人の皮を被った畜生共へ 5

 その日は日光から見放された。

 陰鬱な雨が降り注いだ。

 暗く澱んだ空から落ちてくるのが雨粒だけだったのなら、在り来りな日常だったのだろう。

 痩せ細り、傷にまみれた身体から滴る雨粒。それが俺の最後の感覚なのだろうとぼんやり考えていた。


「この男は!リルセラの悪夢にて!万の同胞を嬲った!!怨敵である!!」



「この男は!かの忌まわしき帝国の犬!グローリアの末席である!!」


 荘厳な服に身を包んだ目の前の男。象の顔をもつ男は仰々しくそう宣った。獣人などこんなものであった。人を殺す時はいつだって、グローリアの名前を出すのだ。

 あの恐怖と憎悪の対象たるグローリアに我々は復讐出来ている。

 我々の敵はグローリアであり、帝国であり、究極的に人である。

 愚劣な獣人共に丁寧に丁寧に刷り込むのだ。


 そして、その哀れな生贄の1人が俺だった。


「巫女姫、紅葉の予言にて、この男はあろう事かこのビストラを破壊してみせた!」


「同胞を!子を!女を!そして、祖先から続く誇りを!!


「踏みにじったのだ!!!」


「故に!!!」


「我等は殺すのだ!!」


「「「うおおおおおおおおお!!!!!」」」


 割れんばかりの歓声であった。盲目的な思考によって偏光した歪な希望だった。そんなものの為に人が殺されてきたのだ。だからこの獣共は嫌われるのだ。

 愚かで、野蛮で、差別的で、排他的。民衆の性質として、およそ最悪な者ばかりを彼らは持ち合わせた。だから帝国はかの侵略において、真っ先に潰しにかかったのだ。とても合理的な判断だと思う。

 こんな外道共と分かり合えるわけが無いのだから。


 象の男は振り返り、手を振り上げる。それに伴って、両脇の男達が斧を振り上げる。


 俺は超人ではない。

 あれで首と胴を切られればもちろん死ぬ。


 だから、俺はここで死ぬのだろう。


 その瞬間、脳裏に思い浮かぶのは忌まわしい呪いのような言葉であった。

「金はやる。

 女もやる。

 だが、名誉は望むな。

 貴様がそれを持てば面倒が付きまとう。」


 あのクソジジイは間違っていた。名誉なぞ望んでいない、今この瞬間も面倒が付きまとっているではないか。


 くだらない人生だった。心の底からこの世に絶望していた。2人の兄の使い走りになった方が幾分幸せであったとすら思った。


 あの英雄譚に出会わなければ良かったのだ。


 母が私を産まなければ。












「…それだけは違うか」


 母は善人である。私が無事に産まれてきた。そのことだけで親孝行は済んでいると本気で思っているような人だ。

 英雄になるとそう決め、来る日も来る日も傷だらけになる俺を、どこか寂しそうに治療してくれた。

 恨まれてでも止めるべきか、悩み続けて倒れてしまうような人だ。


 恥ずかしい。

 一瞬でも母のその優しさを侮辱してしまった弱さが恥ずかしい。


 何よりも。

 死の恐怖よりも。

 母の優しさを否定することが耐え難かった。



「何か言い残すことはあるか」



 そう象の男が尋ねる。

 民衆は殺せ、殺せと騒ぎ立てる。

 この場の全てのヒトが俺の死を望んでいた。


 だが俺は知っていた。

 たった一人かもしれないが、俺の幸福を心から願っている人を。


 ならば俺は満ち足りていた。

 もうわずか数分の命であれば、それで十分だった。


「母よ!!!クランツェはフィルリート!!バルドルの妻、イリーナよ!!」


 連日の悲鳴のせいでもはや掠れていたはずの声。それでもいい。俺に後先はない。発言を残せればいい。


「愛している!!!」


 その瞬間斧が振り下ろされる。


 あの声は歓声に紛れて誰にも届かないだろう。

 でも良い。

 最後にあの言葉を残せたのなら満足だった。










 ☩


「何故生かした」


 目の前の小娘に問うた。

 斧が振り下ろされた瞬間。あの人食いの大男がその身体で止めた。処刑人はその巨躯に深々と刺さった斧を抜こうとするが、その前に高台から殴り落とされた。そしてその後ろから駆け寄る小娘、巫女たる紅葉に連れられて、俺はビガーノの端のスラム街、その中のボロ家にたどり着いた。


