7 マリエとの別れの時
「マリエー、来たぞー」
ラディムは教会に入ると、いつものようにマリエを呼ぶ。
今の時間、礼拝堂にはまったく人がおらず、ラディムの声は大きく反響した。
午後二時過ぎで、日差しが一番強い時間帯だ。ステンドグラス越しに差し込まれる色とりどりの光が、礼拝堂を幻想的に彩っていた。
ラディムは顔を上げ、天井のステンドグラスに目を遣った。一人の老人が火山に飛び込もうとする場面をかたどったものだ。おとぎ話――世界再生教では聖典扱いされているが――にでてくる、荒ぶる火山を抑えるために一人の神官がいけにえになるシーン。その神官こそ、世界再生教の崇める神だ。
しばらくそのまま、ラディムは目を細めてその輝くステンドグラスを見つめた。
「あ、殿下!」
ほどなくして奥の扉が開き、マリエが顔を出した。息を弾ませ小走りで礼拝堂の入口までやってくる。
初めて会ったときは肩にかかるくらいだったマリエの黒髪も、今は腰のあたりまで伸ばされている。マリエの動きに合わせて、毛先がふわりと舞った。
「待たせたか?」
ラディムは傍までやってきたマリエを迎え、あいさつ代わりにマリエの頭をポンポンッと軽くたたく。
「い、いえ……、そんなことはないです」
マリエは少しうつむいた。顔が赤く染まっている……ような気がする。
「と言っていますが殿下、マリエ、一時間前からそわそわしっぱな――」
やはりいつもどおり裏から司祭が現れ、マリエをいじりだした。
「司祭様っ!!」
マリエは両手をあわあわと振り、慌てて司祭の言葉を遮る。
「ほらほらマリエ、ちゃんと今のうちから殿下に粉をかけておかないと、あとで後悔しますよ」
司祭はクスクス笑っている。完全にマリエをからかいに掛かっていた。
「ちがう! そんなんじゃない!」
ますます顔を紅潮させ、マリエは司祭に抗議の声を上げた。
「マリエ?」
「で、殿下! 違うんです! 違うんですったら!」
さらに勢いよく両手を振りながら、マリエは頭を振る。かなり必死だった。
「何が違うんだ?」
なんとなく察してはいるが、ラディムはとぼけた。
「とにかく! 違うんです!!」
あたふたするマリエに、ラディムは苦笑した。
「ま、まぁマリエがそう言うならいいが……」
このような様子を見ればさすがにラディムも気づく。マリエがラディムに特別な感情を抱いていることを。
最初は、行き倒れのところを救った恩からの感謝の念だと思っていた。だが、最近は会うたびにうつむいて赤面しているし、移動の際には必ず腕を絡めてくる。いくら何でもこのマリエの態度が、謝意からくる親愛の念だけとは思えない。
まだ初恋と呼べるような感情を抱いたことはなかったが、本好きのラディムだ、読書を通じて恋がどんなものなのかは何となく理解していた。マリエの様子は、どう見ても本で読んだ恋の現象に当てはまるように、ラディムは思える。これで何の感情も抱いていませんなんて言われたら、正直、女性不振になりそうだ。
ちなみに、ラディムがエリシュカに恋心を抱いている、ということもない。ラディムの無茶なわがままにも笑ってつきあってくれる、優しい年上のお姉さんといった感情だ。
「ほ、ほら殿下。先週の研究の続き、やりましょう」
話を無理やり遮るように、マリエはラディムの腕を取った。そのまま、教会奥のマリエの自室へと引っ張る。
ラディムも今はマリエにそういった感情を向けられても、応えられない。恋を知らないし、何より自身のプライベートが忙しすぎた。なので、ごまかすマリエに乗ることにした。
「そうだな、私も準成人になれば、毎週のようにここへ来られるとは限らないし」
初恋よりも、目下の問題は間近に控えた準成人の儀だ。ミュニホフの大勢の市民の前に姿をさらし、誓いの言葉を述べなければならない。ラディムの大衆の前でのお披露目は初となるので、たくさんの市民が詰めかけるのは想像に難くなかった。
