対アダダーラ防衛戦

 月光に照らされる鮮やかな黄緑。

 その中にて爛々と輝く紅き目。

 改めてアダダーラのその巨躯と鬼気迫るその様相に恐れが湧き立つ。

 その一方でアダダーラはこちら気にする素振りすらなく、ただ一直線にこちらへと向かってくる。その様相は鬼気迫るものがあり、必死さすらそこにはある。かの大魔獣にそれほどの行為をさせるものとはなんなのか。


 答えは一つしかない。


 一つしかないが。

 その答えだけは認めたくなかった。純然たる恐怖と帝国への愛国心がそれを頑なに拒む。

 あってはならないのだ。

 

 それを認めてしまえば帝国の崩壊どころか、この世界すら危うい。

 帝国は、我が祖国は皇帝陛下のもと、躍進しなければならない。

 大魔獣すら殺しうる四人の英雄達に、歴代最高ともされる現皇帝陛下、それに従う英雄の領域に片足を突っ込んだ数多の騎士や狩人達。

 ここまでの役者が揃うことなど、もうこの先1000年は無いだろう。

 だからこそ今しかない。王国の裏切りも滅亡もあってはならない。

 だがしかし、現状を鑑みるにそれに近しい何かが王国で起こったのだろう。アダダーラが狂気に駆られるほどの何かが。


 そんな逡巡も、かの獣は許してくれない。アダダーラの緑と黄の斑混じりの頭部が月のか細い明かりですらハッキリと見える。

 すぅと鼻腔に空気が流れ込む。

 そして、徐ろにその鉄塊を振り上げる。


 アダダーラの吐く息が風となり顔の横をすり抜ける程に迫ったその瞬間。


「はああああああああああ」


 口腔から出る空気は咆哮となり、戦場を駆け巡る。

 振り下ろす鉄塊は紛れもなく、アダダーラにとっての凶器となる。

 質量という名の世界の律が矮小な人間のもと、アダダーラを殴殺せんとする。


 その一撃は確かにアダダーラの頭骨に届いた。鈍い響きとともにアダダーラが呻く。




 それと同時に、その巨躯からなる膨大な運動量をその刀身で、その身で受けた騎士の身体は大きく後ろに吹き飛ばされる。

 魔獣狩りとは、まったく騎士の領域では無いのだと思い知る。この場においてそれは悲劇であった。

 だがしかし、ここに至るまで嘆いている暇も学ぶだけの余裕もなかった。

 だからこそいっそ騎士であろうとしたのだ。

 どうしようもなくレイ・フィッチは騎士であるのだから。


 斜方投射された身で宙を見上げる。

 嫌味な程に美しい月であった。今宵が満月であったのは不幸中の幸いとしか言いようがない。闇の中にて獣に脅え、剣を振るわずに死するなど、矜恃が許さない。

 先程までの恐怖や今後の不安などはもはや消えていた。心に一点の曇りもなかった。



 ああ、悪くない。

 月明かりの元、ヘルムに隠された内側でそう不敵に笑った。


 何をしてでもこの場でアダダーラを食い止めねばならない。もっと言えばアダダーラの背後にいるを突き止めねばならない。それが騎士の本分で無いとしても、今この正念場でそれが出来る可能性があるのはこのレイ・フィッチのみである。

 私が死ねばあらゆる意味で後手に回る。帝国が興って初めて、王国からの侵攻を受けるやもしれない。

 全くもって死んではならないのだ。

 だが、現実はどうだ。

 グリゴリ教における人類への試練。それの目の当たりにして隊はもうほぼ壊滅。

 騎士としての真っ向からの一撃を叩き込み、それでもなお死ぬことの無い大蛇。

 糸口の見えぬ


 誰がどう見ようとも絶望的であった。


 だが。



 剣を地に突き刺し無理矢理減速する。もはや鈍器であるからして、刃こぼれを気にしなくて良いのはここで役立った。


 視線の先には頭から血を流すアダダーラがあった。その目は先程とは異なり、こちらを明確に敵と見なしていた。矮小な通り道にたまたまいたムシケラでなく、己に害をなす、敵であると。



 鼻腔を刺激する獣臭さと血の香り。

 肌で感じるほどの緊張感。


 ああ、いい。


 これでこそ、厄災。

 これでこそ、大魔獣。


 貴様が、

 この場が、

 どす黒い絶望で満たされる程に。


 我等が、矮小な光が、輝くのだ。


 散っていく、儚き希望と誇り。

 それが輝くのだ。

 凄惨であるほどに我等は英雄となるのだ。


 我等は惨く死ぬ事を望み、我等は彼等を悉くを殺すことを望み、意地汚く生きる事を望むのだ。


 騎士としてこれ以上があろうか。

 生きれば英傑となり、死ねば英霊となることが約束されながら、伝説に挑む。


 この身は凡百に過ぎず、緩慢なこの世にて武で名を残す事ができる機会などないはずだったのだ。




 アダダーラよ。

 私はもしかしたら、あってはならないのだが、お前に感謝すらしているかもしれん。


 だから殺そう。

 完膚なきまでに。

 この命のほんの僅かな輝きすらなくなるその時、その瞬間まで、その首を落とす事それだけを考えよう。


 そして、たとえ死したとしても。


 此より先、その地を踏めると思うな。

 畜生如きが。




 アダダーラが人と同じくらいはある歯を剥き出しに向かってくる。

 それに対してレイは剣を膂力に任せ、投擲するがあえなく躱され血に突き刺さる。

 丸腰となった彼だが、無造作に大蛇へ向けて走り出す。それを飲み込もうと大蛇は勢いを強めて迫り来る。

 そして、彼らが交錯する瞬間、真横に広がりきった大蛇の口腔がレイへと迫る。が、しかしその口が締まる前にその場からレイは消えていた。

 次の瞬間、レイは目の前の頭部目掛けて両手で握り締めた鉄塊を振り抜く。

 その勢いに耐えきれず、大蛇は頭を大きく仰け反らせた。


 外した。

 確かに寸分違わず、先程の損傷部を振り抜いたはずだったのにも関わらず。

 …であれば、大蛇がついてきたのだろう、こちらの動きに。

 バケモノめ。


 心の中でそう悪態をつく。


 アダダーラとの戦いはまだ始まったばかりである。

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