2 気まぐれに少女を助けた

「おいっ、大丈夫か?」


 倒れていた人物を恐る恐る抱き抱え、声をかけた。


 小さな少女だった。歳は、ラディムとそう変わらなく見える。しかし、やたらと軽い。大分やせ細っているように思えた。


「……う。み、水を……」


 少女はうめくようにつぶやいた。表情は真っ青だ。


「エリシュカ、水を持っているか?」


 ラディムはエリシュカへ顔を向け、尋ねた。


「は、はい!」


 エリシュカは応えると、すぐさま手に持っていたバスケットから水筒を出し、ラディムに手渡した。


「ほら、水だ」


 水筒の口を少女の唇に当てると、少女はコクッコクッと水を飲みこんだ。







「どこの誰だか知らないけれど、助かったよ」


 水を飲んで落ち着いたのか、青ざめていた少女の表情は幾分和らいでいた。


「いやなに、単なる気まぐれさ」


 少し気恥ずかしくて、ラディムはぶっきらぼうに答えた。


 確かにラディムの気まぐれだった。本来なら、ラディムが直接出張らず、警備隊に通報すれば済む問題だった。


「それにしても、いったいどうされたんですか? お水がないなら、警備隊の詰所へ行けばよかったのに」


 エリシュカは首をかしげた。


「警備隊の詰所? なんでそんなところに?」


 少女は訳が分からないのか、きょとんとしている。


「もしかして、帝国の方じゃないのですか? 皇帝陛下の命で、街の警備隊の詰所で水や食料を分けてもらえますよ。もちろん、ちょっとした雑用を手伝ってもらうという条件はありますが」


 ベルナルドは街から浮浪者を一掃するために、警備隊の詰所で水や食料の施しをしていた。対価として通りの掃除などの軽作業が課されるものの、それほど負担の大きいものではない。


 お触れは大々的に出されているので、帝国の国民であれば大抵は知っている。知らないというのであれば、それは他国の人間ということだ。


 この制度のおかげで、物乞いや浮浪者を街中で見かけることはほとんどない。国に施されるのが嫌だ、食料の対価で他人に指図されるのが嫌だ、とこだわる一部の人間のみが、スラムを形成して好き勝手やっていた。


「そんな制度が、この国にはあるの……」


 少女は驚き、目をぱちくりとしていた。


「お前、どこの国から来たのか知らないが、お金がないのか? 見たところ大分衰弱しているようだし、まともに食事もとっていないだろう?」


 ラディムは少女の様子をざっと眺めた。


 粗末な旅装だった。袖や裾もあちこち擦り切れ、一部穴の開いているところもある。マントも持っていないようなので、今が夏でなければたやすく凍死しかねない格好だ。


 少し肩にかかるくらいに伸ばされた黒髪も、汗でべったりと肌に張り付いていた。水浴びもできていないのであろう、大分薄汚れているように見える。


「南から来た。帝都のような大都市に来れば、何か仕事がないかと思って」


 弱々しい声で少女は答えた。


 ラディムの見立てどおり、大分消耗が激しいようだ。


「仕事って、お前私と同い年ぐらいだろう? そんな子供が仕事なんて……」


 仕事に就くのは、たいてい準成人を迎える十二歳からだ。ラディムは第一皇子という立場があるため、十歳の今もこうして公務をこなしてはいるが。


「両親が死んだんだ。もともと村の連中との仲も悪く、村で生きていけなくなっちまった。それで、親の残したなけなしの金を持って、どうにかここまで来たはいいけれど……」


 悪いことを聞いたと思った。天涯孤独の身になって、やむにやまれず都会に出てきたと、そういう理由だった。


「かわいそう……。殿下、彼女、なんとかなりませんか?」


 少女の身の上を聞いて同情したのか、エリシュカの目は潤んでいた。


「この歳だと、仕事を探すのはさすがに無理だな。準成人にもなっていない。どこか孤児院を探すか?」


 準成人を迎えていない子供を無理やり働かせるような真似は、ベルナルドが厳しく禁止していた。なので、十一歳以下の子供を雇おうとする者はいない。


 たとえ子供本人の意思で働いていたとしても、周囲がどう見るかは別問題だ。子供を無理やり働かせていた悪い奴だなどと評判を立てられでもしたら、商売あがったりになる。自然と、自分の子供ですら十二歳を迎えるまでは働かせようとはしなくなった。これが、果たして良いことなのか悪いことなのかは、ラディムにはわからない。


