ムスカリの種子

 U字の巨大な穴。

 それはジェヘナへの入口であり、破壊の痕跡であった。

 ぼんやりと明るくなる空は残酷なその現実を隠してはくれなかった。夜通しの行軍で限界が迫りつつあった東方常備軍の兵たちも険しさの色が戻ってくる。

 本当に侵攻はあったのだと当然の事を思い知る。


 レンベルはその惨状を目の当たりにして、思わず顔を顰める。東方管理官として、東方最前線拠点の一つがこうも破壊されてしまったことは頭痛の種であった。また1人の帝国臣民として、この現実は受け入れ難いものがあった。


 超えていた限界からか、目の前で眠ってしまった男をレンベルは見やる。この男がいなかったならば、悪魔の祝祭はここだけでは済まなかっただろう。その事実は帝国に重くのしかかる。

 微笑みながら隣の男を見るティスティア。レンベルにとって、ここまで上機嫌な彼女を見るのは久方ぶりであった。

 レンベルはその晴れやかな顔を目に焼き付ける。

 護らねばならぬモノとは全くこれで良い。

 これが良い。

 それが彼の想いであった。

 そして、その大輪の花が向く先には自分が居ない。そのことを静かに受け入れるのだった。


 車輪が小石を乗り上げ、揺れる。

 馬の小気味よいリズムが繰り返し、繰り返し耳を貫いてゆく。

 その周期性がレンベルは嫌いだった。

 早く終わらないかと思う事を、彼はやめられなかった。



 やがてそれは部分的に解消される。

 馬群が止まったのだ。

 それはつまり、ロドへの到着を意味した。


 これより先は最早人の領域では無く、護るべき文明も護ってくれる壁も全てが壊れ去った憐れな墓地である。

 この場の戦士達はそれを理解していた。

 知っていて、この場に来た。


 だが、だが。

 彼等は想像しなかったのだ。

 膨大な圧力で押し潰された人間がどうなるか。

 生きたまま、骨を粉微塵にされた人間の死に様がどんなものか。

 畜生共に貪られる子を見た母がどのような顔で死ぬか。

 その全てを守れなかった兵がどんな思いで散っていったのか。


 だからこそ、彼等は吐き出すのだ。

 獣への怯えと不快感を胃の中に溜め込んだそれと共に。


 そして、隠しきれない思いを抱いてしまうのだ。

 人間と殺し合うことのなんと幸せな事か。


 戦争など惨いと人は言うだろう。

 それは決して間違いでは無い。

 しかし、この世には戦争など人道的だと思えるようなそんな光景も確かにあるのだ。


 彼等は今一度認識した。

 獣とは格下の低脳では無いのだと。

 無慈悲な暴力を行使する相容れぬ存在なのだと。


 深く、深く絶望する彼等を静かにレンベルは見守った。彼等はこれからこの、この世に現れたジェヘナにて、無辜なる民を救うべく、時には剣を振るい、時にはその死体を掻き分けねばならぬ。その役目は既に通達している。

 彼等は兵である。

 狩人でなく、超人でない。

 故にこの光景を受け入れるには時がいる。


 それによって無辜なる民がまた一人死ぬやもしれぬ。それはレンベルの責任であり、それを自覚してなお、待つという決断をした。


 彼等は狩人でなく、超人でないから。

 1人の兵として動く為には幾つか条件を満たしてやらねばならぬ。

 今回はその一つ、士気が満たされぬ。

 まだ、ロドの中がどうなっているか全ては分からない今、ただの男衆を送り込む訳には行かない。

 兵として送らねばならない。


 それがレンベルの判断であった。




 これは英断であったと後にレンベルは語る。




 ☩


 生きてるものはいないか。


 東方常備軍である。助けに来たぞ。


 そんな声が木霊する。


 だがその問いに答えるものはいない。

 兵達は諦めと獣に対する憎悪を心の底からふつふつと湧きあげながら無意味な捜索を続ける。


 時に転がっている畜生の死体を蹴りあげ、時に臓物の生々しさに吐き気を覚えながら死体を転がす。


 だが、出てくるのは死体、死体死体。


 何故、ここまでの死者が出たのか。


 兵達は甚だ理解に苦しんだ。


 アダダーラによる破壊は理解する。

 アダダーラによる圧殺は理解する。

 獣に踏まれて死ぬのも理解する。

 だが、ロドの町中で死体があることが理解出来ぬ。


 奴らは神獣種から逃げ惑い、内へ内へと走るのだ。

 なれば人等に構う時間などなく、ただ走るはず。


 だが、現実は大規模な蹂躙である。

 得もしれぬ違和感がここにある。





 それはレイ・フィッチも感じる所である。

 何故なのだ。

 レンベルは前線にて骸となっているブリードの顔を見つめる。

 何が起きた。

 前線を、入ってきたものと別のU字の穴の近くを見渡せば、兵の骸が積み上がっている。


 レイ・フィッチはあの死にものぐるいの、もはや死んだも同然のような獣共の姿を思い出すと、少しずつ救いようのない結論に近付いていく。


 レイ・フィッチは頭を振り、その考えを捨てる。

 それは、それだけは報われぬ。


 あまりにも悲劇である。


 最早真実は誰も知らなんだ。


 己のそのような愚かな妄想に意味は無いはずだと信じて、固く、その二つ名に相応しい沈黙を貫いた。





「殺せぇ゛!!!!!!」



喉を潰しそうなその歪な叫びをもって、レイ・フィッチは振り向き、動き出す。


レイ・フィッチは何やら嫌な胸騒ぎを覚えた。馬車にて待つ、ティスティア、レンベル、そしてヒンツァルトは無事だろうかと思案して、無用な心配と切り捨てた。


帝国が誇る英傑達とあれほどの英雄である。万に一つがある訳が無い。剥き出しの弱点がある訳でもないのだから。

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