沈黙の騎士


 子供達を背負い、そこまで匂いのない広そうな邸宅にお邪魔する。家屋の中では床に飛び散るスープと血痕が非日常の来訪を生々しく伝えている。扉も窓も用途を知らぬ畜生にはただの障害に過ぎなかったのだろう。粉々になり、獣の血とともに血に撒きちっている。恐らくあったであろう威厳も美しさもなくなったそれを横目に裏の庭先へと向かう。

 外のベンチにて、子供達を寝かせる。ポクポク太郎に持ってもらっていた袋から毛布を取りだしかけてやる。

 穏やかな寝息をたてるこの光景に屍の山さえなければどれだけ良かっただろう。


「相棒」


 恐らく今から俺がしようとしていることは愚かで、多くの人は信じられない、無責任だと糾弾するかもしれない。

 だが、奇妙な自信があった。

 成功するのだろうと。


 泣き疲れ、ベンチの上で眠る2人の子供の頭を撫でながら、振り向く。


 当然のように佇む巨躯。その眼はどこか覇気がない。少し離れ、その息の荒さを誤魔化そうとするいじらしさにほんの少しだけ安堵を抱く。


 ああ、やっぱこいつなら大丈夫だ。


「頼めるか?」


 その言葉が伝わったのか、夕日と同じ色の目を見開く。

 少ししてか細く嘶いた。

 それはまるで力不足を嘆き、謝る子供のようで。


「バカ、謝んなよ。こんな事はお前にしか頼めねえんだ」


 分かるわけもないし、分かったわけでもない。

 それはもはや独り言であったはず。

 でも確かに伝わったと思うのだ。


 小刻みに震えるその四駆で傍により、子供たちの頬にそっと顔を擦り寄せる相棒を見て、それを疑うことができようか。


 もう俺たちの間にこれ以上の会話は必要なかった。


「行ってくる」


 そう言って駆けだした。動くのはもう自分の脚だけなのだから。向かう先は夕陽の先である。


 恐怖に駆られ、もはや命であることすら捨て、ただ転がり続ける鉄球のような醜悪なそれら。あるだけで、人に害をなすもの達。


 その命を刈り取る。

 その為に。


 心から1つ1つささくれが消えてゆく。


 淑やかに心が研ぎ澄まされてゆく。



 夕陽は堕ちたのだ。


 暗い闇の、獣の時間だ。


 ☩


 ヒンツァルトがロドを出る少し前。


 戦場に、いや、死地にて佇む巨躯の騎士。

 眼前に捉えるはバラン大森林の覇者、アダダーラ、そしてそれに追従するかのような獣の大軍。


 時折上がる血飛沫と獣の肉塊が、その醜悪さとその勢いが如何なるものかを知らせてくれる。

 その甲斐あって騎士の後方に控える、東方常備軍からは鉄の擦れる音、思わず出た悲鳴が絶えず上がり、士気はこれ以上無いほど下がっていた。


 だがそれも仕方のない事だとも彼は思っていた。

 帝国が王国を侵すことの出来ぬ理由の一つがあの大蛇である。過去二度あった侵攻のうち一度目のラークラ戦争においてはバラン大森林を抜けようとした中隊が丸ごと奴の腹の中に収まったとも言われている。

 それ程の脅威が今帝国に襲いかかっている。

 子供の頃から老兵達に聞かされた放蕩話の中の存在が今目の前にいる。


 恐れない訳が無い。

 ロドの街にはグード・ブリード東方守備隊長がいた。中央での出世こそなかったが、故郷ロドに代々守備隊長を務めるブリード家の当主で、中々の剣士であり、策士であった。

 だが、現実を見るにそんな彼すらも当然のように打ち破りここに居る。

 後ろに控える者達はそれも知っているが故に、己の無力を悟ってしまったが故に、深き絶望へとその身を堕としたのだ。


 帝国にあれに真っ向から立ち向かい勝てる者が何人いるだろうか。


 当代の光の御子、17代 グローリア・グローリア。

 永遠の王者、ヴァルファール・ガルディア。

 グリゴリ教執行官、圧殺のテレメール。

 鮮血の魔女、ティスティア・ゼティス。


 子供達ですら英雄譚に聴く、帝国が誇る英雄たる彼ら。彼等でさえ、グローリア・グローリアは兎も角、それ以外の、特にガルディアとゼティスはかなり条件を整え無ければ不可能だろう。


 だからこそ、騎士は知っていた。

 自らの役目を。


 血槍のレンベルと恐れられた現東方管理官のレンベル・ブルックリン、その右腕として。


 褐色の鎧が動き出す。

 その体躯に見合った大剣は鈍色に輝き、夕陽を反射する。兜から伸びた二本の角は騎士の視線と同じく前方の大蛇を捉える。

 重厚な鎧が金属特有の音を立てながら今だと奥にある大蛇と正対する。


 人間相手ならばいざ知らず、獣畜生に名乗る必要などなく、ただ呼吸を整える。

 その佇まいは洗練され、彫刻のようであり、死地にて美しくある。流水を分かつ巌のように、迫り来る死の恐怖に相対する。


 それを見た兵達もまた、普段の落ち着きを取り戻し出す。


 彼等に余計な言葉をかける必要など無いことを騎士は知っていた。その佇まいさえ見せればよい。

 此より先にて、もはや我らに命はなく、死兵たれ。その先にて命を再び拾うが良い。故に戦において、剣を抜いた先にて、我等に恐るるものはなし。

 彼等はそう鍛え上げられた戦士であるのだから。


 夕の生暖かさが甲冑の中を満たしていく。

 夜は近く、人の時間は終わろうとしている。


 全てがかの騎士に、いや帝国に逆境として襲いかかるかのようであった。


 だが、剣は抜いた。

 ならば恐るるものはなし。


 沈黙の騎士、レイ・フィッチ。

 かの騎士が先駆けの狼を両断した事により、後に語られる対アダダーラ防衛戦の火蓋が切って落とされた。

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