西走
「ポクポク太郎、大丈夫か」
口から液体をまき散らし、充血した目で先を見据える相棒に声を掛ける。
当然ながら返事はない。ポクポク太郎はもう二日も西に走り続けている。
王都を出てから最短ルートの街道をただひたすらに走る。ポクポク太郎は普通の馬ではないから長く走れるとはいえ、二日目にもなるとかなり疲労が溜まっている様子だった。
だが、ジリジリとした焦燥感が俺の心を焚きつける。
「ロドへ行け」
そのエインリッヒの言葉が、たった一言がどうしようもない不安を抱かせる。
何が起きているかも、何が出来るかも分からないのにそれでも行かねばならないと、それこそが俺のすべき事だと確信があった。
エインリッヒは自己中心的で変人でろくな人間ではなかった。今もアイツは嫌いだが、ただ一点好きだった所がある。
あいつだけは俺の夢を馬鹿にしなかった。
英雄になる事も、誰もを救いたいことも、そのために神授種を殺すことも。
そんな奴があの誓いを踏まえて嘘をつくとは思えないし、それに騙されたとしても別に良かった。俺が2、3日ポクポク太郎に今回の酷使に報いてやればそれで終わりなのだから。
なんならそっちの方がいい。
騙されていた方がいい。
俺なら騙されることも傷付けられることも慣れているから。
俺は英雄になるから。
だが、他の奴らはそうじゃない。
騙されれば、傷つけられれば、怒り、嘆き、悲しむ。
全ての謀りを、全ての暴力を無くすこと、それが善であるのかは分からない。だが人の手に余る災禍であるのなら、救いがあっていい。
そのために騙されるなら喜んでそうする。
だから今は西へ。
帝国へ。
ロドへ。
走らねばならない。
☩
天災。
神獣種による侵攻は当然、ヒト以外にとっても恐るべき現象である。
動物も魔獣と呼ばれる者共も、ポクポク太郎の両親のような支配者も、遍く全てを黄泉へと誘う。それを前にして逃げぬ者はいない。
内へ内へ。
ヒトのみなのだ。
定住しようとするのは。
ヒトは壁を築き、龍を待つ。
アンリルの龍が奴らの臓物を引きちぎるその瞬間まで耐え忍ぶ。
この選択には正解などない。
強いて言うならばヒトは今でも生きている。このことは現実である。知恵を持つ、いや他者を信じることが出来る彼らにとっては理にかなった手段であるだろう。
ああ、だが。
獣には通じない。
哀れにも他を信じられず、己の身一つを守る事でしか自らの生を肯定できぬ、畜生共には理解できない所業であるのだ。
だから、獣共は走るのだ。
前の獣を踏みにじり、脳漿で脚を汚し、それでも前へと走るのだ。
何処までだろうか。
何時までだろうか。
少なくとも、分かっていることはただ一つ。
「ブリード守備隊長!!獣が来ます!!50、いや100、ああ…!!もっといます!!土煙が舞いすぎてこれじゃあ目視じゃわからない!!!」
「急げ!!外の商人共を城壁の中に!!!最悪見捨ててもいい!!」
今回はロドへと向かっていた。
「アンリルの龍が出た報告なんてなかったぞ!!」
城壁から獣の大群を見下ろすグードは頭を抱える。グリゴリ教における人類の試練。それが今目の前に迫りつつある。
神獣種が出たという報告は王国から来ていない。アンリルの龍が連合国を飛び立ったという報告も来ていない。だが、災禍は目の前に。
ならば理解したくはないが神獣種も迫りつつある可能性すらある。
城壁を殴りつける。城壁には当然綻びすらない。ただ鎧から伝わる痛みがこれが現実であると伝えるばかり。
こんな無益な事で貴重な時間を浪費するなと痛みが訴えかけてくる。それが腹立たしい。
「帝都、いや!ガーロに早馬をだせ!あそこにはレンベル東方管理官が来ていたはずだ!」
側仕えにそう告げた後に城壁からロドの街を見る。
普段の喧騒はどこへやら。しんと静まり返り、ただじっとこの厄災が去ることを祈っている。
周りを見ると青い顔をした兵で溢れ帰り、中には泣き出すものすらいた。
王国との国境たるバラン大森林を見据えるこのロドの地を守る事、それは兵として、騎士としての終着を意味する。我ら帝国の傀儡たる王国は敵対のての字もなく、出てくる魔獣や獣も小物ばかり。おおよそ武功をたてる機会などない。
そんな地にいる兵共に期待する方が間違っている。
だが、やるしかないのだ。
こんな奴らでも兵ではある。
ならばそれを使い、この地を、民を、家族を守るのが隊長の役割であった。
「いいかお前ら!これはチャンスだ!!」
「我らがロドの城壁は堅く、破られることなどあろうか」
「否!!!否である!!!」
「ならば、我らの勝利とはただ耐えることだ!!」
「獣はロドを目指しているのではない!!内地を目指しているのだ!!」
「ならば奴らが諦めるその時まで!!」
「耐えるのだ!!」
「ただそれだけで人類の試練に我らは勝利する!!」
「斜陽の兵などという誹りを受けた我らが!!」
「今ここにて!!」
「その名誉を取り戻そうぞ!!」
剣を引き抜き、天高く掲げる。
それに追従して、兵共は地響きのような雄叫びをあげる。
士気を取り戻し、早馬を出した。
もはや後グードにできることは門を閉じ、増援が来るのを待つか、奴らが正面突破を諦めるのを待つかであった。
冷静さを取り戻し、城壁の外を見やる。
そして、絶望する。
何度でも言おう。
ヒト以外の遍く全ての存在が神獣種に脅え逃げ惑うのがグリゴリ教における人類の試練である。
壁を築き、耐え忍ぶ。
それだけで済むのならば、ここまで大袈裟にはならない。
「…バラン大森林の覇者、アダダーラ」
城壁と変わりない大きさをもつ三目の大蛇の名をそっと呟く。
ヒトよ。
耐えてみせよ。
抗ってみせよ。
これが、これこそが宗教にて恐れられる試練である。
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