BANG

「ねえねえ、おじさん。神獣狩りのヒンツァルトでしょ。そうなんでしょ?」


「あぁいや、そのぉ」


「ええーもお!いいんだってばぁ。もうバレてるってぇ」


「いや、ちょっとなんの事だか…」


 傍から見れば、接待付きの酒場か何かで緊張しっぱなしの男とその従業員のようであった。

 おそらくかなり高価であろう馬車の中にすっごいカッコした娘、俺を捕まえた角の騎士、禿げたおっさん、そして俺の四人が仲良く座っていた。

 もはや腕に紐は無い。

 紐は無いが、肩に組まれた女の子の腕が新たな拘束具であった。


「言っちゃいなよ。自分があの神獣狩りですーって」


 肩を組まれているということで、顔も当然すぐそばにある。鼻腔を甘ったるい匂いが刺激する。チラリと横を見やることすら出来ない。彼女の顔立ちはスラリと小綺麗にまとまり、ピンクゴールドの瞳が一際美しかった。有り体に言えば可愛い。

 それだけに怖い。

 生まれてこの方美人に絡まれるとろくな事が無いのだ。あとシンプルに免疫がない。勝手に声が震える。


 嗚呼。

 どうしてこうなった…。


 ☩


 押し寄せる馬群の音が聞こえない、そんな錯覚すら起こしそうな程に空気は張りつめていた。


 レイ・フィッチが手に負えないと言ったあの時から、上空に佇んだティスティアは動かない。ただの数歩も。じっと、ヒンツァルトを見続けた。

 ヒンツァルトはその目を知っていた。

 獣が此方を見つけた時にする目。

 動く事を許容しない事を明確に告げるその目。


 拘束されたヒンツァルトに抗う意思はなく、ティスティアもまた、レイ・フィッチ程の男が手に負えないと告げた事実から相応の危機感で牽制し続ける。


 その沈黙は東方管理官レンベル・ブルックリンの到着によって破られる。


「フィー。こいつは」


 東方管理官たるレンベル。彼は目の前の男がレイ・フィッチによって捕縛されたこと、そして愛しき姪が上空、男の刃の届かぬところで佇んでいること、その僅かな情報から、目の前の男が、奇妙な沈黙、その原因であろうことを理解した。


 レイ・フィッチはそんなレンベルの悩みには気付かずに、救いを求めるようにして、彼に耳打ちする。


 隊はおそらくこのレイ・フィッチを除いて全滅であろうこと。

 大蛇は、アダダーラは目の前の男の一太刀によって両断されたこと。


 そして、…彼が不法入国者であること。


 この何とも間の抜けた話を聞いたレンベルは意外にも表情を変えなかった。

 彼の名前を聞くまでは。

 血槍のレンベル、その名を聞けば獣王国の歩兵は逃げ出し、連合国は前線を下げる。かつてはそれほどまでの武を誇った彼ではあるが、将としても、文官としても傑物であった。

 レイ・フィッチはそれ故に困惑する。

 武人たる彼が目を見開く姿など久方ぶりに見たのだから。

 おもむろに口を開いたレンベルが告げた言の葉は。


「ヒンツァルト…。そうか…」


 それだけであった。だがそこには並々ならぬ悲愴があった。ヒンツァルトとレンベル。2人は紛れもなく初対面であり、言葉を交わしたことなどない。ないはずにも関わらず、レンベルの目は憐れみと冷ややかな鋭さを携えていた。


