6 私もとうとう準成人か
中央大陸歴八一二年夏――。
ラディムは一月後に十二歳の誕生日を迎えようとしていた。
元々フェイシア王国の一地方だったバイアー帝国は、王国同様十二歳で準成人を迎える。したがって、ラディムも十二歳の誕生日をもって準成人だ。
すでに十歳のころから、皇位継承順位第一位の皇子として簡単な公務を課せられていたラディムだが、準成人を迎えれば、本格的な役割をベルナルドから与えられる。より、忙しくなる事が容易に予想できた。
ザハリアーシュたち教育係も、最近はラディムを子供扱いしなくなった。周囲の態度の変化で、いよいよ、子供時代が終わるのだとラディムは実感する。
「覚悟はしているけれど、やはり少し不安だな……」
ラディムは無意識のうちにつぶやいていた。
皇族として、ギーゼブレヒトの人間として、大きな責任を負っていかなければならない身であることは、幼いころから散々叩き込まれてきた。だが、いざその時を目前に控えれば、所詮は十一歳の子供、どうしても心細さが先に立つ。
「どうされたんですか、殿下」
「あぁ、エリシュカか……。いや、ちょっとな。もう来月には準成人だから、少し感傷的になっていた」
気づかわしげな表情を浮かべながら、エリシュカはラディムの顔を見つめている。
ラディムは弱気なところを見せてバツが悪いと思い、頭を掻いた。あまりエリシュカの前では情けない姿をさらしたくない。まだ少年とはいえ、ラディムの男としての矜持だった。
「あら、殿下でもそんな繊細なところがあったんですね」
さらっと失礼な発言をするエリシュカ。これは、もしや日頃の悪戯の仕返しだろうか。
「お前は私のことをなんだと思っている」
へこんでいる時に逆襲とは、なかなかエリシュカもいい性格をしている。ラディムは苦笑を浮かべながら、軽くエリシュカの頭を小突いた。
「何事にも動じない、なんでもできる超人、ですか?」
大した評価だ。エリシュカがそれほど自分を買っているとは。うん、一目置かれる分には、悪い気はしない。しないのだが――。
「私はそんな万能な人間ではないぞ。これでも人並みに子供心も持っている」
あまり変な幻想を抱かれると、ちょっとしたことでも失望されかねない。ラディムはすかさず否定した。
もしエリシュカに白い目で見られたりでもしたら、ラディムは立ち直れない。蔑まれて喜ぶような特殊な性癖は、ラディムにはなかった。いつも、エリシュカには笑顔を向けていてほしい。
「あ、それはわかってます。私にいたずらするの大好きですもんね、殿下」
ぺろりとエリシュカは舌を出し、茶目っ気たっぷりに笑顔を浮かべている。どうやらラディムの気を紛らわそうと、おどけてくれていたようだ。
こういった気遣いは、エリシュカのほうが一枚上手だった。さすがに年上のお姉さんだ。
「私、殿下付きになった最初の頃、本当に大変だったんですよ。毎日侍女長に折檻されて」
恨み言を口にするエリシュカだが、どう見ても顔は笑っていた。
「いやほんと、お前にはすまないことをした」
幼いころは自分の境遇のつらさしか見えてなかった。ザハリアーシュに指摘されるまで、エリシュカがラディムの行動のせいで厳しい叱責を受けている事実に、まったく気づいていなかった。
あの当時はエリシュカもまだ十三歳だ。きっとつらかっただろうと、今のラディムならよくわかる。
明るい声で笑いながらエリシュカは言うが、それでもラディムは当時のエリシュカの気持ちを思うと、申し訳なく感じる。
「あっ、で、殿下。本当に、私、気にしてませんからね」
ラディムがうつむいたのが予想外だったのか、エリシュカはあわててラディムの顔を下から覗き込むと、にっこりとはにかんだ。責める気は全くない、と伝えているようだった。
「まったく、エリシュカにはかなわないな」
ラディムもつられて顔をほころばせた。
「うふふ」
エリシュカはラディムの笑顔に満足したのか、楽しそうにくるくるっと回り始める。一回転するたびに、スカートのすそがふわりと舞った。
こうしてみると、ラディムよりもよほど子供っぽい。エリシュカは四歳も年上のはずなのだが……。
「……さて、いつまでもこうしているわけにもいかない。今日もお勤めに行くぞ。エリシュカは先に門で待っていてくれ。私はザハリアーシュを呼んでから行く」
一人踊っているエリシュカにそう伝えると、ラディムはザハリアーシュの私室へ向かった。
「はーい、わかりました」
背後から軽やかなエリシュカの声が聞こえる。ちらりと振り返って見ると、回転のし過ぎで少しふらつくエリシュカがいた。
(ほんと、いつも元気をくれる)