 この小娘の行動原理が理解出来ない。

 あの村の連中を唆してクランツェ王国から俺を誘拐。その後は犯罪者予備軍として晒しあげ。そして、処刑。かと思えばビストラを裏切って俺と逃亡。意味が分からん。


 傍らで荒々しく息を着く彼女は俺の問に答えられそうな状態ではない。だが問わずにはいられなかった。全くもって理解出来ない。



「……」


 ああそうか、だんまりか。

 こういう手合いはいつもそうだ。


 腹の中で悩みも不安も問題も勝手に醸成する。

 そして、破裂寸前でようやく…いや、破裂してからグロテスクな臓腑を見せつける。もっと早く言ってくれればどうにかなったかもしれないのに。それで死んだやつは、もう、帰ってこないのに。


 そんな馬鹿に付き合ってる暇は無かった。大事なのは俺の命で、その次に俺を好きな奴の命でそれ以外はその時の気分。

 俺はこの小娘が大嫌いで、しかも別に命まで取る気はなかった。

 だからこの小娘の抱える問題など、それに纏わる諸々のきな臭い話もどうだって良かった。

 そんなもので俺や俺を好きな人を殺されてたまるものか。


「話せ。全てをだ。この結果にたどり着くために必要な全てを話せ」




 ☩




 ☩


「あっ…あっ…」


 ひしゃげた肉がぼとりと、1人の幼子の前に落ちた。彼女の目の前に転がる母親だった物の眼は苦痛に歪んでいた。目が合ってしまったのだろうか。

 少女は首を抑えるように吐瀉物を自らの母親だったものに吐きかける。じわりじわりと彼女の股ぐらから液体が広がっていく。

 自分の吐瀉物で喉が荒れたのだろう。咳き込む彼女に容赦なくソレは迫った。


 神への供物。

 神のなり損ない。

 神に近き獣共。


 神獣種。


 大陸のヒトは何故だかそれを直感で理解する。

 コレはヒトの天敵であると。

 誰が言ったのだったか、ヒトは万物の霊長であると。そいつの生きた時代に神獣種が上陸しなかったのは間違いない。

 アレこそが頂点だ。生物としての限界点だ。神と生物の臨界点だ。


「あ…ああ…あ…」


 幼女が譫言のように繰り返す。自らを庇った母が目の前でナニカになったショックかそれとも自らに訪れるであろう結末への恐怖か。


 ソレはひたりひたりとその幼女に歩みよる。

 見るだけでも正気を脅かすその見た目。


 遠目から見ればただの女人であった。扇情的で、黒い髪が艶かしい、ただの女であった。


 その髪の一本一本が深く深く黒に染められていた。本来であればそれは地に引かれ、揺らめくのだろう。だがそれが彼女の服でもあった。側頭部から流れる髪はふくよかな胸部を見せつけるように大胆に隠した。括れた腰も鼠径部から回った後ろ髪が隠した。


 そこまでは良いのだ。

 この世界には神がいて、魔法があって、考えつくようなことは大抵出来る世界なのだから。


 ふくよかな胸部による渓谷は巨大な眼に占有されてた。その顔は繭のように閉ざされた四対の羽根で完全に隠されていた。肉でできた円環が彼女の頭上に浮かび、絶え間なく鮮血が垂れ滴る。


 異形。


 魔人と言われるヒトもいるが、彼等とは違う。彼等の背後には。


 あんな、黒い太陽は浮かんでいない。


 おぞましい太陽。全てを許そうと言わんばかりに全てを受け入れている。

 あの女の前にたった母も、降り注ぐ雨も、弓矢も。全てはあの太陽に吸われていく。

 そしてその全てを不遜だと言わんばかりにナニカへと変えるのだ。


 奴が通った道にはそのナニカが溢れている。


 その女が幼女に手を伸ばした時。


「たすけて」


 そう呟いた。

 絶望に染まり切るその瀬戸際。

 絞り出すように呟いた。

 その目から光が消えゆくその瞬間。



 全ては暗黒の太陽に呑まれていく。


 どこまでも優しく、穏やかに。

 全ての生きとし生けるものを呑み込んでいく。


 そしてナニカが女の影から這い出てくる。

 それは先程まで少女であり、母であったもの。全身を掻きむしり、その度に黒い雫を飛ばすソレ。腹には少女の体のパーツが無造作に生えている。生け花のように歪に、不規則に。そしてそれを見つけたソレは、少女の手が自らの目に突き刺さることも厭わず顔を近づける。

 そして愛おしげに抱え、球となる。それが女の後ろに転がり落ちていく。そして、ナニカ達の列に加わった。


 満足気にそれを見る女。


 まだ、上陸して間もないにも関わらず、これ程の数の人がを信じることを打ち震えていた。

 肉の円環がフルフルと震える。






 だが、本懐には程遠い。


 女は再び目指すのだ。


 忌まわしき神光を堕とすために。


 神の膝元、アンリルへと。

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