人の皮を被った畜生共へ 3

 しばらく無音が続いた。その時の張り詰めた弦のような危うさを今も覚えてる。

 狐の獣人たる彼女は呆然と、それこそ狐につままれたかのように、俺を見つめた。

 当時の彼女は獣人の基準からすれば十分に成人であったから、言葉の意味が分からなかった訳では無い。

 あとから聞いたところ、俺がここで叛意を示すというのは、どうやら彼女の異能から予測される結果と違ったらしい。


「ふふ」


「うふふ」


「あはははははは」


 お手本のような三段活用に内心感服しながら、俺は笑いながらキレるタイプの女でないことを祈っていた。アレだけの侮辱をして、タダで済むとも思っていなかったのだ。場合によっては彼女の攻撃で手枷が壊れることに期待していた。

 今思えば剣すらまともに持てない彼女相手に馬鹿な期待をしたものだ。


 一頻り笑った彼女は満足そうに頷いて、鉄格子から手を差し出した。まるで仲直りする子供のように。


「何の真似だ」


「そうね…。感謝の先払いってとこかしら」


「は?」


 身に覚えもなければ、この場に似つかわしくもないその言葉にこの時の俺は思わず、素で聞き返してしまった。顔を上げた先にはあれほど憎んだ彼女の顔があった。金の髪が星の光を吸い、煌めいていた。悔しい程に美しかった。

 あれほど憎んだのに、見蕩れてしまった。端正な顔立ちがほのかに赤らみ、はにかむその様子に。


「ふふ、可愛い顔。食べてしまいたいくらい」


 その一言で我に返った俺は1歩後ずさる。

 それを見た彼女は満足そうに冗談よと、コロコロと笑った。少しだけ寂しげに。


 そして、彼女は思い出したように言う。


「そう、少し言い忘れてたのだけど」


 差し出した手を引き、その細指を月の灯りでほのかに艷めく唇にあてた。歳の割に堂に入った、その扇情的な仕草に嫌悪感が募る。


「あの村は全員殺しておいたわ。あなたを裏切るような奴らだもの、褒めてくれてもいいのよ」


 その時、思考が止まったことをよく覚えている。

 こいつは何を言っているのだろうか。

 確かにあの村の連中ははした金で情報もろくにない手負いにした熊を狩りに行けという、舐め腐った依頼を出した非常識な連中だ。半端な金も、余計なことをした上での依頼も、命を賭ける狩人に対しての侮辱に他ならない。だから亀を殺した俺が帰るまで誰一人受けなかったのだ。


 だが、彼らはデルベモ山に近く、王都からも遠い貧村で生きていた。若者に出ていかれた限界集落1歩手前であった。彼らが今後を生きる為に、あれ以上の金は出せない。村に常駐する狩人も貧相な腕をしたジジイだった。領主から派遣された代官もいるはずなのに、舘はもぬけの殻。あの村は放っておいても滅びるような村だった。彼らもそれは分かっていただろうが、それと生きようと足掻くことは別だ。


 彼らは彼なりに故郷を、信念を、家族を、命を守ろうとしたのだ。


 俺を生け贄に差し出すことだってそうだ。


 今思えば、あんなクソみたいなわざとなのかもしれない。あの手の依頼は俺にお鉢が回ってくること請け負いだ。俺の事を知っていたなら、あえてそうしたのかもしれない。


 なんにせよ、それをする事で命を繋ごうとしたのだ。


 俺はそれを理解している。


 納得するかは別だ。あんな奴らは全員奴隷にでも落ちろと思う気持ちはある。



 だが、理解はしているのだ。


 誰だって自分の命が惜しい。

 力のないあの連中がそう思うのは当然だ。


 あんな奴らは奴隷にでも落ちれば良かった。

 あんな奴らは全員不倫されていれば良かった。

 あんな奴らは毎日獣に脅えていれば良かった。



 その程度が良かった。






「…死んでくれとは思ったよ、正直。」


「だがよ。思うだけだ。それだけだ」


「口にするってのはすげえ良くないことだ」


「胸の中に秘めておけばこの世界にそう思ったって証拠は何一つ残らないからな」


「だからよ」


「死んでんじゃねえよ…」


「俺に恨まれてるくらいでいいじゃあねえか」


「俺が死んでくれって思った証拠が今までなかったんだからよ」


「どうせあんな貧村俺以外そこまで恨んじゃいねえんだからよ」


「俺を売り飛ばしてまで生きようとしたんだからよ」


「生きろよ、馬鹿が…」


 涙が濁流のように押し寄せた。あんな奴らでも俺は生きていて欲しかった。英雄的思考もあった。


 だが、みみっちい俺の心はこうも叫んでいた。


 まるで俺が死んでくれと思ったせいみたいじゃあないかって。


 そんな事実を受け止める事すら当時の俺には出来なかった。


 全部この小娘が悪いことも、俺に非は無いことも。


 でも、それすらマトモに受け止められる状況じゃなかったのだ。身も心も文字通りズタボロだったのだ。


 だから、ポロポロとこぼれ落ちる涙ばかりを見ていたのだ。汚い石床に雫が広がるのをただ見ていたのだ。


 この時、心の底から困惑する彼女を見ていればこの後起こることの顛末は違っていたのかもしれない。

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