教え
「あの、師匠、よく生きてますね」
夜も深まり、僅かに灯した火を囲っていた。
ロービィと火の番をすることになった俺はあの時の話をしていた。
ポツリポツリと話す俺の話をロービィはただ聞いていた。大きな反応もせず、ただ真剣に。
口を閉ざした俺に絞り出すように呟いたのが引き気味のセリフだ。
直球ストレートである。
そのセリフに苦笑いで答えると、その先のことも思い出してしまう。
悪夢のような、いや、悪夢そのものを。
思い出したくもない記憶だったが、まあいい。
ヤツらがどんな生き物なのか知ってくれれば、それでいいだろう。
俺はあの地獄から帰ってきた。
ロービィの言う通り、本当によく生きてたと思う。あと少しでもあの状況が悪い方に傾いていたなら、間違いなく死んでいた。
神獣種自体は大したことは無かったが、あの一件でひどく考えさせられたものだ。
だからロービィに言わねばならないことがある。
「ロービィ」
「なんですか。師匠」
「約束しろ。巫女とだけは言葉を交わすな」
「でも、今回は巫女が予言して、僕らがそれに応じた形じゃないですか。それで巫女とは話すなって流石に無茶ですよ」
「関係ない。本当ならお前らを連れてくるのだって嫌なんだ」
そう言って睨むとロービィはしゅんとして小さくなる。
彼らは本来留守番だった。
俺が一人で行くと言っても「足でまといにはならない」「師匠の狩りを見せて欲しい」とひっつき回って懇願した。
足でまといになるのも狩りを見せるのも構わなかったが、ただ1点、狩場がビストラ王国という事だけが問題であった。
あんな教会の炊き出しを鍋ごともっていくような、脳みそにウジが湧いた連中に好き好んで関わるのは人生最大の損失である。
だが、ロービィは言う。
「会ってみないことには分からない」
「言葉が通じるならば分かり合える」
そんな聖人君主のような祝詞を諳んじる。
それは大層な博愛主義で、いい事だとは思う。
だがアレらだけは違う。
どんな聖人も女神も、英雄もメリケンで頭蓋を砕く。間違いなく。
種族としてヒトの敵である。
言葉が通じていないのだ。
彼等は言葉に似た何かを囀る獣なのだ。
ヒトになりたい獣畜生だ。
誰も自らの畑を荒す猪とちゃぶ台を囲もうとは思わないだろう。
そういうことなのだ。
だから俺だけでよかった。
なのに、彼等は同行する薄汚いビストラの騎士をつけてここまできた。来てしまった。あの騎士も獣の癖に、五感も働かないとは恐れ入る。
あまりにも嫌悪感が強すぎて、三十歩以上後ろに歩かせたのが間違いだった。
この子達を、あのドブネズミ共に合わせないためなら甘んじて受け入れるべきであった。
ここはもう大陸の北部たるビストラ王国。彼らを無理に追い返す方が危険だった。
俺は何時だって一人だから、誰かを守るような戦い方を知らない。神獣種はともかく、塵芥共から守れるだろうか。
目眩がする。
彼らは陰湿で狡猾で、そして浅慮だ。
あの町で生き残ったこの子達。
あの町で守れた数少ない命。
そんな彼等を、あの町の希望を。
こんな夏の肥溜めより不愉快な場所で散らす訳にはいかないのに。
拳を固く、固く握りしめる。
それを見たロービィは何かを少し言おうとして押し黙った。
夜はまだ長かった。
☩
クランツェ王国王城、その庭園にただ1人でワインを傾ける男がいた。
「やあ、今日はいい夜だ。晩酌に付き合ってはくれないか?」
暗闇の庭園で一人座る男はそう、暗闇に問いかけた。虫などが囁くばかりの常闇に向かって当然のように。それは彼の魔術の能力によってなせる技であった。
「…」
唐突に現れる巨漢に男は表情を変えなかった。恐怖などあるはずがないのだから。だが同時に目の前の漢に、万が一にも異端扱いされようものなら、次の瞬間にはミンチになっているという確信もあった。
「ようこそ、グリゴリ教執行官、圧殺のテレメール。あなたの為に麗水も用意した。」
そう言って差し出すのはクランツェで王家が抱える水源から取った水である。彼が信仰から酒を飲まないことを知っていた。彼は恐らくこの世界で最も敬虔なアンリルの龍の信徒であった。
「…有難く」
彼は顔すら見せぬ白いローブに身を包む。執行官たる証である頭部の角は自らをアンリルの龍、その代行であることを示している。
巨漢のコスプレに内心同情しながらも、男は己の渇きを満たしながら聞く。
「時間も限られている。単刀直入に聞こう」
目の前の巨漢はそれを無言で肯定した。
「アンリルの龍を殺せる方法があるが、如何か」
その言葉に大気が震えた。
見れば目の前の巨漢は三本の指で摘んだグラスをその握力で砕いていた。どうやら私は正しいようだと彼の中で疑問が確信へと変わった。
「…なんと?」
「アンリルの龍を殺せるがどうすると問うている」
どうやら、思ったより世界は面白いらしい。
そう彼はほくそ笑んだ。
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