第3話 その少年
俺がその町を訪れたのは、犬丸警部から話を聞かされてから、ちょうど一週間後のことだった。
これといって変哲のない、どこにでもある郊外の普通の町だった。
S中学校はこの町では割と大きな方で、駅から歩いて30分ほどのところにあった。
(陰気な学校だな)
第一印象はそんな感じだった。学校の周囲は、外から簡単に見えないように、高い生垣で囲まれていた。
校庭で体育の授業でもしているのだろう。何やら教師や生徒の掛け声が聞こえてくる。
正門は固く閉じられ、ゲートの横にインターフォンがあり、
『御用の方はこちらへ』と札が出ていた。
初めは正攻法でいってみよう。俺はそう思い、探偵だと名乗って校長に面会を申し込んだが、返ってきたのは胡散臭げな声で、
『そういう方に面会は出来ません』と言われてしまった。
まあ、大体想像はついた。
俺は門を離れて辺りを見回してみる。
学校の真向かいに、五階建てと思われるマンションがあった。
俺は中に入った。勿論無許可である。
今時の建物にしては不用心だった。管理人もいないし、セキュリティも甘かった。
俺は最上階まで上がると、非常階段から、屋上に通じる柵を乗り越える。
警報装置も監視カメラもなかった。
俺は、丁度東側の、学校を見渡せる場所に陣取り、双眼鏡を取り出して学校を見渡した。
学校はこのマンションより少し低い。
俺は次に小型の三脚とビデオカメラ、そして高性能のガン・マイクを取り出してセッティングをした。
こういう装備を整えるのだって、結構金がかかるのだ。
探偵料金が多少高額な理由も、少しは分かってくれるだろう?
二階と三階のちょうど中間にある、テラスのような場所にアタリをつけて監視を続けた。
一時間ほど経ったろうか?
ドアの開く音が聞こえ、テラスに五人ほどの男子学生が出てきた。
他の四人が、その中の一人、気の弱そうな痩せた生徒を囲むようにしている。
俺はマイクのボリュームを最大限にし、カメラのレンズをズームした。
(・・・・なんだよ。たったこれだけか・・・・)
(・・・・それだけで勘弁してくれよ・・・・・精一杯なんだ・・・・)
(・・・・・分かった・・・・でも約束だぜ・・・・)
四人はその気の弱そうな少年を代わる代わる殴ったり、蹴ったりを繰り返す。
そして、挙句は・・・・
これ以上はちょっとカットさせて頂きたい。何しろことがことだからな・・・・
都合一時間ほど、四人は彼をいたぶるだけいたぶり、
(じゃ、分かったな。土曜日までに持って来いよ・・・・)
四人は残忍に笑いながら、少年一人を残して立ち去って行った。
俺は一部始終をカメラに収めた。
そうして、機材を全部片づけると、もう一度辺りを確認し、誰にも見られていないのを確認して屋上を降りた。
俺のロングコートの裾を、秋の冷たい風が、音を立てて舞い上げた。
『あ、あんまりです・・・・』
事務所で面会した依頼人に、撮影した映像を見せ、音声を聞かせると、妻の初子はハンカチで顔を覆い、そういって嗚咽した。後は言葉にならない。
大野氏は膝に両腕を突っ張り、ぐっとこらえているようだったが、それでもこみ上げる感情を抑えようとしているのが、彼の肩の震えから見て取れる。
『で?この後どうされます?』
『え?』
『お断りしておきますが、私は警察でもカウンセラーでもありませんから、これ以上のことは出来ません。もし望まれるのであれば、別料金が必要になります』
素っ気なく聞こえるようだが、俺は探偵、これは仕事なのだ。
『お、お金は幾らでもお支払い致します!どうか息子を、息子を助けてやってください!』
初子夫人が縋るような眼差しで俺を見る。
大野氏も、
『確かにこれ以上貴方にお願いするのは身勝手かもしれませんが、私どもとしては他に相談する相手がいないのです』
確かにそうだろう。
警察に、という手もないわけではないが、彼らはそうそう暇ではない。それに学校の内部で起こっていることに、無闇に介入するのは連中だって面倒だろうし、何よりも学校サイドが本当のことをいうまい。
『分かりました・・・・では、やってみましょう。』
我ながら人が好過ぎるなと、俺は内心自分の甘さに苦笑していた。
『あ、ちょっと』
俺は校門から出てくる生徒たちを眺めながら、その中の一人の女生徒に声をかけた。勿論すぐにではない。何しろ下校時には校門の前には教師が張り付いているからな。
十分に離れてから、一人で歩いている、割合素直そうな少女に声をかけたのである。
彼女の胸の名札には、
『二年B組、長谷川未来』とあった。
『長谷川さん・・・・は、大野正君と同じクラスだよね?ちょっと話を聞かせてくれないか?』
彼女は俺の顔を訝しそうな眼差しで眺めていた。そりゃそうだろう。ロングコートにノーネクタイ。オールバックに幾らか目の鋭い(とはいってもそれをカバーするために、今日は眼鏡をかけてきているのだが)男に声をかけられたんだ。ただでさえ物騒なご時世なんだから、少女が怪しむのも無理はない。
俺は内ポケットから革製のホルダーを出し、バッジと探偵免許を彼女に示した。
