第2話 依頼あり
銀行の前は、パトカー、マスコミ、そして野次馬でごったがえしていた。
こんなご時世だ。別に銀行強盗なんて特に珍しくもないだろうに、ご苦労な事だ。
『で、お前さんが依頼人と一緒に、この銀行に(たまたま)やってきて、そこで(たまたま)強盗にでくわしたんで、お前さんは私立探偵としての使命感から、ドンパチやらかした。と、こういう訳なんだな?』
警視庁特別機動捜査隊の通称『機捜の平家ガニ』こと、真柴勉警部補が、苦虫を噛み潰したような顔をして、俺をにらみつけながらメモを取ってゆく。
行内は鑑識、制服警官、そして私服警官が、あっちこっちで行員や人質になっていた客たちに事情を聞いていた。
『そういうことになりますかな?』俺は素っ気なく答えた。
犯人の二人組は、とっくに警官に付き添われて救急車で運ばれた。幸い命に別状はなく、軽傷で済むだろうとのことだった。
『本当なんですのよ。探偵さんのおっしゃってること』
『まったくです。この方がいらっしゃらなかったら、今頃どうなっていたことか』
俺の依頼人と支店長が、横から平家ガニに捕捉を加えてくれた。
しかし、あちらは相変わらず嫌な顔のまま、俺をねめつけている。
『ったく、いくら探偵に拳銃の所持が許されてるからって、のべつまくなしにぶっ放していいとは誰も言っちゃおらんのだからな?』
またお決まりの説教が始まった。この男はどうも俺のような探偵の存在が目障りで仕方ないらしい。
『じゃ、行きますか?』
俺は奴を無視して、依頼人を促して立ち去ろうとした。
『おい!分かってんのか?探偵屋?お前の管轄区域、新宿署にちゃんと報告書を提出するんだぞ!でないと・・・・』
奴の怒鳴り声を背中で聞きながら、俺は二三回手を振って見せ、そのまま通用口へと歩いて行った。
三日後、俺は新宿署の生活安全課に報告書を提出しに行った。
現在、日本では国家公安委員会が行う試験に合格した私立探偵が、依頼人の身体・生命・財産の保全並びに探偵個人の護身用に限って、拳銃の所持・携帯・使用が許可されている。
但し、拳銃を使用した場合(つまりは発砲をしたという事)は管轄の警察署に報告書を提出する義務があるのだ。
つまり、目的が正当であったか。弾丸を何発使用したかを届け出なければならないとこういう訳だ。
めんどくさいことこの上もないといってしまえば身も蓋もないのだが、以上の義務を怠ると、平家ガニが言った通り、
『ライセンスを取り上げられちまう』のだから仕方ない。
勿論、ライセンスとバッジが無くたって、探偵をやれないわけではないのだが、そうなるとどうしたって引き受けられる仕事の数が減ってくる。
当然一匹狼の俺のような、これしか能のない人間は、それじゃあ当然おまんまの食い上げとなるわけだ。
だから、如何にお上の取り決めが理不尽だろうが、従わざるを得ないということになる。
俺は新宿署の階段を上がり、門の前で警杖を手に、仁王立ちしている警官に軽く会釈をして中に入っていった。
悪いこともしたわけでもないのだが、警察署に入るというのは、お世辞にも気分のいいものではない。
俺はさっさと済ましてさっさと帰ろうと、案内板通り(とはいえ、通いなれた場所だ。目隠しをしたってあるけるんだが)、二階に上がって、
『生活安全課』と札のぶら下がっているコーナーに行った。
カウンターの向こうには女性警察官が二人、俺の顔を、
(また来たのか)とでも言いたげに見上げていた。
『これ』俺は探偵免許とバッジの留まったホルダーを見せ、それから封筒ごと、報告書を渡した。
『じゃ、後はよろしく』
そういって帰ろうとすると、
『いよう、乾の旦那じゃねぇか?!』聞き覚えのある胴間声が響いてきた。
(不味い奴に見つかったな)
俺は腹の中で舌打ちをした。
声の主は、この新宿署生活安全課主任の、通称『下駄』こと、犬丸鉄男警部その人である。
決して悪い人間ではないし、俺も嫌いではないのだが、何かというとすぐに俺に要件を押し付けてくるのが、どうも鬱陶しくて仕方がない。
『水臭いじゃねぇか?書類だけ置いて素っ気なく帰ろうなんざ』
彼は女性警察官の受け取った報告書の封筒を取ると、その場で中身を開けて、
『ん、まあ間違いはねぇな』そういって、ぱちんと指で書類を弾いた。
『聞いたぜ。昨日お前、またやらかしたんだってな?』言いながら右手の指をピストルの形にして、俺に向けた。
『今年に入ってから何度目だよ?確か、三度目か?』
『四度目』
俺は答えた。
『幾らお前ら探偵に拳銃の所持が許可されてるからって、矢鱈にぶっ放していいとは誰も言っちゃあおらんのだぜ?』警官ってのは、似たようなフレーズが好きなのかね?俺は思った。
