第六章 一人の少女と一匹の猫

1 ミュニホフの街の視察に行くぞ

 中央大陸歴八一〇年夏――。


 ラディムは十歳の誕生日を迎えた。


 誕生日以来、ベルナルドの命で、公務としてミュニホフの街の視察を定期的に行うことになった。街の活気や治安を肌で感じ、定期的に見て回ることで、国の政治によってその様子がどのように変化していくかをしっかりと学ぶように、とラディムは指示されている。


 真夏の昼下がり、ラディムは週一回のミュニホフの定期視察に出ていた。できるだけ仰々しくならないように、と同行するのはザハリアーシュと付きの侍女のエリシュカのみだ。少し離れた場所に三人の護衛はいるが、基本的にはラディムたちに干渉してこない。


 照り付ける日差しに少しうんざりしながら、いつもの視察コースを歩く。汗ばむ肌に服が張り付き、少々鬱陶しい。だが、空気は乾燥しており、日陰に入れば涼しかった。


 ラディムは手をかざして、空を見上げた。雲一つない青空が広がっている。雨が降る気配はない。


「ザハリアーシュ、どうやら今週もミュニホフは変わらず、といったところだな」


 ラディムはギーゼブレヒト大通りに立ち並ぶ露店をぐるりと見まわし、顔をほころばせた。


 先週、同じところを視察した時と、活気は変わらないように思える。商人も多いし、店先の商品も種類豊富。買い物に来る一般市民の数も多い。大いににぎわっていると言えた。


「そうでございますな、殿下。安定した治安に淀みのない物流、実に、陛下の政の成果が出ております」


 ザハリアーシュはラディムの言葉に首肯した。


 治安……、問題なし。

 物流……、商店の店先の商品を見る限り、問題なし。


 ベルナルドによる統治が変わらず盤石なままなのがよくわかる。周囲の話を聞いても、皇帝に批判的は声は聞こえてこない。


 この晴れ渡る空と同じように、生活している市民の心も曇りなく澄んでいる。そう思えるくらい、街の空気は爽やかだった。


「この街の良い雰囲気がずっと続くように、今後とも陛下には頑張っていただきたいものだな」


 寂れて殺伐とする光景は、見たくなかった。


「ミュニホフの街は本当に素敵です、殿下。私のような年若い女でも一人で安心して歩けますし」


 エリシュカは、ラディムの少し前を楽しそうに歩いている。


 視察への同行ということで、今は侍女の制服ではなく、私服を着ている。白地のドレスに、赤を基調としたカラフルな刺繍が施されたピナフォアを合わせており、活発なエリシュカに良く似合っていた。エリシュカが弾むように歩くたび、スカートとピナフォアの裾がふわりと風に舞った。


 多くの人が行き来しているギーゼブレヒト大通りでも、騒ぎになるような事件はまず起こらない。エリシュカの言うとおり、女性でも問題なく一人で歩けるし、それこそ、ラディムよりも小さい子供でも危険なことはない。見事な治安の良さだと言えた。


