ウォルフ

 ウォルフ。


 その名前は巫女姫に使える獣の一族の名である。

 かつて1度、俺はその名を持つ男に会っている。

 隠すまでもなく、あの人喰いの大熊のような男である。


 あいつは、俺の知る巫女姫はヤツの名をだとそういった。


 人間を食わねば生きていけぬ哀れな獣。

 その呪われた歪さ故に、憐れに死んだ人形。


 そうか。


「…あいつにも家族がいたのか」



 そう口からこぼれ落ちるのは憐憫故か。

 俺自身ですら分からなかった。


「…リノイ・ウォルフという男を知っているか?」


 思わず尋ねた。

 リノアは少し困ったような顔をして、頷いた。

 その反応をみて、ようやく合点がいった。


 ああ、なるほど。

 こいつはあの事を知っているのか。


 だから畜生の身でありながらもこの態度なのか。


 リノアの獣人らしからぬ殊勝さには当然気付いていた。

 だが、見て見ぬふりをしていた。

 大人気ないが、俺の心を守る上で必要だった。


 だが、それももう限界か。


 分かってはいるのだ。

 獣人にも良い奴はいるって事は。


 聞くんじゃなかった。


 全員嫌ってしまう方が楽だったのに。

 そうすればもう悩まなくて済んだのに。


 燃え続ける炎を見て。



「そうか。助けられなくて悪かった」


 観念したようにそう呟いた。


「い、いえ!滅相も!!!」


 リノアはその謝罪を受け止めた。


 炎はあいつの無念までは燃やしてはくれないのだろうな。



 ☩


 そこからの旅は大した障害もなかった。


 襲ってくる獣はロービィとリーラに全て狩らせた。時折、彼らの身に余る獣も出るが、それはリノアが補助する事で解決した。


 補助というのも、彼女は剣は一切抜かずにただいくつかの補助魔術を使うのみであった。


 リノアという獣人騎士は俺なんかよりもよっぽど師としての才能があった。


 狩りの後にはロービィもリーラもリノアに助言を仰いだ。リノアも戸惑いながら、少し嬉しそうに答えていた。


 それを見て少しほっとした。俺は言葉にすることがどうも苦手だから、彼女のような存在はロービィやリーラにとっても良い刺激になるだろう。


 俺達はそんなことを繰り返しながら北へと向かった。


 海が近づくと荒地が多くなってくる。

 獣も段々と小さくなり、数ばかり増えていく。

 帝国から出発してビストラ王国の領地を歩き続ける。

 するとラーナ川が見えてくる。

 クランツェ王国とビストラ王国の国境にまたがるデルベモ山から北西に流れる川。


 俺が見てきた中で最も汚い川。

 獣共のその全てを受け止める川。


 獣人以外がこの川に入ることは禁忌とされている。宗教や伝統の問題ではなく、命に関わるからだ。


 第一次ビストラ戦役においては帝国兵がこの川で多く死んだ。

 顔やら腕やらが痙攣して、やがて死んだ。


 どういう訳か獣人はピンピンしていたので、一時戦況はビストラに傾いた。戦線をラーナ川から大きく押し上げ、ちょうどこの辺り、リルセラ平原と呼ばれるここまで押し返した。しかしその優勢もグローリアの一振にて潰えた。


 だからここは、獣人達にとって希望と勇者への畏怖を象徴する地だ。


 そして、そんな川が見えたということはそれはすなわち、


「見えたぞ、あれがビガーノだ」


 ビガーノへの到着を意味した。


 ビストラ王国の首都、ビガーノは広大だ。

 それもそのはずでビストラ王国の人口の実に4割はビガーノに住んでいる。ここ以外での生活は数段生活水準が下がるため、居着いた血族は離れようとしない。それ故にこの都は緩やかに広がり続けている。稀に海からの災厄に破壊されるが。


 ただ、彼らの短いようで長い歴史において、ただの1度も壊れていない建造物がある。


 王堂だ。


 中央の巨大な王堂を囲むように住居が続く。王堂から離れればば離れるほどに、その住居はみすぼらしくなってゆく。

 ビガーノに夢を見た獣人の青年は端の布と棒切れで日々を耐え、内地を目指すのだ。


 我らの王堂。

 誇り高き我ら獣人の象徴。

 不倒の証。


 終わらぬ栄華がそこにあると信じて。


「少し此処で待っていてください」


リノアはそう言ってラーナ川へと入っていく。

その光景をぼーっと見ている訳にもいかない。

もうすぐ日も沈む。


そうして川から少し離れた大きな石のそばで俺たちは野営の準備を始める。

薄暗くなり始めてきた平原にはポツポツと明かりが見え始める。


リノアからもこの辺りで野営は珍しくもないとは聞いていた。おそらく獣人の狩人か何かだろう。


俺たち3人は焚火を囲んで静かにリノアを待ち続けた。


ロービィとリーラは顔を上げようとせず、火を見つめ、指先を遊ばせるだけの時間を過ごしていた。


この沈黙を作っているのは俺だと、そういう自覚はあった。


だから話す事にした。


俺はよく話さずに後悔する。


自分の気持ちも、意図も。


だからこの子達には包み隠さずいる事が師匠としてのあるべき姿だとそう思ったんだ。


「俺は獣人が嫌いなんだ」


情けなくとも伝えようと、そう思ったんだ。

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