 どうしたものかと首をひねっていると、ザハリアーシュが小声でささやきかけてきた。


「……殿下、少しよろしいですか?」


「ん? なんだ、ザハリアーシュ」


 何事だとラディムは訝しんだ。


「その娘、どうやら『生命力』持ちですぞ。私の持っている簡易『生命力』測定器が反応しております」


「なんだって!?」


 驚いたラディムは、思わず素っ頓狂な声を上げた。


 ザハリアーシュは右腕につけた腕輪をポンポンと触っている。その腕輪が測定器なのだろう。何やら鈍く明滅している。『生命力』に反応しているのだろうか。


 『生命力』持ちは相当に珍しい。現時点でラディムと同世代の子供にしか見られないからだ。そういった意味では、確かに、ラディムとほぼ同い年に見えるこの少女が、『生命力』を持っていてもおかしくはない。


「ですので、我々で囲うべきです。精霊教の連中に連れていかれれば、精霊使いにされてしまいます。もちろん、皇宮に連れて行くわけにもいきませんから、世界再生教の教会に預けるのが一番かと」


 それ以外にありませぬぞ、と言いたげに、ザハリアーシュはラディムに詰め寄った。


 確かに、精霊教に連れていかれてしまえば大変だ。『生命力』――精霊教では『霊素』だったか――を持っている以上、目をつけられれば間違いなく勧誘される。この国で精霊教に関わればどうなるかは、半年前の精霊教取り締まりで、ラディムもよくわかっていた。せっかく助けたのだ。この少女にそんな目には合ってほしくない。


「教会か? 孤児院じゃないのか?」


 孤児院ではなく教会に預ける。つまり、ザハリアーシュは少女を世界再生教の聖職者にさせるつもりなのだろうか。


「はい。今、教会では『生命力』持ちを、魔術が使える『導師』にしようと教育中です。あの娘にとっても、教会で導師を目指せば安定した地位を得られますし、よろしいかと思いますが」


 数少ない魔術を行使できる生命力持ちとして、優遇された生活が見込める、とザハリアーシュは言う。


「うん……、悪くない話だな。よし、提案してみよう」


 下手な職に就くよりも、よほど良い暮らしができるだろうと、ラディムも思った。


「おい、お前。世界再生教の教会に入る気はないか?」


「……世界再生教?」


 よくわかっていないのか、少女はきょとんとしている。


 ラディムは少女に一から、世界再生教についてと少女の生命力についてを説明した。


「……わかった。その教会で導師を目指してみるよ」


 ラディムの説明に納得したのか、少女は少し微笑んだ。


「私はマリエ。マリエ・バールコヴァ」


 マリエは立ち上がり、ラディムに右手を差し出した。どうやら握手を求めているようだ。


「私はこの国の第一皇子、ラディム・ギーゼブレヒトだ」


 応えるため、ラディムも立ち上がり、右手を出してマリエの手を握った。


「お、皇子様!?」


 調子はずれな大声を上げるマリエ。ラディムが告げた事実が信じられないのか、せっかく立ち上がったのに、またへなへなと力なく座り込んだ。


「こちらから身分を隠して近づいたんだ、気を使わなくていい」


 マリエの腕を引っぱり立たせてやると、ラディムは笑った。


「は、はいっ。本当に、ありがとうございました。この御恩は一生涯忘れません!」


 マリエは恐縮しきりに頭を下げた。言葉遣いも丁寧なものに変わっている。


 出会いはラディムの気まぐれだった。だが、このラディムの気まぐれによって、少女マリエの人生は大きく変わることになる。


 本来ならばただの町娘として終わるはずだった。しかし、偶然にも『生命力』持ちとして見出された。マリエの将来は、非常に明るいものに変わっていった。

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