鮮血の訪れ

 大蛇の骸から、おもむろに剣を引き抜く影に向かい、レイ・フィッチは騎士としてせねばならない事があった。


「貴公、何者か」


 そう静かに尋ねる。

 鉄塊の剣先だったものを向ける。

 少し慌てるようにじたばたとする彼の様子に少々の困惑を抱いた。


「名乗らねば、私はこの刃を納められぬ。騎士であるからして」


 アダダーラを刹那の合間に両断してみせた彼の腕からして、私を亡きものにする事など容易いに違いない。

 だが、それでも私は国に仕える身である。

「よく分からない人物がなぜだかアダダーラを殺したので助かりました」などと報告する訳にも、それほどの腕を持つ人間を帝国内で野放しにする訳にもいかない。


「あ、あー、えぇっと、俺、いや、私は」


 そう要領を得ない言葉を紡ぐ彼。

 少し安堵する。

 そのたどたどしい言葉から悪意も敵意感じられなかった。

 おそらく帝国を害そうとするものでない。

 この英雄に剣をこれ以上向けなくて済む。

 そう思いながらも確証を得るまで、その視線は彼の一挙一動に注がれる。


「えっと…。クランツェ王国、北のフィルリート。父はバルドル。名をヒンツァルトという」


「クランツェ王国だと?」


 その単語に思わず眼光が鋭くなる。

 クランツェ王国からの報告がなかったがゆえに、 帝国はアダダーラの侵攻を甘んじて受け入れることとなった。我らは本分を超え、ここへ死を迎えにきたのだ。

 神獣種の事だ。何があってもおかしくは無い。だが、もしこの侵攻の裏に何者かがいるならば、その首を宙に浮かせねば気が済まない。

 彼、ヒンツァルト殿もまた、その一人だろうか。彼ほどの人間が都合よくアダダーラの前にあるだろうか。

 もしやこれは王国からの侵攻なのか?

 いや、それはない。

 侵攻であるならばアダダーラを彼が殺す理由がない。

 果たして本当にそうか?

 わからん。こういったことはレンベルか、その補佐官たるアーユルに頼るべきだ。

 今はまだ、アダダーラを両断する目の前の男を賞賛して良い。ヒンツァルト殿。どこか、引っかかる名前であった。だが、目の前の現実を差し置いて考える程でもなかった。


 少しの沈黙の後に、ふと思い出して尋ねる。


「貴公…。いやヒンツァルト殿、入国許可は何処か」



 先程までとは打って変わって長い沈黙であった。

 



 バタバタと布を叩く音がする。

 それだけで言葉は無い。


 なんというか。


 その。




 ものすごく気まずい。

 いや、持っていないのか?

 いやそんなまさか。



 いや。

 いやいや。

 いやいやいやいや。

 いやいやいやいやいやいやいやいやいや。

 冗談だろう。

 あれほどの剣を見た後に?

 あれほどを見せられて私は不法入国でヒンツァルト殿を捕縛しければならない…のか?




 ふふ。

 ははははははは。


 冗談だろう。

 冗談であってくれ。


「いや!えっと!あのー実はほんと!ほんのちょっと前まで狩人で!!えーっとその、ああ不味い。犯罪者だけは嫌だ」


 そうか。彼は元々、狩人だったのか。

 ならば、アダダーラも…。いや、狩人でも突出した才であろう。いくら対魔獣のプロフェッショナルとはいえ、かの大蛇をこうも容易く切り伏せる者がそう易々と居ようものか。

 ああ。

 だがしかし。

 何故今狩人でないのだ。

 何故元なのだ。


「…ヒンツァルト殿。一度詰所に来て頂けないだろうか」


 サーッと彼の顔から血の気が引く音がした。

 気がする。

 彼ほどの腕があれば、どれだけ愚かしくとも、どれほどを求めようとも、狩人として必要とされたに違いない。

 何故王国支部は彼を手放したのだ。

 いや、彼が見放したのか?

 何にせよ。なんて事をさせてくれるのだ。


 暗がりから俯き、近寄る彼。

 近くに寄ることで初めて露わとなるその顔立ちはのっぺりとして、詩人の唄う英雄には程遠く、茶の髪は闇に溶け入ることも出来ず、秋の夜風に微かに靡く。

 これが、今後百年は歌われるであろう大蛇狩り。

 一人の漢として、鳥肌が立つほどの感嘆と敬意がその身を包んだ。

 常人には分かるまい。

 もはや剣以外を持てば、違和感すら抱くであろう歪な手。密度という点において他の追随を許さぬであろうその肉体。微かに見えるその胸板に刻まれた夥しいほどの裂傷の痕。

 おそらく25かそこらであろう青年の肉体とは思えない。


 完璧に作り込まれた存在だ。

 おそらく。

 ああ、私は不敬にも思ってしまう。

 と。








 そして、その手を縄で結んだ。

 仕方ないのだ。

 それはそれである。

 どんな英雄であろうとも、騎士である以上不法入国はちょっと見過ごせない。

 もうちょっとこう、一瞬帝国の領土に来ちゃったーてへ、くらいならまあ目を瞑れた。

 だが、こうも堂々と不法入国されると。


「ヒンツァルト殿、悪いようにはしない。約束しよう」


「はい…」


 そう言うしかないのだ。

 しかし、ひっかかるのだ。

 まるで肉の筋が歯に挟まったような、なんとも言えぬ気持ち悪さがある。何かを忘れている。


 だが、それも直に解決するであろう。

 馬群の音は近くなってきている。

 レンベル達が来たのであろう。

 さしあたって目下の課題はヒンツァルト殿をどう擁護するかである。


 その事のみを考えれば良いであろう。





「おじさーーん。その人、ヤバくない?」


 その気の抜けたような声の主は上空に佇む。

 月光にて煌めくその桃の髪。毛先にはその高貴なるを示す金が揺らめく。

 しかし、その装いは高貴とは言い難く。淑女としてあるまじき短さのジーンズ。その煽情的な肢体を見せつけるような面積の少ないインナー。それを補うかのように明らかに大きいアウター。

 僅かに煌めく日除けの眼鏡越しに映るピンクゴールドの眼差しは鋭くヒンツァルト殿を射抜いていた。


 飴玉を噛み砕く音が聞こえる。


 日除けの眼鏡を僅かに下げてこちらの出方を伺っていた。



 なるほど彼女はやはり英雄である。

 このような紐に拘束力など微塵もないと気付いた上で、私の回答を待っている。


 ならば答えよう。


 よ。



「疾く、レンベルを。私の手にはもう負えない」



 水底にて、待つ同胞よ。

 助けてくれ…。

 どうしろと言うのだ…。

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