3 なれなれしい猫だ
マリエを世界再生教会へ預けた帰り道――。
ラディムたちは治安を確認するため、住宅街を歩いていた。
お昼を少し回った時間で、みな仕事に出ているためか歩行者もそれほど多くはなく、静かだった。周囲に不埒な輩は見当たらない。
「マリエさん、無事に教会に保護されてよかったですね、殿下」
エリシュカはにっこりと顔をほころばせている。
「あぁ、そうだな。『生命力』持ちということで、かなりの歓迎ぶりだったしな」
教会へマリエを預けた時の、司祭の喜びようを思い出した。
飛び上がらんばかりの司祭の様子に、これならマリエは大丈夫だろうとラディムは確信できた。
「あの様子であれば、あの娘も大切にされるでしょうし、もう行き倒れになるようなこともありますまい」
教会に保護されている限りは、衣食住の心配はない。出会ったときのようなみじめな姿に陥る事態には、もうならないだろう。同年代のあの姿は、正直、見ていてつらかった。
「ザハリアーシュ、毎週の定期視察の際に、教会に寄ってマリエの様子をうかがってもいいか?」
少し思うところがあり、ラディムはザハリアーシュに尋ねた。
「あの娘が気にいりましたか?」
ザハリアーシュはニタニタと笑っている。何やら勘違いをしているようだ。
「変な勘繰りはよせ。……同じ『生命力』持ちだ。魔術のことについてなど、いろいろと情報交換などができればいいかな、と思ってな」
まだ十歳のラディムだ。別に色恋になど興味はない。ただ純粋に、魔術についての興味から持ちかけたまでだ。
「あぁ、それはよろしいですな。でしたら、将来的には殿下の側近にするのも、有りかもしれませんな」
納得した、とザハリアーシュはうなずいた。
「なるほど。確かに『魔術』が扱えるなら、護衛として近くに置いておくのも良い考えか」
魔術で護身用のマジックアイテムを自力で作れるし、作ったマジックアイテムを最大の効果で発動することもできる。目に見える武器を持たなくても戦闘能力を発揮できるので、身辺警護の護衛としては理想的かもしれない、とラディムは思った。
「あの娘、幸いなことに見目も悪くありません。殿下のお傍に置いても問題ないでしょう」
バカバカしい話だとは思うが、皇家の者の傍に置く女性の容姿をとやかく言う輩もいる。能力重視でいいではないかとラディムは思うのだが……。
「ということは、侍女教育も一緒に行わせた方がよいか?」
魔術を使う導師ということで、護衛に際し帯剣をする必要がない。であるならば、その点を生かし侍女として傍においておけば、ラディムを狙う無法者の油断も誘いやすいかもしれない。
「そうですな。侍女兼護衛という形のほうが、いろいろと都合がいいかもしれませんな。さすがに、どこの馬の骨ともわからぬものを、妃候補とするわけにはいきませんしの」
妃って……、まだ十歳だ。そういった話は早いのではないかとラディムは思う。
「えっえっ? じゃあ、私は将来的にはお払い箱ですか!?」
大きく目を見開いて、エリシュカが狼狽した声を上げた。
「まさか! 私がエリシュカを捨てるはずがないだろう。私は、お前から辞めたいと言わない限り、私付きの侍女をやめさせるつもりはないぞ」
ラディムが心のオアシスを手放すはずがなかった。たとえ辞めたいと言われても、無理やり引き留めるつもりもあった。
「よ、よかったぁー……」
エリシュカは胸に手を当て、安堵の声を上げた。
「ふふ、良かったですねエリシュカ」
「はいっ、ザハリアーシュ様!」
ザハリアーシュのかけた言葉に、エリシュカは満面の笑みを浮かべて大きくうなずいた。
「にゃーお……」
「ん?」
ラディムは立ち止まり、周囲を見回した。
「どうしました、殿下?」
突然のラディムの行動に、エリシュカは首をかしげている。
「いや、猫の鳴き声が。なんか、妙だな……」
どこからか聞こえてきた鳴き声に、ラディムの心はざわめき立った。理由は全く分からない。
「猫、ですか? あぁ、確かにいますな、あそこに」
