人の皮を被った畜生共へ4
それからの日々は、正直なところ覚えていない。
ただ、植物のように生きていた。
呼吸をして、与えられたものを食って、それ以外の刺激を無視して、ただただ生きていた。
当時の俺にとって、俺のせいで死人が出るというのはそれだけの衝撃だった。
俺が間に合わなくて、被害にあった連中は山ほどいた。俺に関わる政争で死んだやつもいた。言い方は悪いが、それを俺はどうしようもない事だと思っていた。俺が出来るのは獣を狩ることだけ。一瞬でヤツらの上陸を感知することも、政治的な駆け引きも出来ない。だからどうしようも無いと。
獣共から人を守る英雄としてはそれで十分だとすら思っていた。
…もっと正直に言えば、分からなかった。
あの化け物共を狩りに行く時、俺は何時だって内地から沿岸へと向かう。それはヤツらの住処が海である以上、当然であった。
馬鹿どものケツを拭く時だって、言っちゃ悪いが馬鹿どもが悪かった。
貴族どもの政争なんぞ、手を出せば悪化するに決まっていたし、表に出ることもほぼなかった。もっと言えば俺で稼ぎたいとか、出世したいとか、戦争したいとかそういうことを考えてる奴らだった。
どいつもこいつも、知らない奴だったんだ。
そんな知らないやつのどうしようもない出来事で抱くべき感情とはなんだ。
分からなかった。
薄情だけれどもそれが本音だった。
この世界は厳しい。
人の死はありふれている。
だから、別に気にも止めなかった。
ぼんやりと人が死んだのかと。
その言葉だけを受け止めていた。
だから、自分が見て関わった人間が死ぬ事がこんなにも恐ろしいとは思わなかった。
あの日の浮き足立った彼らが。
剣を見てあれこれ聞いてきた数少ない子供達が。
酒を御馳走してくれた木こりのオヤジが。
心の底からすまない、すまないと連呼した狩人の爺さんが。
妙に張り付いた笑顔の村長が。
俺の心を弄ぶためだけに殺された。
そんな事、あっていいわけないだろうが。
死はそんなにも量産的じゃあないだろ。
たった一人のこんなクソガキを弄ぶためだけに死ぬような人生があっていいわけないだろ。
何が英雄だ。
☩
「バカみてえ」
「おい貴様、何か言ったか」
その日も磔にされて監視の兵の灰皿となっていた。陽光石のあれに比べれば、さほど苦しくは無い。だが、呆然とこんな身体をアマンダが見たら、また怒鳴り散らすのだろうなと卑屈に考えた。
もうどうせ死ぬのだから関係ないか。
そんな考えすら過った。
潮の音が聴こえた。波が砂を覆い、砂に染みて、そして消えていくあの音だ。
海の近くには馬鹿しか住まない。
そんな馬鹿どもにしか聞けない音が耳に届いた。
獣人共は帝国との戦争、いや帝国からの虐殺を受けて随分と北に、その領土を追いやられていたことを思い出した。
そうか。ここはビストラでもかなり北なのか。
「おい、明日がてめえの命日だ。良かったな解放されるぜ」
ニタリと気味の悪い笑顔を浮かべながら吸殻を腹に当てる監視役。その牛のような耳にはあの潮騒が聞こえているだろうか。聞こえているのだろうな。
この畜生共は繁殖と生存しか頭にねえんだからな。
その日の夜、あの小娘が房に来た。
あの時以来、村人の虐殺を告げて以来、彼女は連日ここに来た。口をきかなくなった俺に会いに来た。そして毎日のように闇夜の暗がりから囁いた。
「私に従えば、もう辛いことはないのよ」
その言葉を俺はまるで聞いていなかった。聞く気がなかった。辛いことなんて死ねば無くなるのだ。なら、こんなガキに従うよりも明日死んだ方がマシだった。
俺に残された最後の意地だった。
多分、それが癇に障ったのだろう。
「ッ!...明日...アレ....るのに..!」
小さく呟いたそれが俺に届くことは無かった。焦燥と困惑だけが伝わった。意地の悪い感情が心を満たして、頬を吊り上げた。
それを見たのだろう。
彼女はこちらに聞こえるほどに歯を軋ませた。ペチンとか細い音がする。
「どうしてよ!!!」
それは悲壮と呼ぶに値した。それを聞いてなお俺の心はあの独房のように冷ややかで、孤独だった。ただ慟哭する少女を、ある意味で獣人らしい、年相応に身勝手な彼女を極めて冷淡に両の眼で突き刺した。
この時、初めて俺は獣人という種族を見下した。
獣人とはかくも卑しいのか。
人の身を真似ようが、所詮は自己以外を慮れぬ畜生なのかと。
それは紛れもない差別で、偏見で。
英雄としてどころか、道徳からも外れていた。
だからといってこれが間違いであるとは思わなかった。それは生存本能に由来した“経験的学習”であったから。
これ以上彼らと関わると自らの命がこぼれ落ちると、言語に似た何かを口から垂れ流すだけの原始的生物であって我々とは分かり合えないと本能がけたたましく叫ぶ。
果実水を飲み、柔らかな椅子に身を委ねて平和を説く連中には分かり得ないものなのだろう。
だが、良い。もう良いのだ。もはや明日までの命で癪に触る善人の言葉を聞くことは未来永劫ないのだから。
薄汚く暗い悦びを彼女の慟哭から得ながら、あの時の俺は歪な笑顔を携えて本気でそう考えていた。
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