『言葉を返すようだが、俺は民間人として犯罪抑止に協力したにすぎん。それに射殺は一度もしたことがない。探偵の銃所持が気に入らんというなら、政府のお偉方に抗議を申し上げることだな。じゃ、俺は行くぜ。』
『まあまあ、待てよ。どうせ帰ったって、仕事があるわけじゃねぇんだろ?』
『そういう時にはテメェで探すんだ。俺は税金で食わせて貰ってるほど、暇な身分じゃないんでね』
警部は肩をすくめた。
『だったらその仕事を、俺が回してやるって言ったら、話を聞く気になるかね?』
やっぱりこうきたか。
彼は女性警察官に『ちょっと出てくる』と伝えて、それから俺の肩をぽんと一つ叩いた。
俺と犬丸警部は新宿署のちょうどはす向かいのビルの一階にある、
『花梨』という名前の喫茶店に入った。
彼は何か要件が在る時に限り、決まってこの店に俺を誘う。丁度午後一時を回ったところで、昼休みの客も引けたのか、店はそれほど混んではいなかった。
注文を取りに来たウェイトレスに、俺には何も訊ねず、ホットコーヒーを二杯注文した警部は、
『そろそろ寒くなってきな』だの、
『この分だと雪はなかなか降らねぇかもしれん』などと、的外れなことを言うばかりで、なかなか本音を切り出そうとしなかった。
やっとコーヒーが運ばれてくる。
『回りくどい会話は止めませんかね?さっきも言ったように、俺はそんなに暇じゃないんだ。あんただって、税金泥棒だなんて言われたくはないだろ?』
警部はにやりと笑い、もっともだという風に頷いた。
『実は、な・・・・俺の高校時代の同級生に大野って奴がいるんだがな・・・・』
次の日、犬丸警部に紹介された依頼人、夫妻が俺の事務所にやってきた。
夫の名前は大野次郎、年は50歳丁度、某中堅機械メーカーで経理の仕事をしている。真面目で誠実を絵に描いたような男。
妻の名前は初子。歳は夫より四つ下の47歳。専業主婦で、質素で化粧っ気のない、大人しそうな女性だ。
『・・・・契約書の内容はご理解いただけましたね?』俺は極めて事務的な口調で言った。
『はい・・・・』
大野氏は黒ぶち眼鏡を指で押し上げながら、少しどもりながら答えた。
『あ、あの、この「拳銃が必要な場合は」というのはどういう?』
『その通りの意味ですよ。』
『でも、今回に限ってはそんな・・・・』今度は妻の方がおどおどしたように訊ねてくる。
『まあ、そうなることを願ってはいますがね』俺はまた素っ気なく返した。
『契約書にご異存がなければ、どうぞご依頼についてお話しください』
『は、はぁ、実は息子の事なんですが‥‥』
大野氏はハンカチで丁寧に額の汗をぬぐってから、写真を一枚取り出した。
『これが私どもの次男・・・・息子の正≪ただし≫と申します。』
そこには、背の低い、至って平凡な少年が写っていた。
大野氏の一家は、つい二年前、東京都近郊のT市に都内から引っ越してきた。
やっと念願の一戸建てを手に入れることができたからである。
大野家は妻の初子、都内の大学に通う長男の一夫、短大を卒業して看護師をしている長女の薫、そして次男で末っ子の正という家族構成。
引っ越しをしたのは、正が小学校を出て、中学に進学したばかりの頃だった。
キリもよかったので、まあそれはそれでいいかと思っていたのだが・・・・
『それは親である我々の思い過ごしに過ぎませんでした』
正が中学でいじめに遭っているということを知ったのは、妻の初子が最初だった。
家に帰ってくると、時折学生服のボタンが全部取れている。ズボンが泥だらけになっている・・・・最初はそんなところだった。
おかしいと思って、本人を問い詰めてみても何も喋ろうとはしない。
しかし、ある日ついに現場を見てしまった。
母親の財布から金を抜き取っているのを、彼女が目撃してしまったのである。
その晩、帰宅した夫に話し、本人を問い詰めてみたところ、最初は否定していたが、遂に告白をした。
一年生に入学したころから、同じクラスの数名からいじめをうけつづけているのだという。
『で、学校には?』
『はい、妻と一緒に何度か出かけて行きましたが、担任の先生は「こっちでも調べてみたが、いじめなど存在しない」の一点張りでして・・・・』
『それでこの私に調べて欲しい、とこういう訳なんですな?』
『はい、是非お願いいたします』
俺はしばらく考え込んだが、別に断る理由もない。
『分かりました。お引き受けいたしましょう。料金はそこにも明記してある通り、一日6万円、他に必要経費となります。それから、調査方法は全て私にお任せ下さるということ。よろしいですか?』
大野氏は頷いた。妻も促されるようにしてそれに続いた。
『それではこちらに印鑑と署名をお願いします』
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