人の皮を被った畜生共へ 2

 俺は狩りができる。

 どんな獣でも狩る自信と腕がある。


 今も、あの時もそれだけだった。


 だから崇高な目的も、技術と比例した精神も持ち合わせてはいなかった。


 何日そうしていたんだったか。


 通りすがる者たち、その全てに侮蔑の瞳が宿っていた。誰もが目を細めて、眉を寄せて、不快を顔で表した。その毛塗れの耳をこちらから背けた。

 子供の目を覆い、足早に過ぎ去る母親。

 石を投げつける子供達。

 便所の瓶の中身をぶちまける男。

 目の前でそれを黙認する騎士達。

 誰もが俺を人間としてみていなかった。

 獣のような耳がないからか?

 お前らのように尾がないからか?


 いいや、本質はそこでない。



 俺に残され尊厳は腰に巻かれたボロ衣、ただそれだけであった。

 手も足も拘束されて、十字架の木と同じ体勢であることを強要されていた。


 幾日かは叫んだ。助けてくれと。こんな事は許されてたまるかと。その度に腹を槍の柄で突かれた。

 夜になれば傍の塔にある独房に投げ捨てられた。飯はあったが、子供の頃に家畜にやっていた残飯よりも酷いものだった。それも投げつけるように与えられ、犬のように舐めて食った。そのせいで腹を下した。そんな状況でも夜が明ければ当然吊るされ、糞を撒き散らし、辺りに悪臭が立ちこめた。あの惨めな姿をさらした日以来叫ぶことはやめた。





 俺はあの時、初めて。

 生まれて初めて。


 死んでしまいたい。

 そう思ったのだ。

 何の為に生まれたのだろうと。


 大それた悪事などした事がなかった。

 精々が酔っ払いと喧嘩した程度だった。

 この世界で、クソッタレのこの世界で、殴られたから殴り返した。それが俺の一番の悪事であった。

 嘘もついたし、子供の頃は母の言いつけもあまり聞かなかった。道場も盗み見たし、小銭を拾ってパンを買ったこともあぅた。しかし、その程度じゃないか。高々ガキの頃のイタズラ程度だ。

 いつだって、母に説かれた人としての道を違えたことは無い。


 だが、現実には街中で立小便をするような酔っ払いが俺を肴に呑んだ。幼子を喰らう男が、のうのうとのさばっていた。

 相場の半額以下の報酬でも救おうとした、あの村は俺を生け贄に差し出すことで今日を生きていた。


 それは耐え難い憎悪を駆り立てた。

 日に日に窶れ、悪臭を放ち始めた身体に相応しい、悍ましい感情。


 あの時の俺にとってもはや英雄など、どうでもよかった。夢など、どうでもよかった。

 ただ、1人の尊厳を持った人間として。

 その尊厳を守る為に、この悪意に満ちた感情は必要であった。


 あの男は胴を切り離す。

 あの女は首を切り落とす。

 あの子供は縦に両断する。

 この兵は眼孔から突き刺す。


 そのような空虚な妄想を繰り返した。

 頻繁に狩人組合が口にするモンスターとやら。

 俺からすれば獣と区別する意味が分からなかったそれ。恐らく俺はそれに近いものであったのだ。憎悪に駆り立てられ、ただ傷付け、死に至らしめることだけを望む動物。

 あの時の自分を形容するに相応しい。

 


 あの日。星の美しいあの日。

 独房の闇夜の中、寒さに凍え体を抱き抱えた。格子の窓から覗く星を見た。星は俺にとっての救いだった。いつでも輝いていた。どれだけ分厚い雲に阻まれようとも、その後ろの輝きが潰えることは無い。

 そのように生きたかった。あのような醜悪な化け物となる事を望んでなどいなかった。英雄になりたかった。

 だというのに、当時の俺は王国のクソ共が実は俺のおかげで生きているのだ、そう思って胸の内の暗雲を晴らすような、そんな惨めな男にしかなれなかった。英雄は名誉なんぞに執着しないのだろうが、それが欲しくてたまらなかった。

 笑え。笑えよ。もはやあの夢も垂れ流した糞とともにこの身から落ちていった。


 己が人間であること、それを肯定するのはこのうちに宿る悍ましい復讐心のみであった。あの半獣の人でなしどもを根切りすることのみが俺に残った唯一の人間らしい感情であった。


 星と同じなのだ。この世は夜空のようにどす黒く、先の見えない恐怖がほとんどである。だからこそ、僅かな光だとしても星はそれらしく輝けるのだ。だからこそ、こんなにも恋い焦がれてしまうのだ。だが、無情にもこの世はその僅かな輝きでさえ雲で覆うのだ。


 俺はせめて雲に隠れる星であれば、これ以上の幸せは無かった。


 風が吹いた。鉄格子から流れるその風は寒さというトゲを孕んでいた。

 ギィと、金属が擦れる酷く不快な音がした。


 格子の外を見ればあの小娘がそこにいた。雅な衣装に身を包み、凡そドブネズミの巣に近しいこの場には不釣り合いなほどに可憐だった。


「あら、まだ元気そうね」


 その問いかけに答える気はなかった。彼女が現れるのはこれで二度目だった。

 彼女を俺は確かに恨んでいた。


「どう?あたしと愛し合う気にはなった?」


 だが、同時に恐れてもいた。まだ片手程度の歳でしかない彼女が纏う雰囲気としてはあまりに不釣り合いなそれ。その甘く引きずり込むような空気感に、溶かされて喉奥へと溺れたくなった。

 今すぐその細い喉を片手で砕いてやりたいほどに憎いのに、もうあんな目に遭わずに済むと思うと、この1つ次元が隔絶した美しい少女に愛されると思うと、縋りたい気持ちが抑えきれなかった。


 祖国の王も、ガルラードも、エインリッヒも、も。王国では誰も俺を人として愛してはくれなかった。誰もがヒンツァルトという怪物を崇拝し、恐れていただけ。それほどに愛に飢えていたからこそ、彼女が俺という人を見ていることも何となく分かった。


 だから100度同じ場面に会えば、99回はこの誘いに乗ったのだろう。




 そうしなかったのは意志の強さとかではなくて、単に偶然だった。たまたま、彼女のその紅の目に反射した星を見たからだ。あの時見た星はゲルデーヌ、数少ない知っている星。夜空に青く光る星。たったそれだけ。だがそれがおそらく世界を少しだけ変えたのだ。


「嬢ちゃんには俺の聖剣は扱いきれねえよ」


 そう馬鹿みたいに吐き捨ててやった。

 この世界を舐め腐った汚ねえにやけ顔で。



来年は週一で上げる。多分

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