「差」
彼等との生活は充実していた。
朝起きて、井戸で水を汲み、ポクポク太郎の厩舎を掃除して、朝食を作る。
彼等は起きると剣を振り、森で軽く走ると近くの川で水浴びをして帰ってくる。
そして、食事を共にした。
その後はガーロの狩人として、間引きをしたり、畑の手伝いをしたり、時には彼等と共に狩りにでた。
日が沈めば、その日の狩りや村人から貰ったもので夕食を作る。彼等はその間も外へと走りに出かけた。無理は良くないと何度も言ったが頑なに彼等は拒んだ。
僕らが好きでやってるのだと。
そう言われて強く言う事は出来ず、ただ怪我だけはするなと言って聞かせた。
彼等は怪我なんてするはずが無いとそう笑っていた。リーラのその少し困った笑顔が妙に脳裏に焼き付いた。
☩
「おい、そこの兄ちゃんたち止まれ」
「その先にあるのはただの民家です。そんな仰々しい兵まで連れて行くような場所じゃありませんよ」
その言葉を受けて、彼等は止まった。
「おや、君達が例の」
先頭の男が少年たちへゆっくりと振り向いた。
風に靡く銀の髪。
この世において最も古い王家の血、その証明たる蒼き目。
その端正な顔立ち。
師を害するやもしれぬと出てきた彼らが思わず見蕩れるその姿はまさに魔性。まるで御伽噺の王子様のような、そんな作り物のような美しさがそこにはあった。
どれをとってもこんな片田舎に相応しい人間ではなかった。
「王子。どうしますか」
凛とした声で囁く騎士。全身を鎧で包んだ彼は主人に確認するが、もう1人の騎士は既に剣に手をかけている。
それを見て少女は目を細くした。
重心を低くし、良く馴染んだ小ぶりな剣を両手に握りしめた。明確な威嚇であり、場の空気が張りつめる。
その空気を破ることが許されていたのはこの場でただ1人であった。
「ははははは。良い。良いじゃないか」
狂ったように笑い出すその姿を見て、少年たちは呆然とする。剣に手をかけていた騎士もその手を離し、もう1人は頭を抱えた。
「はあ。王子、さっさと名乗ったらどうです」
その不遜な提案にも上機嫌に彼は応じた。
「そうだね。いやはや、遅れて申し訳ない。僕はエインリッヒ。なんてことは無い。君達の師匠のご主人様だ」
☩
「いや、なってねーよ。バカ」
「おや、そうだったかな?」
「取引はした。したよ。でも下僕になった覚えはねえよ」
思わず声を荒らげると、付き添いの騎士のヘンリーがすみませんと頭を下げる。
ロービィとリーラはえ?え?としきりに俺とエインリッヒを見比べる。
「僕の英雄を下僕になんかしないさ」
そう言いながら目の前で紅茶を啜るこの男こそ、俺の祖国クランツェ王国が第2王子、エインリッヒ・ヴォー・ガルデモ・アルモンテ。またの名を飢渇のエインリッヒ。
欲しいものは何をしてでも手に入れるし、したい事は何でもする。そう言う男である。
かつて俺はこいつのせいでドえらい目にあったし、嫌がらせのように俺を騎士にしようとしてくる。先程も言ったが、俺を騎士にしようと文字通り何でもしたのがこの男である。
本当にクズとしか言いようのないこいつを、俺は頼らざるを得なかった。
俺を騎士にする為なら何でもする男であり、横暴で手段を問わないカスだが、唯一褒められるところとすれば俺に偽る事はなかった。
だから今の下僕にしないというのも、本心なのだろう。そこだけは信用していた。
「それで何の用だ」
ぶっきらぼうに尋ねると、からかうように笑った。
「ビストラ王国で神獣種が出るらしいよ」
「帰ってくれ」
ただそれだけを告げた。
明確な拒絶だった。
この状況でエインリッヒだけがそれを見て満足げに笑みを深めた。
珍しく2人いる騎士は深く頭を下げていた。彼等は俺の事情を知っているのだろう。神獣種を狩ることも、俺の今の感情も。
「師匠…?」
