勇者の才覚

 ビストラ王国までは長い。

 帝国領を抜け、ビストラ王国の領地に入ると空気は一変する。


 ああ、懐かしい。

 この血の匂い。

 あの獣たちの領地だ。

 そうニヒルに笑ってしまう。


 ここは正真正銘弱肉強食の世界だ。

 倫理学者すら拳でしか語れぬ世界だ。


 だからこのような光景も当然なのだ。


 ロービィやリーラは目の前に広がる惨状を見て、何を思っただろうか。

 畑に転がる腐りかけの肉片を見て。

 焼けこげた民家を見て。

 あるいは子供に足を掴まれて死んだ獣人を見て。


 何一つ音のしないこの光景を見て。


 一体何を思っただろうか。


 ロービィもリーラもただただ立ち尽くし、言葉を発そうとしない。あまりの光景にあの日がフラッシュバックしているのかもしれない。

 プライドばかり肥大化して、脳がちっとも大きくならない獣人が助けを求めた。それがどう言うことなのか。

 この子達はそれを理解していなかったのかもしれない。

 だから連れてきたくなかったのに。

 彼らの背中では隠しきれぬこの光景を睨みつけて、またいつものように後悔する。





「…ひどい」


 リーラがようやく絞り出した言葉がそれだった。

 固く握りしめた拳に目がいく。

 何を考えているのかは想像に難くなかった。

 あの日と重ねているのだろう。


 ロービィは口を押えて後ろに走り去って言った。

 視界の端で嘔吐く彼が見えた。

 無理もない。

 ロービィは…、ロービィはラルフが潰されていく様を目の前で見ている。


 彼らを俺の家に泊めた時、彼らが魘されるのをよく見た。

 あの瞬間を、母を求めて飛び出すラルフを、それをすり潰すアダダーラを、未だに夢に見るらしい。

 俺は、どうすべきだっただろうか。


 ロービィとリーラが絶望するのを見て堂々巡りの思考が暗澹たる雲を産む。


 彼らが着いてきてしまった時、無理にでも追い返せばよかったのだろうか。

 いや、ここまで来れば獣人のテリトリーだ。

 俺の傍の方がよっぽど安全だとあの時もそう結論づけたじゃあないか。

 だが、ここまでの光景があると知っていたらこの子達のトラウマを刺激しなくて済んだのに。


「師匠」


 鈍い雲に光が差した。


 吐いたばかりで爛れているであろう喉を震わせて、どうにか光を発していた。 

 彼の拳は固く握りしめられていた。


「僕らは平気です」


「そんなわけ「あります!!!!」」


 大きな声で被せてきたのはリーラだった。

 その目には強い信念があった。


「僕らはこういうことがもう起きないように強くなりたいんだ!!」


「リーラの言う通りです!!僕らは乗り越えます!!この程度でへこたれるならここに来てません!!」


 ロービィも声を張り上げた。


 だが、その無理が祟って咳き込んでいる。


 俺には分かる。

 分かってしまった。









 それが虚勢であると。


 彼らの手足は震えているし、リーラがこちらを見つめるのも、無意識かもしれないが、惨状から目をそらす為だろう。


 こんな事は言いたくないが、彼らのやるべきことは俺に決意表明することでは無いんだ。


 あの無能な騎士もどきの畜生は気付いている。

 ここに着いてから剣を抜いてこの村の奥を見据えている。


 おかしな話なんだ。

 これだけの人が死んでいるのに鳥も虫も湧かない。


 そんな事があるのか。

 あるにはあるんだろうが、結局詳しいことは分からん。

 ならばとりあえず警戒する。

 それがたぶん狩人として正しい。


 現に彼らは気付いて居ないようだが、微かに土を圧する音がしているのだ。


 もはや我々もそいつの標的という訳だ。


 だから目の前の子供達は間違えている。


 狩人として、ここを乗り越える者として。










 でも。






「おまえら…」


 成長したなあ。

 すごいなあ。

 えらいなあ。


 あんなにちっちゃかったのに、そんな子達があんな惨劇を繰り返さないために踏ん張って…。





 辛いだろう。

 怖いだろう。

 逃げ出したいだろう。


 でも


 それじゃあダメなんだ。

 前に進むんだ。


 そう思って、ほんの少し。

 ほんの少しでも勇気を振り絞って向き合おうとするその姿勢。


 俺はそんな事教えてないのに、教えられないのに、良く立ちあがった。


 年甲斐もなく泣きそうになってしまう。

 この子達を預かってもう数年が経つ。

 高位階の狩人にしかできない狩りなんぞそうそう起きやしないから、そこまで実践を積めていない。

 それなのにこうして立ち上がれるのは紛れもなく彼等の才覚だ。


 紛れもなく勇者と呼ばれるもの達の才覚なのだ。



 だから、多分彼らは十分なのだ。


 よくやった。

 彼らの師として、正しいかは分からないが、これ以上を求める気はなかった。



「ロービィ、リーラ」


「下がってろ」


 だからここは俺の役目だ。


 師匠として大人として。

 彼らを守ろう。

 あの時できなかったことをするんだ。


 リーラの脇を抜けて駆け抜ける。

 村からこちらに忍び寄っていたキモいクマに向けて剣を抜いた。


 透明になれた気でいたのか知らないけど、その輪郭はゆらゆらとぼやけて不自然なものだったし、あまりにも血なまぐさかった。


 クマは抜いた剣に反応して其の姿を表した。

 六本の手から滴る血と散らばる骸骨。

 口元からこちらを見る焦点の合っていない目。


 論ずるに値しない。

 もはやこいつは害獣である。

 人の味を覚えた獣は殺すしかない。

 そうでなければヒトが殺される。


 分かりやすくて、楽な線引きであった。


 そのラインを超えたならば後は容易い。


「成長したなロービィ、リーラ」


 その言葉をようやく吐き出した頃には、円環状に並んだ目をもつ哀れなクマの頭部が地面に転がっていた。

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