差別主義者の慈愛

英雄

 コンコンと戸を叩く音がする。

 エインリッヒでないことだけは分かった。

 彼はノックなどしない。

 だから俺は剣を携えて戸に歩みよった。


「誰だ」


 ぶっきらぼうに尋ねると案外答えはすんなり返ってきた。


「ロービィです」


 その答えに思わずうんざりする。


「もう来るなと。そういっただろ」


「言われたのはリーラです。僕じゃない」


 思わず頭が痛くなる。誰がどう見てもわかる屁理屈だ。もうこのやり取りも1度や2度では無い。


「ロービィ、どうせリーラもいるんだろ。帰ってくれ。君達が生きてく上で必要な金は出す。それでいいじゃないか」


「いいえ!だからこそ何かさせてください!!」


 凛とした少女の声が響く。やはりリーラもいるのだ。毎日毎日、飽きもせずに夕になると現れる。


 不快とまではいかない粘度のある黒い感情がこびりついて離れない。俺はこの子達にこれ以上強く出ることが出来なかった。その結果であるからこの感情を不快と呼ぶことは倫理観が許さなかった。


「…帰ってくれ」


 それを絞り出す以外に出来なかった。

 いつもそうだった。

 あの子達もそれ以上はしなかった。

 だが、今日は違った。

 だから今日は物語の序章であった。


「…お久しぶりです、ヒンツァルト殿。レイ・フィッチです。どうか、扉を開けてはくれませんか」


 その低く冷ややかな声が響いた時、もう逃げられないのだと悟ってしまった。


 戸を開けた。


 夕の赤がこの先を暗示しているかのようだった。


 ☩


「ヒンツァルト殿、ご挨拶が遅れたことを先じてお詫びします」


 本当に申し訳ない。そう言って、壮年の男は頭を下げる。その顔つきは精悍かつ清潔感のあるもので、彼の実直さを表現しているかのようであった。


 東方管理局長付補佐、東方常備軍遊撃隊隊長、沈黙の騎士、大蛇狩り。彼を表現する言葉は多くあれども、''選定騎士、朧のレイ・フィッチ''以上に知れ渡る名はない。

 なにせ、帝国五人目となる選定騎士。帝国の英雄たる彼に皇帝が直々に授けた名である。先日の式典においてはパレードまで行われ、その偉業が称えられた。


 頑なにその称号を拒否し続けた事もまた、彼の誠実さを表すとして賞賛された。


 それほどの男が今、片田舎の山中で冴えない男に頭を下げていた。くだらない三流の記者が喜びそうな絵であった。


「……知ってます。五人目の選定騎士になられたと」


「……あれは貴方への評価だ。何時でもお譲りしましょう」


「勘弁してください。その話はブルックリンさんにも伝えたはずです」


 男にとって聞きたくもない話題がこうも矢継ぎ早にでてくると、ふつふつと煮える物があった。だが、レイ・フィッチは紛れもない恩人であり、さらに言えばロービィとリーラの前で、子供達の前で怒鳴り散らす事など出来はしなかった。


 レイ・フィッチとて、この現状に納得は行かなかった。身に余る栄誉、賞賛に耐え難い屈辱を感じていた。

 だが、これは未熟な己への罰であるとして、恩人たる彼への報いとして、どうにか呑み込んでいた。

 レイ・フィッチが何を言おうと、彼は叙勲の栄誉を拒み続けるだろう。であればこれ以上、この会話は無意味であった。


 だから彼は話を変える。


「では、この話はここまでとしましょう」


 少し息を吐く。断られると分かってなお、交渉せねばならない事の息苦しさときたら。ほんの少し、対外交渉をする文官立ちに優しくせねばなるまい。


「ヒンツァルト殿。彼等を狩人として育ててはくれまいか」


「お断りします」


「ヒンツァルトさん!!」


 手早い拒否にロービィが身を乗り出して抗議する。彼も断られるとはわかっていたろうが、面と向かって拒絶されるのはくるものがあるのだろう。リーラもズボンの裾を握り締め、悔しさを滲ませる。


「何故か」


「これ以上、苦しむ必要なんて無いでしょう」


「それは違うよ!!」


 今度はリーラが身を乗り出して抗議する。彼らは決して短慮では無かった。

 彼らは3年前、ロドの悪夢と呼ばれるグリゴリ教の災厄に晒され、親も友も兄弟すら失った。彼等の故郷を、親しきもの達を奪ったのは魔獣である。そして、彼等を救ったのは狩人たる男と黒馬である。

