誉れよ

 飛びかかる獣の首を鉄塊と化したそれで殴りつける。鈍い音と共に獣の口腔から赤い血が吐き出される。地に転がりゆく獣にはまだ息があった。

 それを見て、ただもう一度、全く同じところを殴りつける。それでようやく獣は息絶える。

 名の知れた工房の大剣であろうと、これだけの獣を切ればなまくらになるのも当然であった。だが、予備も無く、補給も無い、そんな今純然たる質量が猛威を振るった。


 束の間の休息にて、沈黙の騎士は周囲を見やる。

 あるのは骸と血の泉。

 月明かりが照らす悍ましい景色。

 それでもなお、心折れず、ただ目の前の獣を殺す為だけに剣を振るい、矢を放つ兵達。

 東方常備軍たる彼らは本来、人を殺す為の存在だ。

 東方、即ち王国による軍事侵攻に備えるための兵である。故に、王国が属国であり、バラン大森林という堅牢な壁がある故に、彼らは弱小である。

 彼らは才がないか、親の過保護か、はたまた死を恐れるか、何にせよ軍という組織において爪弾きにされた者どもだ。

 鍛錬では欠伸をし、警備で酒を飲み、休日は娼館に赴く筋金入りのクズ共である。

 そんなクズ共を、私が殺してくれようかと思った彼らを変えたのは紛れもなくレンベルである。東方管理官たる我が主君はただの2年で彼らをここまでにして見せた。


 我らにとって獣など未知の敵であるのに。

 策を弄し、力でぶつかり合い、利を得る。

 それが我らの戦いであった。

 それがどうした。

 今や策などなく、ただ殺し、殺され、互いに不利益を押し付け合う、底無しの泥沼の生存競争に他ならない。


 本来、獣の相手など狩人の範疇であり、我々の出る幕では無いのだ。勝手に殺してみろ。鬼のような顔をした狩人組合の長が東方管理局に飛んでくる。

 私ですら獣と戦うなど両手で数えられる程度であるのだから、他の者どもはほとんどないに等しい。

 そんな我らが獣どもと、アダダーラと相対するなどと昨日の私に、レンベルに言ったら「気でも違えたか」と笑われるのだろう。

 こんな下らない悲劇にその身を投げ捨ててなお、彼らは戦うのだ。


 私には彼らが理解出来なかった。

 剣も振るわず、戦う気も、兵たる覚悟もない彼らの将として立ったあの日から。

 ある時はその愚かさを。

 ある時はその心変わりを。

 ある時はその目の輝きを。

 そして今は、その覚悟を。

 私は理解出来なかった。

 だが、信頼と信用があった。

 私が敵と正対する時、彼らもまた同じ方向を向くのだろうと。

 彼らはその命尽きるまで、いや、その命尽きようとも敵に抗い続けるだろうと。

 そして、今の彼らはそのような覚悟と力がある者共であると。


 戦場は未だ混沌として、明瞭さを欠き続けている。

 また1人、右前方、二時の方向にてラーセルが死ぬ。ラーセルはウォッカが好きで、この戦いが始まる前に、秘蔵の一本を共に呑むことを約束していた。もう40に迫った独り身の男で姪のことを痛く可愛がっていた。ウォッカを飲みながら、嫌がる姪を撫でるその幸福に満ちた顔を私は忘れないだろう。


 ラーセルにとどめを刺したに一角牛は高らかにラーセルの身体を掲げる。角に貫かれたラーセルの身体からは血が滴り、四肢が重力のもと揺れ動く。そこで初めて、その右足の膝から先がないことに気付く。

 どの道彼は出血により死んでいたのであろうし、もうすぐ彼は大海の奥底へと沈むのだろう。

 目の前の畜生共を薙ぎ払いながら、そう考えた。

 この思想を薄情だと、無慈悲だと嘆く者はおそらく多いのだろう。だが、それで構わなかった。それを糾弾する者は我ら東方常備軍の者ではないからだ。我らの誇りを知り得ぬ者共だからだ。


 掲げられたラーセルの上半身が少し起きる。それと同時に怒号が響く。


「隊長ッ!!!!ブツは本棚の裏だァ!!」


 そう叫ぶと共に一角牛の目に己の右手を突き刺し、眼孔を掻き回す。当然暴れる一角牛であるが、眼孔の奥の頭蓋を掴み、胴体は角に深く深く貫かれているのだ。抜けるはずもなく、神経を引き摺り出されて、のたうち回る。


 ああ、友よ。


「我が誇りラーセルよ、さらばだ。」


 今、私に出来る手向けはその程度である。だが、これで良いのだ。

 ぐったりとしてしまったラーセルに届いたか。そんなことは些事である。彼はこの戦いにおいて最後まで戦士であり、その誇りを持って大海の奥底へと旅立った。

 それなのに、今更私の一声がどうして届く必要があろうか。

 何よりもどうして、届かない訳があろうか。


 泡を吹き倒れる一角牛を横目に、一歩前に出る。

 彼らが戦士として旅立つ様に、私とて、騎士として挑まねばならないだろう。


 もはやそれが蛇行する様は大河であり、その勢いは迫り来る雪崩に勝るとも劣らない。帝国の中隊を平らげるその理不尽に挑む私の得物は潰れた大剣。



 はあと息を吐く。


 我らは時間稼ぎに他ならない。


 この場で全員が死ぬだろう。


 この私も。





 泥と汗と血で薄汚れた大剣の柄を握り直す。

 他の畜生共は凡百でもどうにかなる。

 何よりも、最悪の想定よりも数が少ない。

 ロドの住民のお陰だろうか。


 何にせよ。


 こいつさえ。


 このアダダーラさえ。


 止められれば、我らはこの戦いにするのだ。


 海の底にて待つ友よ。

 誇り高き戦士たちよ。

 誉れを得し者たちよ。


 私は騎士である。


 誉れよ。


 我が道の先にて煌々たる誉れよ。


 我が魂の写みよ。


 我が戦を御照覧あれ。



 沈黙の騎士、レイ・フィッチ。


 その魂を御照覧あれ。

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