3 いずれ辺境伯へ鉄槌を

 ギーゼブレヒト皇家とプリンツ辺境伯家――。


 プリンツ辺境伯家がバイアー帝国に対する国境警備にあたっていたこともあり、もともと関係は良好とは言えなかった。


 険悪な関係の両国にあっては、平時であっても戦争までには至らない程度の細かないざこざはどうしても起こる。その対処などで、帝国の国境警備隊も辺境伯領軍の国境警備兵も、互いにピリピリしているのが常だった。


 このような状況では、大国同士であるにもかかわらず、国境をまたいでの貿易が縮小の一途をたどって行くのは無理もない話であった。当然ではあるが、行商人から帝国政府と王国政府――特に辺境伯家に対し、だいぶ不満の声が上がっていた。安全に自由な商取引が国境間で行えれば、膨大な利益が上げられるであろうことは明らかだったからだ。


 だが十二年前、そんな両国の関係を改善し、国境の緊張状態を緩和しようとする動きが出てきた。ギーゼブレヒト皇家とプリンツ辺境伯家との間の縁談である。組まれたのは、現皇帝ベルナルドの姉である皇女と当時のカレル・プリンツ辺境伯との婚姻だった。


 最初はぎこちなかった両者だったが、次第に仲は深まり、婚姻一年が経過するころには誰もがうらやむほどの睦まじい夫婦になっていた。また、同時に皇女はカレル・プリンツ辺境伯の子をお腹に宿した。


 だが、そこから不幸が始まった。


 出産を間近に控えたころ、カレルが変死した。カレルはもともと異能を持っていた。その異能が暴走した末の死だった。


 深くカレルを愛していた皇女は、毎日悲嘆にくれた。食事も徐々にのどを通らなくなる。出産を控えた時期の体力低下に、家中の者は不安を募らせた。


 結局、無事に男児を出産したものの、皇女はますます心を病み、いつしか、カレルを奪った異能と、その異能を保護しようとする辺境伯家を強く恨むようになった。


 精神的に、もはや辺境伯家にどまることが不可能となり、皇女はバイアー帝国へと里帰りに出されることになる。だが、ここでひと悶着起こった。


 生まれた男の子の扱いだ。


 ラディムと名付けられた男児を、そのままプリンツ辺境伯家へ置いておくか、それとも皇女とともにバイアー帝国へと送り出すか。


 本来であれば、カレル・プリンツにはほかに子供がいなかったため、ラディムがラディム・プリンツ辺境伯としてカレルの後を継ぐのが正当であった。だが、皇帝ベルナルドも皇后を迎えたばかりで子がおらず、ラディムが皇位継承順位一位となる権利を持っていた。


 どちらがラディムを育てるべきか……


 数か月にわたり激しいやり取りがなされたが、最終的には強引にギーゼブレヒト皇家がラディムを引き取った。――皇女が、ラディムと離れると大暴れをしたからだ。カレルの忘れ形見を渡すものか、と。


 辺境伯家としても、暴れまわる皇女の扱いに難儀をしていた。ギーゼブレヒト皇家側から、皇女を引き取るにはラディムも一緒でなければ受け入れられないと条件を付され、辺境伯家はしぶしぶ従わざるを得なかった。


 だが、この時のいざこざが原因で、ギーゼブレヒト皇家とプリンツ辺境伯家の仲は決定的に悪化した。融和を求めての婚姻政策が、結果的には大失敗した格好となった。


 ここまでが、ラディムが聞いたザハリアーシュによる両家の関係についての説明だった。


 結局、皇女――ラディムの母の心の病は治ることがなく、プリンツ辺境伯家へと戻ることはなかった。ラディムも正式に皇位継承順位第一位の皇子として扱われた。







 ラディムの自室――。


 ラディムは今日も朝からザハリアーシュによる講義を受けていた。


 昼を過ぎ、今は『フェイシア王国関係史』という、帝国とフェイシア王国との間の過去の歴史について学んでいる。


 今日の範囲である皇家と辺境伯家との関係についてを説明し終えたザハリアーシュは、お茶を飲みつつ一息ついていた。


「プリンツ辺境伯家は、私を失って跡継ぎはどうなったんだ?」


 講義を聞いて疑問に思ったラディムは、さっそくザハリアーシュに尋ねた。


 当主のカレルに世継ぎがいなかった以上、辺境伯家にとってはラディムを失った結果は致命的だったろう。王国としても、辺境伯家は国境警備の要の重臣だ。そのまま捨て置けるような問題ではなかったはずだ。