ロービィとリーラはまだ事態を把握していなかった。彼らにはまだ、俺が王国でやってきた事を伝えてはいない。アダダーラなんか比にならない。現実に唾を吐きかけるような理不尽を狩ることが俺の仕事ということも。
だから彼等は今困惑しているのだ。
なぜクランツェの王族と関わりがあるのか。
なぜ神獣種などという言葉が出てくるのか。
なぜ俺が、ここまで拒絶するのか。
だがそれに対して俺は答える気なんかない。
俺は彼等の狩りの師匠で、それを気に入っていた。だからあんなクソッタレどもと関わる必要はないし、同情など望んでもいなかった。
「全てを救うと、そう言ったじゃないか」
試すように、挑発するようにエインリッヒが囁く。彼の顔は依然喜色に染まったまま。
まるで俺がどう答えるか分かっていて、その通りになるのが嬉しくてたまらないような、そんな風に俺には写った。
それが腹立たしい。
「やらないとは言ってねえだろ」
鋭く睨んでも、表情は変わらない。
ほらな。
こいつは俺がこういうのを分かってたんだ。
分かっていて言ったんだ。
「おや、いいのかい?ビストラ王国と言えば、獣人の国じゃないか。君の大嫌いな」
その単語を耳にして、思わず机を叩いた。カップから紅茶が飛び散り机が汚れる。ロービィとリーラに怒ったことは引き取ってから半年経つが一切無かった。俺のこんな姿を見たのは初めてのはずで、そのせいか彼等は少し怯えたように縮こまっていた。
それを見て少し冷静になった。
「門は?」
クランツェ王国を飛び出してからエンディ達には会ってない。だから正直、会うのは少し気まずいし、嫌だったけど、背に腹はかえられない。命を優先しなければ、英雄じゃない。
だが、しかしそんな覚悟を嘲笑うようにエインリッヒは言うのだ。
「いや、今回は必要ない」
「は?」
「だから、出るらしいとそう言ってるじゃないか。まだ正確には現れてないんだ」
「ならどうして」
「巫女姫だよ」
それを聞いて思わず、言葉が出ない。
ああアイツらはまだ、まだそんなことをしているのか。
こんな事を思うのは英雄として相応しくない。
だけれど、考えてしまう。
あの時救うべきなんかじゃなかったのだと。
あんな奴らを救う価値なんてあるのかと。
「巫女姫の予言が出たならそれでアンリルの龍が動くだろ」
だから少し期待を込めてそう言った。
いつだって期待は裏切られたのに。
「アンリルの龍もそこまで暇じゃないよ」
そうだ。
アンリルの龍に慈悲があれば、クランツェは神獣種に脅かされたりはしないのだ。あの龍は、この世界の神は俺たちの命にさほど関心は無い。そんな獣人の訳の分からない小娘の言うことなんか大して気にもしないんだ。
だってそうだろう。
死人が出れば勝手にビストラ王国から伝令がくるのだから。
そう。
だから。
結局の所、この世界で。
今、あの原始人どもを救えるのは俺だけなのだ。
ああ分かったよ。
元々話を聞いた時点で行くことは決まったようなものだった。だからこれから先はただの嫌がらせだ。ただの文句だ。それぐらい、俺にだって言う権利はあるだろう。
「そもそもなんでお前が巫女姫の予言を知ってるんだよ。あいつらが異国間交流なんて上等な事するなんて聞いたことないぞ」
それを聞いてエインリッヒは少し微妙な顔をした。そして騎士の方を見ろと顎で指示する。
それを見て思わずもう一度。今度は机にヒビが入るほどに拳を振り下ろした。
「エインリッヒ、笑えねえよ」
バケツのようなそのヘルムに隠されていたその素顔には獣人の象徴である畜生の名残が残っていた。
至極恐縮したように垂れるその狼のような耳と短く切り揃えられた灰の髪が印象的だった。
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