4 邪教に負けるわけにはいかない、だが……

「ラディム、ラディムはいるか?」


 日課をすべて終え、夕食まで自室でくつろいでいると、ラディムを呼びながらベルナルドが入ってきた。


「陛下、どうされましたか?」


 わざわざ何の用だろう、とラディムは訝しんだ。もうすぐ夕食なので、何かあればその時でも問題はないはずだからだ。


「いや、休憩中だったか、すまん」


 立ち上がろうとしたラディムを、ベルナルドが片手で制した。


「急な話で悪いのだが、三日後の帝都内の精霊教取り締まりに、お前も連れて行こうと思ってな」


「精霊教の取り締まり、ですか? いいのですか、私などが同行しても」


 まだ子供の自分がついていってもいいものだろうか、とラディムは思う。取り締まりということは、揉めるような場面にも遭遇する可能性がある。邪魔になりそうで気が引けた。


「お前にもそろそろ精霊教についての現状を知っておいてもらいたいからな。……ザハリアーシュから教わっただろう? お前が精霊教を篤く信奉しているプリンツ辺境伯家の人間である、ということを」


「ええ、確かに学んでおります」


 あまり知りたくはなかった話ではあったが。


 敵国フェイシア王国の重鎮、前プリンツ辺境伯の子供……。


 ギーゼブレヒト家の人間として育ち、身も心も帝国に忠誠を誓っているラディムとしては、その出自は忌避したい自身の汚点でもあった。


「なので余計に、早めにこの国における精霊教の立場というものを理解させておきたくてな。間違っても、精霊教に加担したりしないように」


 ベルナルドは鋭くラディムを見据えた。無言の圧力を、ラディムは感じる。


「陛下っ! 私は精霊を嫌っております。たとえこの身に辺境伯家の血が流れていようとも、私はギーゼブレヒト家の人間です。間違っても精霊教などという邪教に心を傾けるようなことなど、ありはしません!」


 ラディムは悲しかった。ベルナルドにわずかでもそのような疑念を持たせてしまっている自分が。


 忌まわしき出自を無かったことにはできない。であるならば、その出自を周囲が気に留めるようなことも無くなるくらい、王国と精霊教に対して強硬な姿勢を見せ続けなければいけない。


 手を緩めれば、「やはり王国貴族の子」、「精霊教に魅入られているんだ」などのような批判を受けかねない。


「いや、すまん。もちろんわかってはいる。まぁ、帝王教育の一環だと思ってくれ」


 声を張り上げてラディムが返すと、ベルナルドは少しばつが悪そうな表情を浮かべた。子供相手に威圧をしすぎたとでも思ったのだろうか。


「そういうことでしたら、謹んで同行させていただきます」


 突然の申し出で多少動揺はしたが、精霊教への対決姿勢を示せる絶好の機会でもある。参加を渋る理由はなかった。







「おとなしくしろっ!」


 周囲に皇都警備隊の怒声が響き渡る。


 ミュニホフのはずれにある精霊教の教会施設――とはいっても、少し広めの民家といった程度の代物だったが――。五人の警備隊兵が横一列に並び、捕縛用に用意した殺傷能力のない長い棒を持って構えている。対面には、七人の精霊教徒。皆、座り込んで震えていた。青年男性だけではない。老婆や子供の姿もあった。


 こんな弱者に邪教の教えを吹き込んで、いいように操っているのかと思うと、ラディムは精霊教の上層部に対し強い吐き気を催す。許せない、と。


「何度も警告したはずだ。この国では精霊教は禁止されている、と」


 警備隊の隊長らしき兵が、座り込んだままこちらを怯えたように見つめる精霊教徒たちに宣言する。


「横暴ですっ! 精霊はこの世界を救う存在、私たちの生活をよりよくしてくれる存在なんです!」


 一人の男性信徒が意を決して立ち上がると、警備兵に反論した。


 やはり、精霊教徒たちはすっかり邪教の教えに染まっている。


 精霊が世界を救う存在? 何をバカげた話を。


 生活をよりよくする存在? 精霊術に頼った生活を続ければ、いずれ作物も育たなくなり自滅するぞ。


「精霊は、この大地を枯らす悪魔のような存在だと説明しているだろう! いい加減な情報に踊らされるな!」


 まったく、警備隊長の言うとおりだった。


 いったい精霊教はどのような手段を使って、こんなでたらめな教義を信じ込ませているのだろうか。頻繁に帝国政府から正しい知識を啓蒙しているはずなのに……。


「騙されているのはあなたたちのほうです! 世界再生教の言うことなど、でたらめです!」


 警備隊長の言葉にまったく耳を貸さない精霊教徒たち。あまつさえ、世界再生教がでたらめだという始末だった。


「ええいっ! 話にならん」


 警備隊長は頭を振り、「とっとと捕らえて連れていけっ!」と、部下へ指示を出した。


「やめてくださいっ! あぁっ、精霊王様お助けを……」


 老婆の信者が嘆きの声を上げた。だが、その精霊王とやらは、助けにこなかった――。


(これが、精霊教の取り締まり……)