周囲を窺っていたザハリアーシュは路地裏の一点を指さした。先には、小さなトラ柄の猫がたたずんでいた。
「わぁー、かわいい猫ちゃん。まだ子猫ですね!」
エリシュカが歓声を上げ、手を叩いた。
「うーん、なんだろう。何か妙だなこの子猫」
ラディムをじっと見つめているように見える子猫。なぜだか、初めて見るような気がしない。おかしな既視感を覚えた。
ラディムは頭を押さえ、襲い来る奇妙な感覚に戸惑った。
「殿下殿下! こっちに来ますよ!」
エリシュカの声に、ラディムははっと視線を前に向けた。子猫が猛然と突っ込んでくる。
「うわっ、なんだなんだ」
勢いのまま子猫はラディムの胸に飛び込んできた。慌ててラディムは子猫を抱きとめる。
子猫は小さく鳴き声を上げ、頭をラディムの胸に擦り付けてきた。
「殿下、すっかり気に入られていますね。うらやましいですっ」
一連の様子を見ていたエリシュカは、ラディムに羨望の目を向ける。
「おいおい、私になついたって飼ってはやれないぞ。っと、ずいぶんなれなれしい猫だ」
ぐりぐり頭を押し付ける子猫をやや強引に引き離して、ゆっくりと地面に下ろした。
子猫は少し名残惜しそうな声を上げる。
「こんなにかわいいんです! なれなれしいだなんて言ってはかわいそうですよ、殿下!」
エリシュカの目が、「連れて帰りましょうよー」と訴えている。うう、この目には弱い。弱いのだが――。
「殿下はともかく、陛下もお妃様も動物嫌いですしなぁ。連れて帰れませんぞ」
横からザハリアーシュが止めに入ってきた。
「私が動物を飼えば、『精霊教に下ったか』などと要らぬ疑いをかけられかねないな。使い魔にしたんだろうって」
ラディム自身は動物は嫌いではない。いや、むしろ大好きといってもいい。だが、精霊教が動物を積極的に保護する教義を掲げていたため、ラディムが下手に動物を手元に置いてしまうと、使い魔にするつもりで連れてきたのではないかと勘繰られる恐れがあった。
何しろ、ラディムは数少ない『生命力』――精霊教で言う『霊素』――持ちであり、精霊教保護の最右翼でもあるプリンツ辺境伯家の血筋の人間でもあるのだから。
「殿下はお傍に動物を置かない方がよいですな。遠くから愛でる程度にしておくのが無難ですぞ」
ラディムの言葉に首肯するザハリアーシュ。
「そんなぁー」
頬を膨らませ、エリシュカは不満そうにつぶやく。
「悪いな、エリシュカ」
ラディムはポンポンっとエリシュカの腰を叩いた。ぶすっとした顔をしたって、ダメなものはダメだった。
「殿下殿下! でしたら、私がこの子を飼ってもいいでしょうか!」
エリシュカはあきらめきれないといった表情で、ラディムの肩をつかみ顔をぐっと近づけてきた。
「そ、それは別に構わないが……。宮殿には入れるわけにいかないぞ? どうするんだ?」
エリシュカの勢いに、ラディムはすっかりタジタジとなる。
だが、宮殿に動物を連れ込めない事実は変わらない。エリシュカは何を考えているのか、とラディムは首をひねった。
「私の実家で、母にお願いします。殿下も気が向いたときにお越しいただければ、この子と戯れられますよ!」
目を輝かせて、エリシュカはさらにグイっとラディムに顔を近づける。
「あ、ああ……」
別にこの子猫はラディムのペットというわけではない。ただの野良だ。エリシュカが実家で飼うというのであれば、ラディムが拒否をする理由もなかった。
「母にも陛下にも内緒だが、実は私は動物が好きだ。こうも懐かれると、うれしいものだな。エリシュカ、では、たまにお前の実家に伺わせてもらうとするよ」
妙に懐いてくる子猫。確かにこのままお別れというのも、少々寂しくはあった。エリシュカの実家で飼ってもらえるのなら、帝都視察の際に遊びに行く機会も持てよう。
「はいっ、是非に! 両親も喜びます」
破顔一笑、エリシュカは飛び上がった。
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