ラディムは思わず笑みがこぼれた。
ラディムはいつものように、ミュニホフのメインストリートであるギーゼブレヒト大通りを、エリシュカ、ザハリアーシュとともに歩いていた。
ミュニホフの夏はカラッとしている。日差しが強く日なたにいると肌が焼けるように感じるが、日陰に入ればわりと過ごしやすい。なので、この時期のレストランは道端にテラス席を用意していた。大きめのパラソルで日差しが遮られているので、屋外だが涼しく快適だった。
ちょうど昼食の時間に差し掛かろうというタイミングだったので、あちこちのレストランのテラス席が埋まり始めていた。市場調査も兼ねて、ラディムたちも食事を近くのレストランのテラス席でとることにした。
「殿下、まもなく準成人ですな」
注文した料理が届くまでの待ち時間。ザハリアーシュはちびちびと冷えたビールを飲みながらラディムを見つめている。
「ああ……。正直、私に第一皇子としての役割を果たせるのか、不安だ」
正直な気持ちを吐露した。
先ほどエリシュカに弱音を吐きだしたことで、少しだけラディムの心は軽くなっていた。なので、ザハリアーシュの前で無理に強がろうという気は起きなかった。いつものラディムであれば、大人らしく振舞おうと虚勢を張っていたに違いない。
「何を心配めさる。こなせるだけの教育を、私たち教育係は殿下に与えてきましたぞ。そして、殿下はその課題に見事応えてくださっておる」
「自信を持たれよ」と言い、ザハリアーシュは「ガッハッハッ」といつもの調子で笑った。
たしかに幼いころから、ぎちぎちのスケジュールで、精神的に追い詰められるほどの課題を与えられてきた。エリシュカへのいたずらという気分転換はしたものの、それら課題に対してはすべて独力できちんとこなしてきた。
「そうですよ! 殿下がものすごい努力をなさっているのは、毎日傍で見ている私もよく知っています。自信を持ってください!」
ラディムの隣でグレープジュースを飲んでいたエリシュカも、ザハリアーシュの言に首肯した。
「ん、そうだな。私が自信のない顔をしていれば、周りが皆、不安になる。よからぬことを企む者にも付け入る隙を与えることになるな」
皆がこれだけラディムの努力を買っている。つまり、周囲を認めさせられるだけの行動を、今までラディムがしてきたということだ。
ここで変に覇気のないところを見せてしまえば、せっかく評価している人たちの心まで踏みにじる。
「そうですぞ。皇族は常に威厳を持って振舞わねばなりません」
満足そうにザハリアーシュは頷いた。
「心しておくよ」
来月の誕生日に向けて、今日のこのやり取りはとても良い心の支えとなりそうだった。
ザハリアーシュとエリシュカとのやり取りが一息ついたところで、ちょうど頼んだ料理がきた。
豚の膝が丸ごとドンッと皿に乗っている、コレノと呼ばれる大陸中央地域の伝統料理だ。その膝にはナイフが突き刺さっている豪快さ。パリパリになった皮が食欲をそそる。
「それはそうと、ザハリアーシュ。昼間からあまり飲みすぎるなよ」
ラディムは料理をつつきながら、相変わらずビールをあおっているザハリアーシュに苦言を呈した。
「なぁに、この程度水代わりですぞ。ガッハッハ」
ザハリアーシュは大口を開けて笑った。そしてまたグイっとビールを口に含む。
(いや、確かにビールは水より安いけれど、一応今公務中だぞ。フリーダムすぎるだろう)
普段はしっかりしているくせに、たまにこうしてだらしのないところも見せる、なんともお茶目な爺だった。
食事を終え、ラディムたちはしばらく露店の様子を調査した。商環境も安定しているようで、商人や買い物客から、特段不満の声は聞こえてこなかった。ベルナルドの治世は、実に安定していた。
「じゃあ私はこのまま教会に寄っていく。その後、ミアに会いにエリシュカの実家にもいくので、エリシュカ、ご家族によろしく伝えておいてくれ」
「はいっ、わかりました」
「では、私は先に宮殿へ戻っていますぞ」
必要な調査は追えたので、このまま解散することになった。例によって、ラディムは教会へ魔術の研究に、エリシュカは実家に戻りミアの世話に、ザハリアーシュは宮殿へ一足先に帰還、と相成った。
「実家に先に戻ってますねっ! また後ほど、殿下!」
パタパタとエリシュカは貴族街に向けて小走りで去っていった。
ザハリアーシュは来た道を戻り宮殿へ、ラディムは住宅街のはずれの世界統一教の教会へと歩き出した。
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