 目の前の光景を、ラディムは黙って見つめていた。


(一見普通の人間に見える。別に暴力に訴えているわけでもなし……)


 ただ怯えているだけの力なき人間たち。だが――。


(危険思想を持っているし、その思想を広めようとしているからなぁ……。やはり、政を司る身としては、無視はできないか)


 野放しにはしておけなかった。でたらめで物騒な妄想に取りつかれた狂信者たちの集団。背筋が凍る……。







 一つの教会での取り締まりが済むと、すぐに別の教会に踏み込む。


「ちくしょう、こんなところで捕まってたまるか!」


 血の気の多そうな男性信者が、捕縛をしようとした警備兵にこん棒で襲い掛かった。


「抵抗するなら、こちらもそれなりの対処をさせてもらうぞ!」


 警備兵たちは手に持つ棒で迎撃に出る。場に緊張感が漂い始めた。


「これでもくらえっ!」


 多少は武器の心得があるのだろうか、こん棒を持つ男性信者の動きは滑らかだった。狙うは警備隊長ただ一人。


 勢いに任せて突進してくる男の表情は、鬼気迫るものがあった。


 ゾワリとラディムの背筋が凍る。


「チッ! 致し方ない、抜剣だ!」


 想定以上の反抗に、警備隊長は舌打ちをした。棒での威嚇はやめ、本格的に制圧に入るようだ。


 部下ともども全員長剣を抜剣した。部下は襲い掛かってくる男以外の信者たちを牽制する。決して邪魔はさせない、動けば切る、と言わんばかりに刀身をみせつけた。


 一方、狙われている警備隊長は、落ち着いた様子で迎撃態勢に入る。


 さすがに訓練を受けた兵にはかなわなかったのか、男性信者の持つこん棒は瞬く間に警備隊長の長剣ではじかれ、反動で男は床に倒れこんだ。


 隊長はすぐさまその背を足で強く踏みつける。「グゥッ」と倒れこむ男がうめき声をあげた。立ち上がろうとする男を制するため、隊長は何度も男の脇腹へ蹴りを入れた。


「この悪魔!」


 脇から甲高い女の悲鳴が聞こえた。と同時に、部下の一人に突進していく若い一人の女。


「おとなしくしろっ!」


 慌てて傍に立つ別の部下の一人が、長剣の柄で女の背を激しくたたいた。


「ギャッ」


 女は床にたたきつけられる。ピクピクと痙攣した後、そのまま意識を失ったのか、何の反応もなくなった。


「これ以上の抵抗をするのであれば、残念ながらこちらもそれなりの対処をしなければならないぞ!」


 隊長が語気を強めて叫ぶ。と同時に、長剣の刃を足元の男の首筋にあてた。


(いくら反抗的とはいえ、ここまでするのか……)


 丸腰の女性にも容赦はなかった。初の現場で、しかも九歳にはなかなか刺激が強かった。


「ここで根絶やしにしなければ、また同じことの繰り返しになる。皆、躊躇するな!」


 隊長が部下に檄を飛ばした。部下は頷いて、座り込む残りの信者を囲んだ。先ほどの教会の時とは違い、無抵抗の者にも武器で背を打ち据えたりと、かなり強引だった。今しがたの男女の信者の行動をみて、この教会の者たちは実力行使に出てくる可能性があると踏んでの対処なのだろう。


(ダメだ、見ていられない)


 さすがに老婆や自分とそう年齢の変わらないであろう少年少女が、棒で打ち据えられている姿を見るのは忍びなかった。思わず、ラディムは目を瞑った。


「ラディム! 目をそらすな!」


 隣に立つベルナルドからの厳しい叱責が飛んだ。


「し、しかし陛下……」


 勘弁してほしかった。すでに、ラディムの心は現実に追いついていない。


「ギーゼブレヒト家の人間が、ここで目をそらしてはいけないのだ! わかるな?」


「は、はい……」


 家名を出されては、ギーゼブレヒトの人間としての誇りを持つラディムに、拒絶はできなかった。


 しぶしぶと、目を開いた。


 ――その日、同じ光景を三度、別の教会で見せられた。ラディムはぐったりと精神的に消耗した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る