「将来、殿下が即位された時も、このような安全で暮らしやすい街づくりを、ぜひともお願いしますね!」


 くるりと振り返り、エリシュカは満面の笑みを浮かべた。


「もちろんさ。それが、ギーゼブレヒトの人間としての責務なんだから」


 ラディムは首肯した。


 ベルナルドとも約束をした。この平和なミュニホフの光景を、ラディムは命を賭してでも護り続けなければいけないと。


 これからも、このエリシュカの笑顔を曇らせてはいけないな、とラディムは心に刻んだ。







「さ、殿下! 参りましょう!」


 エリシュカはご機嫌な様子で、ラディムの手を取り歩き出した。


 ラディムは慌てて後に続いた。隣ではザハリアーシュが「まったく、元気な娘だ」と苦笑を浮かべている。


「ほらほら殿下! こっちですよーって、あれ?」


 突然立ち止まるエリシュカに、ラディムはぶつかりそうになりたたらを踏んだ。


「っとと、急に止まるな。……どうした、エリシュカ?」


 エリシュカは何やら脇道に目を遣り、訝しんだ顔を浮かべている。


「殿下、あちらをご覧ください」


 道の奥の方をエリシュカは指さした。何かあるのだろうかとラディムは訝しんだ。


「何やら人が倒れているようなのですが」


 何か事件でもあったのだろうか。治安が良いとはいえ、物騒な出来事がまったくないというわけでもない。


「おや、行き倒れでしょうか? この街で、何とも珍しい」


 奥の様子を覗き見て、ザハリアーシュは首をかしげた。


 確かに、この街で行き倒れは珍しかった。浮浪者が出ないような政策を、ベルナルドがとっているからだ。


「あの……。殿下、どうなさいます?」


 戸惑いがちにエリシュカが尋ねてきた。


「うーん、暗殺者が私を狙って行き倒れの振りをしているだなんてことは、ないよな?」


 たまに読む娯楽小説でよく見かけるパターンだった。一応立場は第一皇子、狙われてもおかしくはない。


 ただ、この場所にはそれこそ偶然にやってきた。狙った暗殺の可能性は、限りなく低そうではある。


「はぁ、ないとは言えませんが、今の殿下をわざわざ暗殺する意味は、ありますかのぉ」


 顎に手を当て、ザハリアーシュは考え込んだ。


 ラディムも少し整理してみる。


 ラディムはいまだ立太子もしていない皇子。ラディムが死んだところで、次の継承順位はラディムの母だ。傍系のラディムを排除したい勢力も、排除した先が同じく傍系で、しかも女帝になるラディムの母では、あまり意味もない気がする。……心が壊れている母のほうが操りやすいとみて担ぎ上げる、という可能性も、なくはないが。


 そこまでは、考えすぎだろう。


「辺境伯家……はないか。オレはもう辺境伯家に戻るつもりはないし」


 王国の辺境伯の爵位なんて欲しくはない、とラディムは思う。


 現段階で、辺境伯家が危険を承知でラディムを消しに来るメリットもないはずだ。ラディムは辺境伯の地位を狙うそぶりは全く見せていない。何しろ、このままいけば次期皇帝なのだから。王国の一臣下の地位を欲するはずもない。


 潜在的に辺境伯の就爵の権利があるから排除をしておきたい、と辺境伯家が思ったところで、暗殺失敗時のデメリットが大きすぎる。実行するほど愚かではないだろう。暗殺がばれれば間違いなく戦争だ。要人の暗殺工作を行えば、王国に対する周辺諸国からの心象も悪くなるだろう。戦争で不利な状況に陥るのは目に見えている。


「後ろに護衛もおります。そこまで身構えずともよろしいでしょう」


 ちらりと後方に目を遣り、ザハリアーシュは言った。


「ま、これもあるしな」


 ラディムは懐から赤く色づけられた小石を取り出した。ラディムが魔術の練習で作ったマジックアイテムだった。


「殿下、何ですかそれ?」


 エリシュカが興味深そうにのぞき込む。


「ん? 私が魔術で作った爆薬さ」


「ば、爆薬!?」


 目を丸くして、エリシュカは大慌ててラディムから離れた。


「大丈夫。発動条件に『生命力』を付けているから、『生命力』持ちにしか使えないよ」


 エリシュカの反応が面白くて、ラディムはニヤリと笑った。


「そ、そうなんですか……」


 エリシュカは片手を胸にあて、ホッとした表情を浮かべた。


「『生命力』を発動の鍵にしているのは、暴発防止と、あとは、発動時にも『生命力』を付与した方が強力だからっていう理由もある」


 暴発防止の措置は、万が一知らずに他者が触っても爆発しないようにとの配慮と同時に、ラディムを害そうとする人物に奪われたとしても、その人物に使われないようにする防止機構としての役割もある。


 また、発動の際に追加で『生命力』を付与すると、そのマジックアイテムの効果が上昇することがわかっている。誰でも使える『生命力』不要のマジックアイテムであったとしても、『生命力』を追加で施せば更なる効果を発揮できる。そういった意味で、『生命力』持ちはマジックアイテム使用の面でも大きなアドバンテージがあるのだ。


「今度、私にも爆薬を作ってもらえませんか? 『生命力』なしでも使えるものを」


「いいけれど、いったい何に使うんだ?」


 皇宮の侍女が爆薬なんていったい何に使うのだろうか、とラディムは首をかしげた。


「うふふっ、乙女の秘密です」


 唇に人差し指を当てて、エリシュカは無邪気な笑顔を浮かべた。


(ま、まさか私のいたずらに対抗するために使うなんてことは、さすがにないよな)


 まぶしい笑顔を向けてくるエリシュカに、ラディムは少したじろいだ。


「えへへ、実は、宮殿の庭に花壇を荒らす害獣が入り込んでいるって、庭師がぼやいていたんです。威嚇用に使えないかなって思いました!」


「なるほどね。なら、音だけ派手に出るよう調整して、いくつか作ってみるか」


 どのような魔術を込めようかと、ラディムは頭の中であれこれと想像する。


「すみません、殿下。よろしくお願いします!」


 エリシュカは元気よく頭を下げた。


「……殿下、それであの者をどうするおつもりで?」


 ザハリアーシュはいつまでじゃれあっているんだと言いたげに、苦笑を浮かべている。


「おおっと、助ける助ける」


 エリシュカとのやり取りが楽しくて、ラディムはすっかり忘れていた。

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