この準成人の儀を持って、ラディムは多くの公務をベルナルドから与えられる。週一で教会に来る時間は、どう考えても取れないだろう。おそらくは、慣例どおり騎士団に入団し、その寮にしばらくは入ることになるはずだから。
「あ……」
マリエは悲嘆の声を上げ、がくりと頭を下げた。
「そんな顔をするな。できるだけ顔を見せるようにするさ。私もマリエと一緒に研究をすると、良い刺激がもらえるしな」
ラディムも寂しかった。毎週一回マリエと魔術談義をするのが習慣になっていたし、実際に、マリエのおかげで研究もはかどっていた。その頻度が下がるのはつらいものがあった。
「いえ、そうではないのです……。実は、私も準成人を迎えたら、フェイシア王国の王都へ行くことになっているんです」
マリエは力なく首を振る。
「え!?」
一瞬、マリエが何を言ったのかわからなかった。
悲しそうに目を潤ませるマリエを見て、ようやくラディムは現実を理解しだした。
「黙っていてすみません。殿下と過ごす時が楽しくて、なかなか言い出せなくって」
深々とマリエは頭を下げた。
「殿下、黙っていて申し訳ありませんでした。マリエにもギリギリまで言わないようにってお願いされていたものでして」
少し困ったような表情を顔に張り付けながら、司祭は頭を掻いた。
「司祭……。これはいったい? 確か私は、マリエを側近にしたいといったはずだ。他国に出してしまうとはどういうことだ?」
突然のマリエの告白で、ラディムは心に大きな穴が開いたように感じた。魔術の良きライバルとして、信頼できる護衛として、マリエとはこれからもよい関係でいられると思っていた矢先だ。いなくなられては、喪失感が大きい。
そもそも、マリエを教会に預ける際に、ラディムの側近にするからそのつもりで面倒を見てほしいと頼んだはずだ。それなのに、いったいなぜこんな事態になっているのだろうか。
「ええ、承知しております。ですので、側近につける前に、少し世界を見せて見聞を広げさせようと思ったのです」
司祭はすまなそうに、「殿下には申し訳ないのですが……」と頭を下げた。
「そこまでする必要はあるのか? できれば準成人の期間は侍女教育を受けてほしいのだが……」
侍女兼護衛にするつもりだったラディムとしては、マリエには準成人を期に宮殿に入って、見習い侍女として働いてもらうつもりだった。ラディムが騎士団の寮での任期を終えて宮殿に戻り次第、そのまま傍付き侍女にするために。
「王都滞在中に教育を受けられるよう手配をしております。マリエは優秀です。ただ侍女教育を施すだけではもったいない。今、劣勢に立たされている王国の世界再生教会の実情を見せて、いろいろと考えてほしいと思うのです。殿下の側近として仕えれば、図らずも宗教問題に直面することになるはずです。将来の世界再生教を背負って立つ導師の一人としても、しっかりと世界での教団の実情を、知ってもらいたいのですよ」
司祭は暖かなまなざしをマリエに向けた。
王都滞在中に侍女教育もさせる。見聞が済めばミュニホフに戻る。司祭はそう説明する。
「そういうことか……。わかった」
準成人後の騎士団寮滞在中にマリエに会うのは厳しいだろうし、王都であってもきちんと侍女教育がなされるのであれば、ラディムがこれ以上文句を言う筋合いはないのだろう。確かに、世界を知ることはマリエの将来にもプラスだと思えた。
「マリエ、しばらく会えなくなるが、しっかり頑張ってくれ。私も頑張ろう。お前にバカにされないように、な」
再開した時に、マリエとの実力差が開いていたら恥ずかしい。騎士団に入っても自主鍛錬は怠れないとラディムは胸に刻んだ。
「はいっ! 私も、殿下に追いつき追い越せの勢いで、しっかり務めを果たしてきます!」
マリエはうつむかせていた顔を上げると、精いっぱいの声を張り上げる。マリエの瞳は、燃え上がるように輝いて見えた。
「では、残された時間も少ない。早速研究の続きをやろうか」
互いに決意の言葉を掛け合ったところで、ラディムは話題を変えた。