 静かに歩み寄るレンベルは久方ぶりに槍を構えて見せた。そこに片腕や老いの片鱗はなく、その姿、正しく血槍のレンベルであった。


 その姿にその場の者はなべて押し黙り、ただそれを見守った。そこに対する横槍はレンベルに対する侮辱であるからして。


 両者の視線が交差する。

 秋の夜風が両者の合間に緩く流れる。


「…ヒンツァルト殿。ここで首を撥ねようか。我が槍、隻腕なれど、断ち切って見せようぞ」


 レイ・フィッチにも、ティスティアにも、レンベルが率いた兵達にも、レンベルの表情は伺えず、それを知るのはただ、ヒンツァルト一人であった。

 どんな表情をしていたのか。


 分からないが故に、動かねばならないと思うものもいる。

 ティスティアはその一人であった。ただ一人、その言葉でヒンツァルトの怒りを買えばどうなるか正確に理解していたから。


「レンベルのおじさん、それは…」


「愛しいティティ。今だけはおじさんに任せてくれ」


 レンベルは普段であれば何事よりも優先する姪の言葉ですら振り返らない。

 ただ、ヒンツァルトの答えを待ち続けた。


 ヒンツァルトは何を思ったか。

 何を見たのか。


 彼は微笑んだ。


「今は死ねないんです。ありがとうございます」


 そう言って月明かりを背に、呆れてしまうような素直な笑顔を咲かすのだ。

 レンベル、ヒンツァルトを除いた全ての人間が困惑する中、そっと槍が納められる。


「出過ぎた真似をした。我が名はレンベル・ブルックリン。皇帝陛下より、東方管理官を任されている者」


「えっと、これはご丁寧に。ヒンツァルトです。あー、っと無職…ですかね」


 その場の空間は弛緩する。先程までの緊張が信じ難い程に。


 ティスティアは、レイ・フィッチはそこでようやく思い出す。緊張の中では思い出せなかったそれ。

 エインリッヒという名の阿呆が叫んだ与太話に出てくる英雄、その名がヒンツァルトであったこと。

 あんなものは稚児ですら信じぬ法螺である。奇行蛮行が肉を持ち、皮を纏うあのエインリッヒの言動を大真面目に考える方が可笑しいのだ。

 だが。

 レイ・フィッチは大蛇を狩った事実から。

 ティスティアは己が近付くことすら叶わなかった事実から。

 彼が神獣狩りのヒンツァルトであること、それを理解した。


 そこから芽生える感情がなんとも言い難い、失望と興奮が綯い交ぜとなったものであったことは、目の前に映る残念な男のせいであった。


 そうなるとレンベルにしては珍しい、緊張したこの態度にも合点がいった。


「職が欲しければ何時でも歓迎する用意をするが如何か」


「軍には向きませんよ、私は」


「惜しいものだ」


 豪快な笑い声が闇夜に響く。もはや、この場は彼らのためだけにあり、その他は呆然と英雄達の談話を聞き流すばかりであった。


「して、ロドは」


 その問にヒンツァルトは顔を顰める。これによって全ての人間が苦い顔をした。


 あのアダダーラが訪れてしまった都市。

 皆、どうなっているかは薄々理解していた。


「生存者はいます。相棒が守ってくれているはずです」


 その言葉を聞いたレンベルは早かった。


「良し。ならば疾くロドへ!!!」


「御同行願えるか、ヒンツァルト殿」


「ええ、もちろん」


 そう言って立ち上がろうとしたヒンツァルトはおそらく己が拘束されている事を忘れていたのだろう。バランスを崩し、前に転倒する。

 顔面を強打し、その場にそこそこの音が響く。


 気まずい空気の中、レンベルはそっと小さな刃物で紐を断ち切る。


「ぷっ。あはははは。なにそれぇ。可愛い〜」


 自分より10は下であろう少女にそう笑われるのはヒンツァルトにとって、さっき切ってもらえば良かったかもと思わせるのに十分であった。



 ☩



「ねえ〜話聞かせてよぉ」


 あの醜態を晒してしまったのが良くなかった。本当に。ブルックリンさんはボソボソと隣のフィッチさんと話すばかりでこっちには我関せず。時折、ゼティスさんを見てニンマリする。なんかキモい。


 要はゼティスさんへの対抗手段がない。

 悲しきかな。友達も、彼女もまともにいなかったが故に、こういうタイプの絡まれ方をされたことが無いのだ。頭をよぎるハニトラの姉ちゃんズはどいつもこいつも「いい子だね、ぼうや」みたいなのか、「あ、あの、お優しいのですね」みたいなのばっかだった。