「何度かラディム殿下を返すように要請はありました。フェイシア国王を通じての要請もあったと聞いていますな。だが、陛下はすべてを突っぱねております。最後にはあきらめ、カレル・プリンツの弟フェルディナント・プリンツが辺境伯を継いだようですぞ」


 実父カレルには弟がいたらしい。だったら、なぜ早々にフェルディナントを跡継ぎにしなかったのだろうか。帝国と無理に事を構えるよりも、よほど話が早い気もする。


 ラディムはその点についてもザハリアーシュに尋ねた。


「その当時はまだフェルディナントが成人しておりませんでした。また、軍人として育てようとしていたため、領主としての教育をまったく施しておらず、辺境伯として跡を継がせることに躊躇したということです。それで、正当性を持つラディム殿下を是が非でも確保したかった、と。殿下が成長するまでは、王都から派遣される代官に領を任せるつもりだったようですな」


「別に、さっさとフェルディナントが継いで、経験を積むまでは王都からの代官に政務をとらせる形でもよかったんじゃないか?」


 ラディムは首をかしげた。代官を置けるのなら、フェルディナントに領主教育を施している間だけ、代官を置けば済む話にも思えた。やはり、ラディムに固執する必要性を感じられない。


「それが、ですね。王国法で健康な成人の跡継ぎが就爵する場合、代官は派遣されないらしいのです。あくまで未成年の領主のための後見人という位置づけらしいですな。フェルディナントに関しては、未成年とはいえ翌年には成人を迎える年齢でした。さすがに一年に満たない間に領主教育を施し、成人したらすぐに政務につけ、とは言えなかったのでしょうな。言葉は悪いですが、脳筋に育ててたわけですし」


 大口を開けて「ガッハッハ」と笑うザハリアーシュ。


 脳筋ということは、おそらくはずっと軍務に関することしか教えられてこなかったのだろう。確かに、いきなり書類仕事をやれと言われても、戸惑うに違いない。


「ふーん。ま、でも、フェルディナントが無事に跡を継いだ以上、もう辺境伯家は私の奪還に固執はしていないということだな?」


「おそらくは」


 ザハリアーシュは頷いた。


 ラディムは既に身も心も帝国の人間だ。バイアー帝国を離れて王国側に下れと言われても困る。ラディムはホッと安堵した。


「逆に、いまさら殿下が辺境伯家へ戻っても、いたずらに継承問題を引き起こすだけでしょう。むしろ、帰ってくるなと思っているのではないですかな?」


 ザハリアーシュはまた、「ガッハッハ」と大声で派手に笑っている。


「確かにそうだな。私自身も、そんな面倒くさいところに戻れと言われても、戻りたくはない」


 泥沼の継承争いだなんて、ラディムもごめんだった。


 それに、辺境伯領は王国の中でも精霊教が強い地域だ。しかも、あろうことか辺境伯家自身が積極的に精霊教に帰依している。とんでもない話だった。そのような場所に行けるはずがあろうか。母も異能の一種である精霊を激しく恨んでいる。あり得ない。まったくあり得ない話だ。


「陛下とも約束したのだ。ギーゼブレヒト家の一員として、平穏な帝都の姿をずっと護るのだ、と」


 テラスで交わしたベルナルドとの約束。帝国の守護者として、民の平穏を守り抜く。たとえ自らの血を流してでも……。


 民を護るため、帝国を護るため、そして、世界を護るためならば、たとえ血縁があろうとも、プリンツ辺境伯を討つことにためらいなどない。プリンツ辺境伯家が邪教たる精霊教を妄信している以上は、いずれ帝国の安寧のために排除しなけばならない時が来る。その時にプリンツ辺境伯へ鉄槌を下すのは、血縁者である自分の役目ではないだろうか、とラディムは思った。


「素晴らしいお心掛けでございますな、殿下」


 ザハリアーシュは大げさにうなずくと、ラディムの言葉に満足したのか破顔した。


「私はラディム・プリンツではない。ラディム・ギーゼブレヒトなのだ」


 ラディムは改めて、自身がギーゼブレヒト皇家の人間なのだと心に刻んだ。いずれ帝国の敵となることが必至のプリンツ辺境伯家の人間では、決してない。

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