


 ラディムは状況がつかめていなかった。


「覚えていらっしゃいませんか? お母上のユリナ様の部屋で、殿下は突然倒れられたのですよ?」


 あいまいだった記憶がよみがえってきた。確か、呼ばれて母の私室に行ったのだ、と。


 だが、なぜだか、それ以上を思い出せなかった。


「ユリナ様がおっしゃるには、殿下は疲労回復のお薬をお飲みになり、すぐに卒倒されたそうです」


「ああ……、そういえば、母に薬をもらい、飲み込んだまでは覚えているが、そこから先が思い出せない。母の言うとおり、そこで倒れたのだろう」


 確かに、疲労に効く薬といって手渡された。その薬を飲んで以降のラディムの記憶は、途切れていた。


「よほど精神的に疲れていたのだろうって、ユリナ様はおっしゃっていました。殿下が飲んだお薬、マリエちゃんが処方した精神安定剤のようなものなんだそうですよ」


「精神安定剤?」


 疲労に効くとは言っていたが、精神面の疲労を取り除くものだったのか。それにしても、マリエの処方薬とは。いつの間に薬師のまねごとを……。


「殿下が精神的にお疲れのご様子だったから、ユリナ様がマリエちゃんに頼んで、心に作用をする魔術を込めたお薬を作ってもらったそうです」


 なるほど、純粋な薬というよりは、『生命力』を練りこんだマジックアイテムみたいなものか。


「即座に卒倒するほど効果てきめんだった、ということだな。確かに、何か頭に掛かっていたもやが晴れたような気がする。すごく、すっきりした気分だ」


 ここ数日の間、さんざん悩まされていた頭の中に響き渡る妙な女の声も、すっかり聞こえなくなっていた。精霊を善だとうそぶく、何やら妄想を垂れ流していたあの忌々しい声。結局は母の言うとおり、精神的な疲れからくる、単なる白昼夢だったのだろう。


「それはよかったです!」


 ラディムがにこやかに笑えば、エリシュカはぴょんと跳ねて喜んだ。


「明日、マリエにお礼をしに行くか」


 母にはもちろん、薬を作ったマリエにも感謝をしなければ、とラディムは思った。

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