 童貞が好きそうなのばっか寄越したせいで、ホントに心が傷ついた。純情な青年を何度騙せば気が済むのだろうか。今思い出してもあの女共の豹変ぶりはそんじゃそこらの役者では太刀打ち出来ないほどであった。


 そんな訳でマジで未知のタイプであり、もう何がなんだかわからないし、すんごいいい匂いする。今の俺はブルックリンさんに負けないほどキモい自信がある。


「ねえ〜、選定騎士特権でおじさんの不法入国無いことにしてあげるからさあ〜」


「え、そんなことできるの?」


「できるよ〜。なんたって鮮血の魔女だし。あたし」


 イェイ。

 そう言いたげな自慢げな表情でピースする。

 いや知らんし。なんやねん。鮮血の魔女て。

 神獣狩りのヒンツァルトもそうだけど帝国二つ名好きすぎやんけ。

 つか、なんで俺も馬鹿正直に名前言っちゃたんだよ。

 あとそこのハゲ。顔が緩みきってホントに酷いぞ。さっきのかっけえ武人スタイルはどこいったんだよ、帰ってこい。


「えーっとその、有名?なんだ」


 その言葉に驚愕を隠せない表情の彼女は大袈裟に声を上げる。いや、俺王国の民だって。そら知らんでしょ。


「うっそ、あたしのこと知らないの!?帝国に四人しか居ない選定騎士だよ!?」


「あ、いや、その、ごめん」


「かー。まあまあまあまあしょうがないのかも。おじさんのが強いだろうし?うわぁーショック〜」


 そう言って隅で小さくなく素振りを見せるゼティスさん。フィッチさん。頼むからそのままそのハゲ抑えといて。俺殺される。


「シクシク。あーあーきっと神獣狩りの話聞いたら元気になるなあ」


 クッソ罠やん。ふざけんな。

 いや、いいよ?話しても。いいんだけど。うーん。王国がなあ。

 俺が認めちゃうと不味いよなあ。どう考えても。

 王国が裏切ってましたよ〜。今回の騒動も王国が悪いよ〜って言ってるようなもんだし。

 別にあんなボケ共の国なんていいんだけど。

 言ったら戦争だよなあ〜。アダダーラ殺しちゃったし。あれは狩人組合でも戦争にならないように出来る限り殺さない方針だったからなあ。

 今回人を襲って、俺の命を取ろうとした。だから狩ったけど、あれはやっぱ不味かったなあ。

 どーすっかなあ。


「なーんてね。まあホントでも違くても答えらんないだろうし、しょーがないから今度にしてあげる」


 そう言ってウインクするゼティスさん。

 完全に手のひらの上で転がされていたのだとここでようやっと気付いた。







 ハッキリと言っておこう。

 断じて10も下の女の子に手を出すほど、俺の倫理観も末期では無い。そんなどこぞのクソ伯爵みたいな事は断じてない。

 だが。


 いや、可愛いが過ぎんか?

 マジで。

 なんだそれ。

 やめてって。ホントに。

 おじさんにはね、免疫がないの。しかも、なまじ普通の恋とかも通ってないもんだから、それはもうとんでもない拗らせ方をしてんのよ。

 ブルックリンさんの顔みてみろって、とんでもない溶け方してんぞあれ。ホントに東方管理官かよ。

 いやでも分かるわ。こんな可愛い娘が身内ならとんでもなく甘やかすわ俺も。

 クソ。

 騙されるな俺!

 この娘は一ミリも俺にそんな感情なんか持ってないんだ。なんならワンチャン情報漏らしてくれないかなーくらいに利用する気なんだ。

 勘違いするな。

 落ち着け!

 深呼吸だ。

 落ち着いて大人の返答をするんだ…。



「ど、どど、どうもありがとうございます」


 無理だよ。

 出来るわけないやろ。

 お前、くっそ目の前に超際どいカッコのクソ可愛い姉ちゃんだぞ。そんな娘に弄ばれてみろよ。刺激が童貞には強すぎんのよ。


「その代わり、いつか教えてくれないと」


「BANG!だからね?」


 俺の心がBANGされそう。

 頼む。

 早くロドに着いてくれ。

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