今日の当初の目的も果たさないといけない。この後にはエリシュカの実家でミアに会う予定もあるのだ。いつまでもおしゃべりをしていては、研究もせずに日が暮れてしまう。
いつものとおり、ラディムはマリエに手を引かれて、奥のマリエの自室へと向かった。
「この一週間の成果を見せますね、殿下。これなんですけれど……」
マリエは机の引き出しから、丸い毛糸球を取り出した。
渡された毛糸球を、ラディムは恐る恐る触りながら確認した。マリエの『生命力』が充満している。属性は……風だろうか。
「おおっ、これはすごいなマリエ!」
見事なマジックアイテムだった。
『生命力』を込めて相手に投げつけると、毛糸球の毛糸がほぐれ透明化し、相手をがんじがらめに拘束するとマリエは説明する。
「これなら格上相手を拘束することもできます。生け捕りが必要な相手に、大変有効かと思って」
褒められたマリエは、フンっと鼻を鳴らしながら胸を張った。
「うんうん、こいつは使える。マリエ、やはり君はすごいよ。魔術の天才だな」
敵を殺さずに無力化できる。軍隊や街の警備隊など、需要はたくさんありそうだった。ただ、発動に『生命力』を要するため、どうしても『生命力』持ちとセットにしなければならないのが難点ではあるが。まあ、そこは運用次第となるだろう。
「そ、そんな……。殿下、褒めすぎです」
マリエは体をよじって照れている。顔が真っ赤だった。
「そんなことはない。こと、魔術に関してはもうお前にはかなわないだろうな。確かに生命力の絶対量は私のほうが多い。だが、扱い方はどう見てもマリエのほうが一段上だ」
今のラディムでは、同じものを一週間以内に作れと言われても作れる自信がなかった。『生命力』での絶対量はマリエのほうが圧倒的に低いのに、マリエはその少ない生命力を巧みに扱うすべを心得ていた。繊細な魔力調整は、断然ラディムよりも上をいっていた。
「ありがとうございます、殿下!」
パッと満面の笑みを浮かべ、マリエは飛び上がった。
その晩――。
(なんだこれは……。夢、か? やけにはっきりとした夢だ)
ラディムは不思議な夢を見た。いや、これは夢なのだろうか。いやに意識がはっきりしていた。
目を前方に向けると、四人の若者の姿が見えた。
大柄の戦士風の男。深緑色のローブを着込んだ細身の青年。長く奇妙な形をした槍を持つ少女。大型の弓を手に持つ女性。
(あれは? 私の知らない者たちだな)
全員がラディムの知らない人間だった。だが、なぜか沸き起こる既視感。
ローブの男の傍らには四匹の動物の姿が見える。黒毛の子犬、トラ柄の子猫、首元が玉虫色にきれいに輝く鳩、栗毛の仔馬。
(それに、あの猫……。ミアにそっくりじゃないか?)
トラ柄の子猫は、エリシュカが飼っている例の子猫、ミアに瓜二つだ。柄の模様がほとんど同じに見えた。
(なんだろう、初めて見るはずの光景なのに、なぜか懐かしく感じる……)
若者たちはどこかの建物の中にいた。目の前には金に輝く巨大な扉が行く手を阻んでいる。
施された細工をよく見ると、世界再生教で悪の化身とされる龍がかたどられていた。
ローブの青年が他の3人に何やらつぶやくと、その金の扉をゆっくりと押し開き始めた。
――そこで、夢から醒めた。
気が付いたら、いつもの宮殿のベッドの上だった。
「やはり夢……。なんだったんだ……」
汗でべっとりと寝間着が肌に張り付いている。
ラディムは頭を振り、意識を覚醒させた。所詮は夢、あまり深く考えても仕方がないと思い、ベッドから這い出た。
もう二度寝をするような時間でもないので、エリシュカを呼び早々に着替えることにした。
まもなく準成人の儀、準備しなければならないことは、それこそ山ほどある。せっかく早起きをしたのだ、時間を有効に使おうじゃないか、とラディムは動き始めた。
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