人の皮を被った畜生共へ 1

 確かアレは19の時だった。

 まだあの頃は首都以外では特に何も無かったし、ガルラードが振り向いてくれたらとか、馬鹿みたい貰える金をどう使おうかなとか。そういう下らないことだけを考えて生きていた。

 ポクポク太郎もまだ居なかった。

 だから、ある意味では一番孤独な時期だった。


 一番弱い時期だった。


 その日は馬鹿が手負いにしたでかい熊をクランツェとビストラの北西の国境付近、デルベモ山まで狩りに行った。近くの城壁もない村に被害が出ていたし、かなり急いで行った。


 近くの村に着いた時、聞いていたような緊迫感はなく、妙に浮ついていたのを今でも覚えている。


 この中で俺だけが異質であるようなべっとりとした違和感に背中からなぞられていた。


 話を聞くとどうやら、既に熊は狩られたらしく、胸を撫で下ろした。彼等に怯えて眠る夜はもう来ないのだと顔を綻ばせた。


 村長の好意でその晩は村長の家の部屋を借りて眠った。妙にザワつく心に気づかないフリをした。


 目が覚めても、暗闇で手足の自由が無かった。これが生まれて初めての罠だった。並の拘束なら脱する自信があった。だが、もがいた時に鳴る音は金属に他ならず、叫ぼうにも詰められた布がそれを許さない。


 人間の悪意に、心から恐怖した。獣と相対した時に感じる命のやり取りでは感じない類のものであった。

 力はある。

 この拘束さえなければ俺はこれをした人間を殺せるだろう。

 金はある。

 犯人に対して交渉することだって場合によっては可能だろう。

 経験はある。

 獣に関しても、暗殺に関しても多少の心得はあった。

 だが、今積み上げてきた全ては無力だった。

 目も、手足も不自由な今、聴覚と触覚だけが異常な程に鋭敏で、それも恐怖で荒くなった呼吸で遮られる。

 次の瞬間には首を断たれるのかもしれない。

 腹に鈍痛が響くかもしれない。

 手先から鋭い痛みが脳髄まで走るかもしれない。


 無駄な知識が恐怖を煽りたてる。知識とはかくも恐ろしいものであったのか。


 どれほどの時間が過ぎたのだろうか。それほど長くなかった気もするし、思いのほか短かった気もする。生理的欲求も高まる中で、明かりが飛び込んできた。


 そこに広がっていたのは辺り一面の木々。そして子供の臓物を食い漁る熊であった。正確には熊のような男であった。両手で子供の胴体を持ち、噛み付くその姿をヒトと思いたくはなかったのだ。ギラつくその視線をこちらに向けたまま食い漁る。


 耐え難い屈辱であった。もはやかの胴体に頭はなく、その華奢な肉付きだけが幼さを表していた。あの子はどのような思いで死んで言ったのだろうか。それを思うだけで煮え滾るものを抑えることが出来なかった。だが動く事は出来なかった。


 もう一人いる。

 目の前の男とは別に目隠しを外した者がいる。それは分かっていた。今は耐えねばならなかった。


「あら、存外賢いのね」


 そんな、鈴の音のような声が耳元で鳴る。ゾクリとするほど嫋やかな声であった。サラリと脇を抜けると甘い香りが鼻腔をついた。

 目の前に現れた女は男の丸めた背中に腰掛けた。何よりも特徴的であったのは背中で揺れる9つの小麦色の尾。それを除いても風に靡く金色の髪を掻き分けて直立する耳が種族の違いを表した。

 そして、その年端も行かぬ見た目の少女は言うのだ。


「貴方にビストラを救ってもらうわ」





 意味が分からなかった。何を言ってるんだこのガキは。そう思わずには居られなかった。同じくらいの歳の子を貪るソレにもたれかかって、言うに事欠いて、ビストラを救えだと?


「巫山戯るなとでも言いたげね」


 クスクスと笑う少女は俺の目を見て嘲るようにそう言った。その笑顔だけ見れば、ただの少女に違いなかったが、状況がそうさせなかった。


「ふふ、だいじょうぶ。これはお願いじゃないの」


 少女とは思えない艶やかな笑み。権力を笠に着た、無力な女が良くするその表情。この女を生かしておくべきじゃない。若く、浅慮な俺にそう思わせるだけの材料がそこにはあった。

 するりと男の肩からおりると1歩、また1歩。

 自らの美しさを分かっているこの女は、いちいち勿体つけて歩く。そうする事で煽られる恐怖がある。それを知っているから。


木漏れ日から雫が落ちる。

日は隠れていないのに、空が泣いていた。


 彼女は俺の顎に指を当て、吐息のかかる距離でこう告げるのだった。


。貴方はあたしのもの」


 いたずらっぽく歪めたその顔を最後に、意識を手放した。


「愛してるわ。あたしを救ってくれる貴方をね」

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