 彼らの憧れと復讐心からして、狩人を目指すのは自然であった。

 彼等は東方常備軍と共に帝都へと避難し、孤児院にて引き取られると、帝都の狩人に師事した。

 彼等には才があった。三年足らずで師を変え、目の前の男に師事を求める程度には。


 だからこそ、苛立つのだ。

 男にとって、未だに自分達が庇護の対象である事。

 紛れもなく当代一の狩人が自分達を認めない事。


「僕達はそのくらい覚悟してる!!覚悟の上で言ってるんだ!!」


「そうだよ!!もう二度と!あんなことが無いために!!強くなりたいんだ!!」


 彼等は紛れもない本心からそう言うのだ。


 だからこそ、それが伝わるからこそ、男は、ヒンツァルトは。

 これを悲劇だと感じて止まないのだ。


「君達が、そう思う事は否定しないよ。だけどもし、君達が俺みたいになりたいなら」


 そこで少し区切る。


 息をゆっくりと吐いて、彼等の目をゆっくりと見る。良い目だった。第一位階と呼ばれる等級の狩人達がする目と同じだった。

 それが悲しかった。

 



「そんなことは断じて許さない。こんな人間は今後千年俺だけで十分だ」


 ヒンツァルトの圧に、ロービィもリーラも押し黙ることしか出来なかった。2人とも栗色の目に涙を浮かべた。


 それを見て、レイ・フィッチが静かに語る。


「彼らは決して弱くない」


「知っています」


「彼らは思いつきで言っていない」


「知っています」


「あなた以上の狩人も、師もいないでしょう」


「…後半に関しては違うと思いますよ」


「それでも、彼らを育むことは拒むと」


「…ええ」


 そうですか。そう呟いて、おもむろにレイ・フィッチは立ち上がる。


「グラスを二つご用意できませんか」


 彼は懐からガラス瓶を取り出す。

 それを見てヒンツァルトは黙ってショットグラスを二つ用意した。


「かたじけない」


 そう言って、レイ・フィッチはガラス瓶の栓を抜く。芳醇な香りがその場に漂う。上品で、澄んだ穀物の香り。

 グラスに注がれた金色に輝くそれをレイ・フィッチはヒンツァルトに差し出した。


「どうぞ」


「これは?」


 訝しげに受けとりながら、尋ねるヒンツァルトにゆっくりと、彼は答えた。


「…私の隊に無類の酒好きがいましてね。彼が遺したものです」


 それを聞いて、ヒンツァルトは顔を顰める。そんな大切なものを、はいそうですかと飲めるほど彼は図太くなかった。


「私は彼の酒好きを舐めていた。てっきり1つかと思っていたら棚にズラリと並んでいた」


 ヒンツァルトは黙って話を聞いていた。


「彼は、姪と酒を飲む事を楽しみにしていた。恐らく、その時のために貯めていたのだろう」


「だが、それも叶わなんだ。これは彼の姪が是非にと言って持たせてくれた」


「貴方がいなければ、私がこれを飲む事も叶わなかった」


「ならばこれは貴方と飲むべきだ」


「どうか、彼に捧げてはくれまいか」


 レイ・フィッチはすっとグラスを彼の前に出した。普段はヘルムで隠れるその鋭い目、威圧感を与える彫りの深い顔。それが今日は穏やかに歪む。


 ヒンツァルトはただ一言。


「英雄に」


 そう言って自分のグラスをコツンと当てて一気に飲み干した。酒は得意な方では無い。酒精で喉が焼けるようで、思わず噎せる。

 だが、鼻を抜ける香りと清涼感に心地良さを感じて、一つ息を吐いた。


「ヒンツァルト殿」


「なんですか」


「英雄が救った命。それを見届けてはくれまいか」


ヒンツァルトは少し笑った。

どうやら目の前の騎士を見誤っていたようだと。

ああ間違いない。

彼は実直であるが、計算高くもあったのだと。


「この通りだ」


五体を地につけ、ヒンツァルトに乞い願うその姿はおよそ物語の騎士とはかけ離れていた。

だがしかし、気高くあった。


「「お願いします」」


そう言ってロービィとリーラも五体を地につける。

それを見てようやっとヒンツァルトは気付く。

この子達はこんなにも大きくなったのか。






「頭を上げてください」


もう断る気などなかった。



「獣との戦い方なら、教えよう」

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