第5章【5】
駅に着き、改札前を通りかかると、礼が必死の形相で改札の向こうをにらんでいた。
私は驚いた。
礼たちとの待ち合わせ場所は鳥居だったはずだし、今日は行けないと連絡も入れたはずだった。それなのに、どうしてここに?
声をかけようと一歩踏み出したところで、礼が急に大声で私の名前を叫び出した。
私は死ぬほど恥ずかしく、身体がまたしてもカアァッと熱くなった。
その場にいたたまれなくなって、礼の袖をそっと引っ張る。どう声をかけていいか分からない。とりあえず挨拶の言葉だけでも伝えようと、私は口を開きかけた。
その途端、礼は私の身体を思い切り抱きしめた。
あまりの衝撃に、私は声を失った。
普段の礼は落ち着き払っていて、どこか冷めたような態度でいる。そんな礼が、こんなに大胆で感情的な行動に出るなんて。
私はひどく狼狽しながらも、礼の背にそっと手を添えた。
力強い抱擁からは礼の想いが伝わってきて、私の心は大きく動かされた。
それから先は、夢のような時間だった。
礼に手を引かれ、神社へと向かう。その途中で、私は由依たちと落ち合った。由依たちもまた私を迎えに駅を目指してくれていた。
「由依、その浴衣すごく可愛いね。似合ってるよ」
「そう、かな。ありがとう」
えへへ、と嬉しそうに頬を緩める由依。
由依が笑うと可愛さがさらに増して、きらきらと輝いて見えた。隣にいた田島海斗君もまた由依のまぶしい笑顔に目を細めていた。
金魚すくいに綿菓子にお面。出店を見て回っているだけでも私の心は明るく弾んだ。
思えば同世代の子たちとお祭りに来るのは初めてだった。私のそばにはいつも母がいるか、母から指示を受けた大人たちがついていた。
境内の脇にベンチを見つけ、私たちは腰を下ろした。
男子は焼きそばやら焼き鳥やら食べ物を大量に買いこんでいた。私は由依とたこ焼きを半分ずつ分け合い、最後にミカン飴を食べた。あまり食べ慣れていない私には、どれも新鮮な美味しさだった。
その後、私は礼に呼び出され、境内に二人きりになった。
そして、私は礼に告白された。
蛍から礼の想いをそれとなく知らされてはいたけれども、それでも私の心臓は高く波打ち、熱くのぼせるような気持ちに襲われた。
礼の告白を受け入れてよいものか、私は迷った。
私の視界の奥に、由依の可愛らしい姿があった。
今でこそ田島君と打ち解けたように話しているけれども、由依の気持ちが常に礼に向いていると気づかない私ではない。
それに、私は本質的に他人をあまり好まない人間かもしれない。中学時代の辛い経験が、今もなお私の心に暗い影を差している。
「私はきっと礼が思っているような人間じゃないわ。本当は暗いし、人を好きになれるかどうかも分からない。それでもいいの?」
私はありのままを礼に告げる。反応が怖いけれども、私のことを理解されていない方がもっと怖い。
「ああ、それでもいい。俺はどんな天華でも受け入れる。そして、二人で明るい未来に変えていきたいって真剣に思っているから。俺を必要としてくれ、天華」
礼はきっぱりとそう言うと、私に手を差し伸べた。
宙に浮く礼の手をじっと見つめる。
ふいに私の頬を一筋の涙が伝わり落ちていく。どうして涙がこぼれ落ちるのか、自分でもよく分からない。
ぽろぽろと涙をこぼす私の身体を、礼がそっと引き寄せた。
「好きだよ、天華」
礼の言葉の温かさが、私の心にじんわりと広がっていく。ずっと苦しかった内面の暗闇に明るい光が射しこみ、心の痛みがすっと和らいでいく。
ああ、この人は私を苦しみから救ってくれる人だ。
そう思ったらもっと涙がこぼれてきて、私は礼の胸の辺りを借りて泣いてしまった。
それから礼の顔を見上げ、私の正直な気持ちを伝えた。
「……私を好きになってくれてありがとう。こんな私でよかったら、これからもよろしくお願いします」
涙交じりの、熱を帯びた火照った顔で私は礼に微笑み、礼の手にそっと触れた。
ひどく恥ずかしいけれど、包みこまれるような幸福感に心が満たされていく。
礼もまた嬉しそうに微笑み返し、私の手をぎゅっと強く握り返してくれた。温かくて力強い手だった。
それから二人で由依たちの元に戻ろうとした途端。
彼女がいきなり姿を現した。
「あれれ~? こんなところで二人きり? 怪っしいんだ」
「蛍ちゃんっ!?」
いったいどこから出てきたのだろう? 蛍はいつもの制服姿で、踊るように軽やかに近づいてくる。
蛍は口元に手を添えるといひひと笑い、目を光らせた。
「もしかして、これからチューしちゃいます? いいんですよ。私なんか気にせずドーゾドーゾ」
「するかっ!」
礼が真っ赤になって抗議する。
私は礼と口づけをする破廉恥な自分を想像してしまい、頭から湯気を吹き出してその場に卒倒しそうになった。
それから蛍は私たちをさんざんからかい、気が済むと
「サヨナラ! 二人とも幸せにねっ!」
満面の笑みで声を弾ませ、人混みの中へと消えていった。
〇
しかし、夢からはやがて醒めなければならない。
夢のような時間がずっと続けばといくら願ったところで、終わりは必ずやって来る。
七夕祭りが終わってからも私たち四人はすぐには解散せず、以前利用した駅前の喫茶店に立ち寄り、しばらく時間を共にした。
クラスメイトの恋愛事情。夏休みの部活動のスケジュール。予備校での過ごし方。家族と旅行に出かける計画など、私たちはたわいのない会話に華を咲かせた。
そして、祭りの後の寂しさを引きずりながら、私たちは別れた。
塾に行った風を装って家に戻ったものの、母にはすぐにばれた。
塾には出欠を調べるタイムカードのような機械があり、私の欠席は塾から母にすでに知らされていた。恐るおそるスマートフォンを見てみると、母からの連絡が十数件も入っていた。
「私がどれほど心配したか、あなたには分かりますかッ!」
母は私を玄関に立たせたまま、頭ごなしに叱り飛ばした。
「……分かっています」
私は沈んだ声を返した。
夢から醒めた現実。私は母の望むように生きなければならず、道を踏み外せばたちまち大騒ぎとなる。そして私の気持ちは母には分かってもらえない。
けれども、私はこの現実を受け入れる。
中学生の時、学校に行けない私を母がいかに大切に守ろうとしてくれていたのか、痛切に思い知った。
これまでもずっと私に期待をかけ、必死に育ててくれた母。時に母の束縛に苦しむことはあっても、母の愛情を疑ったことはない。
だから、私はこの母と共に生きる。
それもまた私の意志だ。
「お母様がどれほど私の将来を思いやり、愛情をこめて育ててくださっているのか、ちゃんと分かっています」
私は涙ながらに深々と頭を下げた。
「いつも感謝しています。ありがとうございます、お母様」
そして私は顔を上げ、母を正面に見すえた。
礼との関係が大きく変化した事実を、母にきちんと伝えなければならない。
そして、この機会に私の気持ちもちゃんと理解してもらいたい。
私だって、いつまでも子供じゃない!
時間はかかるかもしれないけれども、何度でも対話して、母ともっと心を通わせたい。
そして、誰かのやり方ではなく、自分の意志で未来を切り拓きたい。
私は覚悟を決めると重い口を開いた。
「お母様、お話があります」
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