『探偵・・・・さん?』
『そう、実はあることで大野君のことを調べていてね。是非君に協力をしてほしいんだが?』
『あの、私何も知りませんから』そう答えて足早に去ってゆこうとする。
『いや、本当に手間はとらせないよ。』
俺がそう言って頼むと、彼女はようやく、知ってることなんてすこしだけだけど、それでいいならといって、強力に同意してくれた。
どこか喫茶店にでも入ろうかといったが、校則でそれだけはどうしても出来ないというので、仕方がないから、河川敷にある公園で話そうということになった。
俺は途中の自販機で缶コーヒーとジュースを買い、公園に行った。
かなり広い公園だ。
遊具などの外に、芝生の敷き詰められた広いフィールドがあり、子供達が数人そこでサッカーボールを蹴って遊んでいた。
俺たちはそこから少し離れた、ベンチのあるところに腰かけた。
彼女にジュースを、俺は缶コーヒーを手に取り、それからICレコーダーのスイッチを入れる。
『初めに断っておこう。ここで君が話してくれたことは、他の誰にも口外はしない。俺が報告書を作成するのに使用させてもらうだけだ。それだけは約束する』
俺の言葉に、彼女は多少安心したのだろう。ぽつぽつとだが、話し始めてくれた。
大野正は一年生の入学式の時に初めて会った。
とはいっても、別に親しいというわけではない。
ただ、偶然にも一年、二年と同じクラスになっただけだった。
『大野君、成績も普通だし、運動も特別出来るわけじゃないんです。でもおとなしくって、ちょっと気が小さいんで、それでみんなに目をつけられたんでしょうね』彼がいじめのターゲットに遭い始めたのも、入学して早々からだったという。
最初の内は、ちょっとしたからかいみたいなものだったが、そのうちエスカレートして行き、挙句はこの間俺が目撃した通りの光景になったというわけだ。
彼をいじめていたのは、あの四人組、名前を栗田、杉本、河野、森田という。
『でも、他のクラスメイトだって似たようなものです。直接手を下さないだけで、遠巻きにしてみて居たり、中にはゲラゲラ笑っていたり・・・・』そこまで言って、彼女ははっとしたように言葉を切った。
『私だって人の事は言えません。やっぱり何もしなかったんだから、同罪ですよね。』
『先生には?』俺の問いに、彼女はため息をついて首を振り、
『無理です。あの四人、見た目にはそんな不良にも見えないでしょ?成績もいいし、先生からも気に入られているし・・・・』
『いじめって、昔から変わってないんだな』俺は思わずつぶやいた。
『えっ?』
『いや、何でもない。先を』
『それに、リーダー格の・・・・栗田君って、お父さんが市会議員か何かで、昔からここの偉い人の家なもんですから、誰も逆らえないんです』
俺は黙ってレコーダーのスイッチを切った。
『いや、ありがとう、助かったよ。』俺はそう言ってベンチから立ち上がり、精一杯の笑顔(日頃、不愛想で通ってる俺にしては)をサービスした。
『あの、本当に今日の事は・・・・』彼女はまだ心配そうな顔をしている。
『心配しなさんな。バッジを持ってる人間がウソなんかつかない。そんなことしたら、明日から飯の食い上げだからな』
『ああ、そうだ。最後に一つだけ聞いておきたいことがある。あの連中のたまり場みたいなものがあるかね?』
『さ、さあ、詳しくは知らないんですけど、この公園から少し行ったところに古い空き家があるんです。だいぶ前、四人が大野君を連れてその空き家に入っていくのを見かけました』
『有難う。もう十分だ。』
俺は近くのごみ箱に缶コーヒーの空き缶を放り込んだ。
それから数日後、つまりは金曜日だ。
四人組が、大野正に示していた『金を持ってくる期限』とやらの前日、俺は長谷川未来に教わった、
『町はずれの廃屋』とやらにやってきた。
最低でももう十年は誰も住んでいないだろう。
塀はすっかり崩れ、外から中の様子が見える。
庭も荒れ果て、草はぼうぼうだ。
どうせ持ち主がそのうち壊そうと思って、何らかの理由で手がつけらなかったに違いない。
造りは典型的な和洋折衷の平屋の住宅であった。
俺は庭に面した縁側から、土足のまま中に上がり込んだ。
雨戸はもうすっかりずっこけて、開けっ放しのまま、
俺は腐れかかって、うっかりすると踏み抜きそうになる畳の上を注意して歩きながら、すぐ隣の洋間(恐らくダイニングキッチンにでも使われていたんだろう)に入った。
ここも似たようなものだ。
俺は和室との仕切りにあった、ガラス障子を試しに動かしてみる。
ガタピシとしてはいたが、割とスムーズに動いた。
上手い具合にガラス障子の一部が割れている。
俺は状況を確かめると、その廃屋を出て、表に貼ってあった。
『この物件に関するお問合せは以下に』と書かれた不動産屋の看板を確認し、携帯を取り出した。
『ああ、もしもし?✖✖不動産ですか?』
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